北朝鮮の独裁体制が何かと言えば批判にさらされているが、民主化を政治の春にたとえるのは、アラブの春のあと、世界で共通した姿勢であるようにも思える。
小生の友人にもデモクラティストがいる。近代国家が生まれようとしていた18世紀末では、しかし、「共和主義者」といえば、イコール「危険人物」であった。当時はロイヤリスト(王党派)が伝統的な穏健派であり、民主主義者といえば過激派であったわけである。それが現代においては民主主義者が穏健な伝統派となり、反民主主義者は現・国家体制を転覆しようとする危険人物になっている。世の価値観や社会哲学は、100年を1単位とすれば往々にして逆転することが分かる。
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日本とアメリカはどちらが民主的社会であろう。日本と英国は?英国とドイツはいずれが民主的か?ドイツとイタリアはどうだろう?日本と韓国はどちらが民主的なのか?・・・民主化の度合いについて、こうした順序構造を設けるには、その度合いを数値化しておく必要がある。それが<民主主義指数=Democracy Index>である。英誌The Economistの付属機関であるエコノミック・インテリジェンス・ユニットが隔年で公表しており、世界167か国が調査対象になっている。オリジナルの公表資料はここにある。
2010年公表指数によれば、日本は君主制をとりながらも「完全な民主主義国」として認められており総合指数では22位に位置している。ちなみに第1位はノルウェーであり、アメリカは17位。167か国中の167位は(言うまでもないが)北朝鮮。北京に首都をおく中華人民共和国は136位に位置しているので民主化の度合いは(これまた言うまでもないと思うが)半分以下、極めて低評価にとどまっている。
面白いのは、韓国が日本よりも2位だけ上位にあって20位。差はあるものの、総合指数では日本が8.08、韓国が8.11と僅差であるから、ほぼ同等だ。ただ総合指数を計算する各次元の評価値では少々出方が違う。個別評価値は、「選挙手続きと多元主義」、「政府の機能」、「政治への参加」、「政治文化」、「市民の自由」、以上五つから構成されている。内訳を日本と韓国で比較すると
日本 | 韓国 | |
選挙手続きと多元主義 | 9.17 | 9.17 |
政府の機能 | 8.21 | 7.86 |
政治への参加 | 6.11 | 7.22 |
政治文化 | 7.50 | 7.50 |
市民の自由 | 9.41 | 8.82 |
こうなっている。評価が違うのは、政府の機能(日本が上位)、政治への参加(韓国が上位)、市民の自由(日本が上位)で、選挙手続きと多元主義、政治文化については日韓同等である。これをみるとEconomist誌の調査データに基づく限り、日本と韓国の二国は<概ね同型の民主的社会>と把握できるわけである ― 当然、そこに暮らしている人々の間には体感的な違和感があるとは思うが。とにかく、政治への参加において韓国は日本よりも一歩先を行き、市民の自由においては日本に分があるというのは、(小生自身、両国の暮らしを熟知しているわけではないが)一般的な印象と合致しているのではあるまいか?
上の総合指数は個別数値を単純平均して算出されているようだ。個別指数が測定している社会の属性は、互いに関連し合っているが、個別数値の相関行列をみると関連の度合いは一様ではない。こういう場合は個別数値を単純平均するのではなく、下図のように考えて、因子分析を行い因子得点を求める方が適切である。
共通因子が個別測定数値に影響する際に、その他要因がノイズ(=個別因子)として混在するから、因子得点の変動が個別数値の間にみられる相関を100%説明するわけではない。回帰分析の決定係数に相当する指標である<共通性>も確認しておくべきである。ともかく因子分析の枠組みで考えれば、<民主化>共通因子を反映している度合いだけ、その国家は民主化が進んでおり、共通因子では説明できない個別因子(=ノイズ)は、その国が民主的であるかどうかとは関係のない、国ごとの個性、国民性、歴史的な相違等々を反映する。この個別因子を観察する作業も相当面白いのではないかと思う ― 日韓2か国の比較くらいであれば、個別数値を並べるだけでも察しはつくが。
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一口に<民主主義>と言っても、同じ度合いの民主的社会を構築するには、エコノミスト調査の方式に沿って議論するとしても、なお5次元の自由度があるわけである。民主化を進める道は一本道ではなく、平面でもなく、そこには広汎な選択の余地がある。また、その国家が民主主義的であるかどうかとは関係のない側面も国家・社会にはあるわけである。
より民主的になれば社会は改善されるだろうと言明しても、それは決して一つの方向を指し示すことにはならない。その慣行は先進民主主義国家では観察されないことであると指摘するとしても、数値分析を行えば、その社会的特徴は民主主義的であるかどうかとは、ほとんど無関係な次元に属するかもしれないのである。
単線的、というか過激にいえば<単細胞的な>評価を民主化について下すことほど非科学的な議論はないと言えるだろう。
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