2020年4月18日土曜日

一言メモ:「官邸主導」とは要するに「意向」を忖度する非公式政治のことであったか・・・

政府内部の意思決定プロセスは安倍政権になってから元々不透明になっていた。それが「安倍流」とも「官邸主導」とも言われてきた。一部の人はトップダウンだと誉めてきたが、しかし「総理の意向」というキーワードは、小生が小役人をしていた時分には、使われなかった言葉である。聞いたことはあったが極めて稀でありまるで奥の院の様子をうかがうような感覚があったものだ。

「総理の意向」というのは、憲法上の規定から考えれば、まったく意味のないものだ。首相個人がなにを考えているかということと、行政府の意思がどのように決定されるかは、別々の事柄である。故に、総理は自らの個人的見解を明かさないものだ。太平洋戦争末期の戦前期最後の首相・鈴木貫太郎が「終戦を実現する」という真の意図を隠し続け、最後の最後になって(天皇の力も借りて)終戦という決定を得たのは有名である。「総理の意向」が万が一否定されてしまえば、これはもう「おしまい」なのである。

行政府の意思は閣議で決める。閣議は全員一致でなければならない。反対なら反対だと閣議で発言すればよい。戦前期日本で陸軍大臣が反対の意を告げ、現役武官制の下で陸軍が次の大臣を出さなければ内閣は自動的に総辞職した。戦後日本では総理大臣が代わりの大臣を任命できる。総理に出来ることはここまでであるはずだ。まあ、「指示」できると規定されているが、自分が任命した大臣を指揮するならともかく、大臣を飛ばして次官や局長、果てにはその下の課長まで呼びだして命令を出し始めれば、大混乱は必至である。また、そんな権限もない。会社員なら誰でも分かるはずだ。

「総理の意向」という言葉が実効性をもってきた最近数年間の情況は、官邸主導というより、ザックリ言えば「政治の個人商店化」である。体制の外にあった「目白の闇将軍」が政治をとりしきった情況と、「ワンマン」というとまだ聞こえはいいが、体制の中で超制度的な意思決定がなされてきた近年のあり方は、体制の外と中との違いはあるが、外から見ていると同じに見える。意思決定システムが壊れているのだ。

憲法に基づく行政システムを機能不全にしていることの責任は大きい。この点では、護憲的リベラル派の言い分に理があると思う。

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戦前期日本で「天皇機関説」が長らく公式の見解であったが、大物憲法学者・美濃部達吉が政友会の党益に反する言動をある時期にとったというので、それ以後政友会所属の政治家から激しく憎まれ、ついに昭和10年になって「不敬罪」で取り調べをうけ貴族院議員を辞職するに至った。「天皇機関説事件」である。この後は、天皇は「機関」ではなく「君主」となった理屈だが、実際には軍部が超法規的に暴走を続けるという顛末になってしまった。

戦前期日本の意思決定システムの崩壊は天皇機関説の否定を契機とする。

戦後日本で総理大臣という地位は行政権を組織する一つの機関である。「総理大臣機関説」があるとすれば、この見方が否定されるときに、戦後日本の意思決定システムは崩壊するというロジックだ。
非公式の政治は必然的に不透明になり、不透明な政治は必ず隠ぺい行為を繰り返し、その結果として必ず堕落する。
 歴史から帰納される傾向だと思うが、これは命題としておいてもいいのじゃないか、と。

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総理大臣は内閣を組織する一人の国会議員に過ぎない。総理大臣に行政権があるとは憲法で規定されていない。行政権は内閣にあり、内閣の意思は全員一致による。故に「安倍首相の意向」という言葉が頻繁に使われている現状はおかしい。

この事自体が、日本の意思決定システムが壊れかけていることの証拠である。

大体、日本のメガ企業の社内で「社長の意向だ」という言葉が実効性をもつような会社など、いずれ経営不安になるのが確実だ。これを「裸の王様」という。

非常事態で真の意味で緊急対応をしたいなら、「社長の意向」などと言わず、期間を定めたうえで「全権を社長に委譲し取締役会は休会」にすればよいのだ。

閣議を休会し、総理が全ての権限を掌握し、国会には事後報告することで済ませ、中央省庁を直接的に指揮命令できるなら、その命令に反する官僚は即時適切に罷免できるというロジックになる。ただ、この体制は全権を付与されたトップが全ての責任をもつということでもある。全権委任期間が終了するまでに結果を出せなければ罷免され、議員の地位をも辞職する仕儀となろう。政治家としては汚辱に塗れ失意の晩年を送ることになる。

これだけの覚悟をもてる政治家がいるのだろうか?ナポレオンも国家的非常時の独裁者であったが、ランヌ、ダブー、ネイなど20人を超える名将を戦場で自在に使いこなすことで初めて戦果をあげたことを忘れてはならない。軍事に限ってもこれだけの人材を発掘して初めて可能だったのだ。ナポレオンが全てを決定したわけではない。更に、民法をはじめとする法体系の一新、教育制度の一新とナポレオン時代に確立された諸制度は多い。この期間に政権に参加したフレッシュな人材は文字通り数えきれず、フランス社会の社会階層の構造そのものが一新されてしまったのである。一人が権限を行使するとしても、真に優秀な人材を評価発掘して、使いこなす能力をその一人が個人的に持つ必要がある。そんな政治的天才がいま日本の政界にいるとはどうしても思えないのだ、な。

ま、結論的にいえば、天皇制をしく日本で直接選挙による大統領制など日本では実現できるはずがない。大統領でもないのに行政権を体現するのは無理である。なので、「意向」となる。

しかし、「意向」に基づく政治は、トップが責任をとらない無責任政治を容認していることと同じである。



このところ何度かに分けて「必死の現場とダメな上層部」について断片的に書いてきた。色々なことを覚え書きにかいたが、大分、全体像が出来てきたような感じがする・・・

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