「選挙には行くの?」
「もう日本の国会にかかわりあうのは辞めたよ。真っ当な人物か、イカサマの候補か分からないのに、籤引き抽選会でもあるまいし、雪の中を出かけていって投票するなんて、時間の無駄だよ。大体、この選挙区にたっている候補は何だい?大臣在任中にはとんでもない行動をするし、そうかと思ったら原発ゼロとか、原発ゼロにしたまま消費税増税はストップするとか、何とか学校は無償化するとか・・・できもしないことを並べたてて、あれじゃあテレビのワイドショーと同じだよ。バカにしてらあ。」
「じゃあ、わたしも腰が痛いし、やめよっかなあ・・・」
「それが賢いね。意味もないことに参加して、また怪我をしちゃあ、つまらんよ。自然にまかせて、なるようになれば、それが正解というものさ」。
× × ×
前々日曜日は高橋由一を話題にしたから、順番からいえば狩野芳崖にならざるをえない。芳崖は旧幕時代に全国に散らばっていた狩野派絵師の一人である長府藩狩野晴皐の子として生まれた。神童の名を恣にした幼年時代を送った彼は、長じて江戸に出て、そこで生涯の親友・橋本雅邦と出会い、幕府瓦解まで二人は竜虎と称された。しかし明治政府が発足し、芳崖は生活に窮迫し、襖絵や焼き物の下絵を描くことで糊塗をしのいだ。落魄の人生である。芳崖を再び見いだしたのは米人フェノロサである。ジャポニスムの潮流の中で美術を研究してきたフェノロサは狩野派が作り出してきた美に日本をみた。
狩野芳崖、仁王捉鬼図、1886年
(出所)東京国立近代美術館
悲母観音、1888年
(出所)東京芸術大学美術館
芳崖の代わりに美術学校に着任したのは橋本雅邦である。雅邦は横山大観、菱田春草などの弟子を育て明治後の日本美術再興に力を尽くした。
× × ×
芳崖、雅邦の時代、二世を生きた人は無数にいたが、だからといって当時の人が身の不運を嘆き合っていたとは、小生思えないのだな。それどころか、同時代の混乱に振り回され、幕臣たる身分を失った福沢諭吉は、自分の人生の最大の僥倖として、異なった時代を生きることができた点をあげていた。
今は閉塞感にみちていると言う。しかし同時に『窮すれば通ず』ともいう。変革期であることに多くの人が気がついている。変化によって若い人は必ず刺激を受けるであろう。旧時代の既得権益層である人も、既得権益を失うからといって落魄を嘆く必然性はない。それは落魄ではなくて、むしろ再生、Rebirthになるのだ。
小生は、次の世で何をどのようにしたいのかを思いめぐらすことのほうに、投票より関心を覚えるし、そのほうが面白いし、過半数の人が同じ行動をすれば、日本の国政選挙は死に体となり、日本国家の統治機能が麻痺するであろう。それは変革への触媒になるだろう。そんな選挙で選ばれた国会議員が有能であるはずはなく、政党が何かをできるわけはなく、結局は超党派の憲法改正準備委員会を開設することくらいしかできることは何もない、文字通りに<能のない集団>になるだろう。今日という日の偶然によって選ばれた国会議員集団がそのことを自覚する時が、日本の転機になるだろう。自覚しなければ、自覚するまで、本質的な事柄は何も進まないし、そもそも進められる人材が今のような「選挙」で選ばれうるとも思われないのだ、な。
0 件のコメント:
コメントを投稿