2020年3月28日土曜日

「専門家の助言に従ったのか」という批判の表と裏

新型コロナウイルス禍で現政権は何度か重要な「政治的判断」をしてきたところだ。

その都度、マスメディアを含めた各方面から様々な批判の声が上がっている。批判それ自体は望ましい事であるのだが、頻繁に耳にする批判が『専門家の意見に基づいた判断なのか』という指摘であり、これに対して『政治的に判断したところであります』と安倍首相が応じると、『思い付きで決められても困る』と。この応酬、どこかで耳にしたようなデジャブ感を覚えるのだ、な。

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「専門家の意見をまず聴け」というのは、確かに正しい指摘である。

しかし、この思想が極端になると、太平洋戦争中、というか日清戦争、日露戦争の時から既にみられた帝国陸海軍の通弊、つまり「最高司令官」ではなく「参謀」による作戦指導が正しいのだという思い込みが出来てしまう。これが最も悪質な思い込みである。

専門家にも色々ある。

戦争のときは戦争の専門家である参謀組織の助言によるべし。医学上の問題が生じた時には専門家である医師の判断によるべし。大恐慌のときは経済専門家の考え方によるべし。そんな考え方は果たして問題解決につながるのか?

日露戦争のときは肝心の作戦参謀がしばしば間違いを犯したことは有名だ。太平洋戦争のときの帝国陸海軍の参謀は神風特別攻撃という作戦指導上のタブーにまで立ち至ってしまった。そもそも参謀の作戦で勝利した事例は少なく、勝ったときはトップのリーダーシップで勝利を得た例のほうが多い。19世紀のロンドンでコレラが蔓延した時、或る水道会社から給水してもらっている地域の死亡率が高いという統計データに着目したジョン・スノウはその水道会社を営業停止にすることを提案した。専門家は「根拠がない」と反対する。そもそも「コレラ菌」という病原の科学的認識にはまだ至ってなかった当時、「根拠」などは得られようはずもなかったのだ。こうして「疫学」という公衆衛生上の概念が新たに確立した。1929年の大恐慌の深まりに際しては、専門家である経済学者は価格の調整メカニズムへの信頼を捨てることができなかった。異端児ケインズがマクロ経済学を創始して問題解決への道筋を提案したのは経済学史上では周知のことである。

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専門家は重大な局面に際してしばしば間違うものであるという歴史的事実がある。

最高責任者は専門外の意見も聴きながら対応を自分自身が決断し、結果について自ら責任をとる。最も大事な事はこの点である。

『専門家の意見に従って判断したのか』という詰問は最高司令官に『参謀の提案に従っているのか』と問いただすのと似ている。このような考え方が帝国陸海軍における「エリート参謀の専横」を招いたのである。

専門家もまた、主流派と非主流派の派閥対立、標準的見解と異端派の論争、ポストをめぐる人事的対立、名誉欲など様々のネガティブな感情から自由ではなく、意見には常にバイアスが混じり、過剰な自己主張をすることから免れるものではない。

最後の重要な政策判断は「専門家」集団に任せるべきではない・・・とはいえ、マア、お笑い芸人がMCしているワイドショーは、あれは番組編成方針からしてバラエティというか、娯楽番組であるから、上で述べたことの範囲外である(念のため)。

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