社会に問題があるとすれば、その問題を解決してほしいものだ。その力と能力を持つのは、政治家なのか、高級官僚か?
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橋下徹の「維新の会」が国政に進出するというので、選挙を控えた永田町は騒然としているそうだ。同氏は、永田町と霞ヶ関を解体して、新たな統治構造に造り直すと言明している。それに対して霞ヶ関の中央官庁では、変えると言ってもそれは困難です、と。どこも反発していると報道されている。
反発するくらいなら、問題をサッサと解決すれば良いのだと、ここで言っても始まらない。ただ、霞ヶ関の官僚層が、なるほど橋下という人物は元タレント・新興政治家ではあるが、仮にも地方分権を主張し、現に地方選挙に当選した政治家である。そういう人物が提案している構造改革案に対して、「全く実現困難」と切り捨て、反発するというのは、官僚として許されるのか?大手報道機関は「許されないじゃないか」と批判してはいない。
考えてもご覧あれ。赤字体質が染み付き、いよいよ経営不安になったメガ企業が、次期社長を社外から招聘することに決めたとする。巷の噂になっているある財界人が、この企業の抜本的構造改革の構想を語って、それが報道されたとする。それに対して、そのメガ企業の部長・課長といった<社員>が「そんな提案は実現不可能です」とか、「夢物語です」とか、構造改革的な議論に対して後ろ向きの反発を示すとすれば、みんな呆れるであろう。正にそこが駄目なんだと。『それほど言うなら、あなたたちで再建して見なさい、期限は▲▲年以内!期限内に達成できないなら支援打ち切り、強制退去』と。昔なら切腹である。まあ、この位の事は言われるのが当たり前だ。
では、新興政治家たちが社会を変える力を代表しているかといえば、これまたどうもそうは思われないのだ、な。感覚的な言い方だが、全く迫力がない。それに細かく言っている事をチェックすると、理屈が合ってない所も多い。社会主義を標榜するはずの日本共産党が<増税反対>を言うような奇妙な点がある。どこかで嘘を言っている。言葉という衣装を変えながら<政治的コスプレ>を演じているようでもある。
更に言うと、小生、現実がどれほど不合理に見えても、本当に不合理な現象が持続することはないと思っている。おかしいと考えるのは、現実が不合理なのではなく、我々の理解不足であると考えているのだ。確かに、中央官庁は言語道断とも思える言葉をはいている。しかし<構造改革>が日本で進まず、その改革を阻止しているのが中央官庁だとすれば、それは阻止を容認する社会的な力が現実に働いていて、それが他の勢力を抑えているからだ。阻止するのが社会的には合理的であると。反対するのが(実は)多数派なんだと。そう思っている。
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小生が見て不思議に思うのは、票が欲しいはずの<新興政治家>だ。
いまの社会経済システムは、将来世代の消費抑制を前提した国債依存財政を柱にして、やっと運営できている。これは確かに長期的に持続不能である。しかし、それが持続できているのは、ツケを負担する幼少年齢層、まだ生まれていない将来世代に投票権がないからである。この悪循環を阻止できるのは、選挙とは無縁の官僚層であるとみるのがロジックだ。官僚なら非民主的な発想をして、非民主的な手続きを経て、実は国家百年の理念に適った提案を政治日程に供する事ができる。
しかし、官僚が構造改革を主導するのではなく、票が欲しいはずの<新興政治家>が既存システムの打破を言い出している。既存システムが打破されて喜ぶのは、将来世代であり、現在世代は困るはずだ。であるのに、維新の会、及びその他の新興政治家達は、自分たちの主張が多数の国民の利益になると言っている。どこの誰にとって、どのような利益になるのかを語る時期が来ているように思われる。
どこかで嘘をついていないか?
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