2020年4月4日土曜日

世を惑わす「TV素人談義」の一例

経済危機の深刻化が予想される中、外出自粛で収入が激減している人たちへの所得補償がTVでも話題になっている ― ネット上では話題が適当に分散するので、一つの話題にフォーカスされることはそれほど目立たないのだが、TVは番組の放映時間に制約されることもあって、視聴率をとれる格好の話題に話が集中する傾向が強い。

商店街の食堂店主にインタビューしては『お客さんは9割減というところですかねえ』という声を流したり、ナイトクラブを訪問しては『営業停止命令を出してくれる代わりに所得を保障してもらうほうがずっとイイですね』などと応えてもらったりしている。

一番大事なのは、所得を保障してあげることですヨ、景気回復はその次でいいんですヨ、などと、一見理屈が通っているようでいて、実は街中の井戸端会議とほとんど同レベルの議論がTVカメラの中で進行している。

まあ、この位の話なら、家政学部にいたうちのカミさんでも出来るネエと感じることが、実は多いのだ、な。

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今回の新型コロナ禍では、(現時点での死者数の総人口に対する比率を見る限り)人的資源、物的資源が失われたわけではない。日本や世界の供給能力は不変であるが、需要が急速に減少している分野があるという経済危機である。しかし、経済危機に取り組むときは全体像をみておくことが必須だ。「とりあえずこの問題から・・・」という発想では、間接効果が波及することになって、混迷泥沼にはまるだけのことが多い。重点志向の原則は決してオールマイティではない。

超過供給と超過需要が併せて観察されるときは、資源配分が非効率である、と言うのが直ぐに下せる結論である。

前の投稿でも述べたように:
経済環境の激変で必要になるのは、資源の再配分である。資本、労働、マネーなどの生産要素を超過供給市場から超過需要市場へとシフトさせなければならない。(中略)今回の需要逼迫市場である医療サービス、新薬開発市場は資格、許認可が厳しい規制分野である。厚労省の「縄張り」である。超過需要(=24時間操業、疲弊、待ち行列)と超過供給(=閉店、休業、失業、etc.)は解消されないまま放置される可能性が高い。
超過需要と超過供給を全産業で合計すれば、必ず等しくなることは経済理論の重要な定理である。

そもそも本年初の時点では日本国内は「人出不足」であり、ほぼ完全雇用状態であった。超過需要が発生している産業分野が雇用を増やすためには、超過供給に陥った産業分野からマンパワーが移動していくしか解決のしようがないという理屈だ。平時では価格メカニズムが果たすべき調整だが、非常時の現在は行政による誘導が必要だろう。

つまり問題解決のための核心は「救済」ではなく「調整」にある。

超過供給分野(ホテル、観光、飲食などソーシャルディスタンス確保に脆弱な産業分野)では需要が急減しているので、生産水準を維持できず、そこで雇用されていた従業員、投下されていた資本には余剰が発生し、遊休化し、結果として所得が急低下している。反面、超過需要分野(医療、衛生、薬品、健康保健分野、宅配サービス、サプライチェーン寸断に伴う部品、パーツ、等々)では、人的資源、物的資源が不足するために環境変化に即応した生産拡大が困難な状況である。生産が拡大できないので、所得も増加しない。つまり、超過供給分野では生産維持が不可能、超過需要分野でも生産拡大が困難、結果として付加価値合計額であるGDPが急低下する。これが基本的なロジックだ。

【以下、加筆4月5日】上の議論に追加するべき要素としては以下のものがある。

  1. 例えば、学校を休業した場合に児童の保護者が職場に出勤することを難しくさせる効果がある — 学校のサービス生産はオンライン授業などを通じて継続するものとしよう。これはサプライサイドへのマイナス効果である。但し、労働需要が減少するわけではなく、理屈としては(より高い賃金で)所得機会を得る人々が現れうる。
  2. 職場で感染者が発生した後の事後処理で直接的、間接的にその企業の稼働日数、実労働時間が失われる。これもサプライサイドに対する制約として働く。これにはグローバルなサプライチェーンの中で日本国内に波及する生産阻害効果も含まれる。

サプライサイドに生じる所得減少要因もバカにはできない。であるので、GDP減少が予想されるからといって、需要不足によるデフレ加速が見込まれると必ずしも結論はできない。が、この点はまた別の機会に書くことにする。

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TV画面では
所得を保障することが最重要だ
とそればかりを言う。ならば、いつまで、どの位の期間で失われた所得を保障するのか?そもそも所得を保障するということは、『今までの仕事を再開できるまでは、仕事をしなくとも大丈夫です』と伝えるようなものである。何の見通しもなく所得を保障して、これまでの仕事の再開を期待させながら「自宅待機」を奨めるなどは経済政策になっていない。

大阪の飛田地区で営業している料亭は一斉休業することを決定したそうだ。雇用されていた人たちは、当面は(離職票が発給されるとすれば)失業保険で所得を保障される。給付期間は最長1年間である。もし離職票が発給されなければ受給要件を時限的に緩和すればよい。自宅待機で給与の一部分が支払われるかもしれないが、こんな状況では持続可能ではないだろう。実際、アメリカでは新規失業保険申請件数(=失職者数)が爆発的に急増している。失職者が求人に応じることによって人的資源が望ましく配分されるのである。超過供給分野から超過需要分野へ人的資源が移動していくまでの生活保障として失業保険は機能している。求職者数が求人数を上回った時にこそ不況対策は必要である。

この位は経済学のイロハのイであろう。

移動をスムーズに進める職業訓練も要るかもしれないが詳細は省く。

人が移動していくプロセスと並行して、身軽になった店側、つまり経営資源を保有している側は利益の出る分野へ資本設備を転用していくという道筋が経済政策の常道である。それを支援する低金利融資が必要であることは言うまでもない。これまでと同じビジネスをただ続けたいというだけでは競争の激しい店舗経営を続けるのはそもそも難しい理屈である。

危機はどんな産業分野でも時に発生してきたことだ。かつてバブル崩壊のあと、日本は不良債権を表面化させないために弥縫策を繰り返した。倒産するべき企業に追い貸しをして生き延びさせるという失敗をした。それでなくとも、日本経済の弱みは危機に直面して廃業と新規起業の盛り上がりが海外に比べて弱いという所にある。弱みをそのまま保存するような発想は政策とは言えないだろう。ソーシャル・セーフティネットが日本にはないかのような雑談は素人談義であろう。

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戦争で苦戦に陥ったときに必要な事は、勝利が見通せる敵の弱点に兵力を移動して集中することである。苦戦に陥った前線に兵力を小出しに追加投入して自陣を死守することは下策である。

この何日か、TV画面に登場している「自称専門家」が強調している「所得を失った人に保障してあげることが最も重要です」という指摘は、問題の指摘としては正しいが、考える筋道が混乱している。

「援軍を待って死守せよ」ではなく、「後退して、〇〇に速やかに移動し、友軍と合同して▲▲を攻撃せよ」という戦術的視点は、経済政策においても不可欠のロジックである。

最も大事なことは、苦戦している部隊に「助けるから頑張れ」とだけ伝えることではなく、全部隊に「何をすればよいか」という仕事を割り振ることである。いわゆる「ワンチーム」とはそういう事だろう。結局、資源配分の問題なのである。手持ちのリソースを上手に使えという事である。足らない、足らないというのは芸がない。そもそも日本は今年の正月までは人手がどこでも足らなかったのだ。

ま、総じて言えることなのだが、TV番組に登場する(医療以外の常任の?)「専門家」は多くが法律の専門家で、時に足元の景気分析が得意なエコノミストが出演したりしている。そのせいかどうか分からないが、何かにつけ『守りたい、守らなければ』とばかり口にする。『社会科学の基本を勉強したこと、この人、ないんじゃないの?』と感じさせられることは非常に多く、いまの米国のトランプ政権もそうなのだが(!?)、誠にお寒い陣容なのではなかろうか。

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