2020年4月20日月曜日

今回の公衆衛生戦略の失敗から得られる教訓は

自宅療養中もしくは路上で死亡するという「変死」件数が東京都内でこの1か月で6件にのぼっているそうだ。北千住駅前で発生した最近例では死後に新型コロナのPCR検査をすると陽性であったとのこと。そういえばPCR検査後も自宅療養を指示され、その後容態が急変し死亡した清水建設社員の衝撃もつい先日の事だ。この時も陽性であることが死後に判明した。この種のことが今後もありうるのではないかと危惧されるのが現状だ。

韓国でも新コロナ型ウイルスの集団感染が大邱市で発生した時、自宅療養中であった陽性患者が突然の容態急変で死亡するという悲劇が発生した。医療崩壊の象徴的現実を大邱市で目の当たりにした文在寅大統領がそれまでの治療戦略を転換することを決断し現在の成功に至ったことは既に周知のことだ。

初めて新型コロナウイルス感染者が日本国内(神奈川県)で確認された1月15日以降(もう随分な日数が経ったものだ)、日本は海外とは異なる日本独自の戦略で新型ウイルスの感染拡大を抑えようと努力を続けてきた。しかし、抑え込もうとしている新型ウイルス感染者が適切な医療や検査を受けられず自宅療養のまま、あるいは路上で既に複数人数死亡し始めている。この厳しい事実は、日本で採られてきた医療崩壊回避戦術が事実上失敗したことを端的に示している。

ウイルスとの戦いである公衆衛生は国際関係における安全保障と同レベルの重要性をもつ国家戦略の核心的部分だ。その戦いの序盤で医療の最前線は崩壊を起こしかけており、「医療崩壊を避ける」という第一段階の主目的は達成できなかったようだ。

立て直せるか?

予想とまでは言わないが、この点を野党が執拗に指摘・非難すれば、TVのワイドショーも追随し、安倍内閣は夏までに信頼を失い、首相は政権を投げ出す可能性が高いと小生には思われる。森友学園事件の後遺症も化膿したように尾を引いているから猶更だ。ただ、後の見通しがない状況でもあり、敢えて政治的混乱をひき寄せるのは野党にとっても両刃の剣だろう。

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そういえば、ずっと前、といってもまだクルーズ船ダイヤモンド・プリンセスへの対応で世間が騒がしかった頃だと思うが、カミさんが毎朝視ているワイドショーで若手の辛口評論家F氏が
感染者を絶対止めるっていう「水際作戦」も分からないわけじゃないんですけどネ、湖北省以外の中国から観光客をどんどん受け入れてるわけじゃないですか。クラスターをつぶすために的を絞ってPCR検査をするとしてもネ、裏口からどんどん入ってくるわけだから、検査漏れがどんどん出ると思うんですよネ。ふと後ろをみたら「水浸し」だったなんてことになるんじゃないですかネエ・・・
こんなような意見を言っていたことを思い出す。TV画面ではそんな感想には否定的で、『そうならないように関係者が頑張ってるわけでしょ!』、『頑張っている人たちの努力に敬意を表しましょうよ』などといった反応が大多数を占めていたものだ。

「行動」は「理性」が計画するが、理性は「願望」や「感情」によって影響される。

その頃、医療関係者が話していたことは
無症状、軽症の人にPCR検査をかけて陽性だからって、やることはないんですよ。ワクチンも特効薬もなくて、医者に出来ることはないんです。だから検査に意味はないんです。意味のないPCR検査は絶対するべきでなく、命を救うために意味のある対象に的を絞って検査するのが効率的なんです。
大体、こんな意見だったと記憶している。同じころ、WHOのテドロス事務局長が
Test! Test! Test!
と声明を発した際も、同氏の中国寄りの姿勢に反発していたせいだろうか、日本国内で評判が悪く、「意味のない検査拡大は医療崩壊を招くので絶対反対です」といった意見が世間にはあふれた。ふと後ろをみると「水浸し」になっている情況はこうした風潮から実現したのかもしれない。

検査対象を絞り、検査資源を節約使用しても、医療崩壊は現に起こっている。故に、戦略は失敗である。それは感染者を見逃していたことの必然的結果だ。検査拡大・感染者囲い込み戦略が定石であった。日本で検査対象を絞ったのは、日本国内の検査資源が乏しかったからである。まさにこの点こそ問題の核心であり、日本の弱みであったことをリアルタイムで誰が語っていただろうか。

この間、何がボトルネックなのか?こういった実質のある問いかけはほとんどなく、取材も調査もなかったように見える。情報を提供するのがメディアであるのだが、世論を統一するためにメディアが使われているという感覚すらあった。

多くの場合、定石は常識に近い。素人の岡目八目は意外に当たるものなのだ。ま、専門家は『だって政府が入国を止めなかったし…』と釈明するとは思われる。政府関係者は「まだ失敗というのは当たらない」と主張するだろうが、それはテドロスWHO事務局長が「まだパンデミックというのは当たらない」と発言し続けていた姿勢と同じである。

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日本流の検査資源節約主義、ターゲットを絞った効率使用主義は失敗に終わった。これをきいていて、小生は、日露戦争後に海軍の伝説的名参謀・秋山真之が起草したとされる『百発百中の砲1門は、百発一中の砲100門に勝る』という文句を思い出した。

乏しい資源を節約して合理的かつ賢明に使うという日本人の特性がここに象徴的に表れているが、足りないなら検査資源拡大を急ぐべきであった。
百発百中の砲一門より、百発一中の砲百門のほうが最後は勝つ。その1門が破壊されれば勝負は決まるからだ。
量は質に代替される。高度の技は消耗戦における勝利をもたらさない。高度の技を修得する人間の数は限定的であるので犠牲に耐えられないからだ。これは組織論の基本的な命題だ。

少数の人が匠の技を披露することも鮮やかで見栄えがするが、平均的な人でも結果を出せるように資源を整えておくことが何事によらず勝利の方程式である。カギは補給にある。日本は民族的通弊として<補給>を軽視しがちだ。長期戦、泥沼戦を嫌悪し、技に頼った速戦即決を好むが故の弱点である。

今回の失敗から得られる教訓は
備えあれば憂いなし
まさにこの一語に尽きるのではないだろうか。

ドイツは確かに死亡数こそ日本を上回っているが、周辺のヨーロッパ諸国に比べると感染で犠牲になった人数が格段に少ない。確かに医療システムに優位性があるのかもしれないが、今回の新型コロナウイルスがヒト・ヒト感染することが確認されるや、1月中旬からウイルス禍を迎え撃つ準備に着手したという事実をみるべきだ。日本ではこの頃、既に感染者が国内でもう確認されていたのである。敵は上陸していたのである。

補給が破綻し、長時間の戦いの中で最前線から消耗し、枝葉が枯れるように順に壊滅していくのは、典型的に日本的な敗北の風景である。言うまでもなく、湖北省以外(後で浙江省も追加されたと記憶しているが)の中国本土から観光客を延々と受け入れ続けたことも、今回の対ウイルス防衛のための戦略としては、まったくの愚策であった。これは政府の戦略目標が対ウイルス防衛だけではなかったことを意味している。

そこでもう一つの教訓:
二兎を追う者は一兎をも得ず
こういうことではないだろうか。平時なら複数目的の間のバランスが大事だ。しかし、非常時においては非常状態(≒戦争状態)をもたらしている問題をまず最初に解決しなければならない。負ければ全てを失うならば勝つための犠牲をコストとは考えず、先ず勝つことに集中しなければならない。そんなシンプルな理屈である。平時モードと戦時モードとのモード転換に日本人はもうずっと慣れていない。

何もかもを得ようとして、何もかも失ったのが、現政権であるのかもしれない。何という急な暗転だろう。8年間の蓄積の全てを一挙に失ってしまったとすれば。この根本的原因は『まあ、大丈夫だ』という指導部の慢心にあったことは間違いない所だ。大敗するときの正に「敗北の方程式」が当てはまる典型例である。

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・・・マ、客観的に数字を見る限り、日本の新型コロナによる死亡者数は欧米に比べると桁が違う。今後は、検査で陽性となり治療をうける感染者すべては、"active case"を経由した後、"Death"か"Recovered"という二つの結果のいずれかに到達し"closed case"となる。便利なので"worldometers.info"を視ることが多いのだが、これによると4月23日15:55現在で、日本は
Deaths: 299
Recovered: 1424
である。Closedベースの死亡率は17.4パーセントである。この値は全世界の数値概ね20パーセントとそれほど違いはない。最終的にどの程度の死亡率になるか、まだ予測は難しい。検査を受けるまでもなく感染し、気がつかないうちに治った人もいるだろう。なので、真の致死率について確度の高い数値が得られるのは随分先の事になるだろう。



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