2013年1月1日火曜日

元日のトップ記事 - アジアの中の日本経済

2013年元日のトップ記事は、年の初めに何が話題になっていたかということだから、それだけで記録しておく価値があるかもしれない。小生は、引退するまでは経済畑と縁を切れない。なので、例によって本日の日経朝刊から引用したい - ほんと、そろそろ経済などと言うヤクザな社会現象にはサヨナラを言いたいのだが、知的な惰性もあるし、経済データは統計分析の対象としてやはり面白いのだ、な。まだまだ経済情報とつきあうのを止めるわけにはいかない。

世界の5割経済圏 2050年GDP8倍 


アジアの経済が新しい次元に入ってきた。勃興の波は中国、韓国から東南アジア諸国連合(ASEAN)、インドへと広がる。主役の国や企業が次々と変わるアジアからみれば日本の時計の針は止まったままだ。今ならまだ間に合う。ネジを巻き直そう――。
(中略)
 「OKY」という言葉をご存じだろうか。おまえ、ここにきて、やってみろ――の頭文字だ。最前線でライバルと戦う日本企業駐在員の本音がにじむ符丁だ。
 本社はアジアの変貌ぶりを理解してくれない。意思決定は遅く、ライバルに負けてしまう。手をこまぬけばアジアは「日本抜き」の経済圏にもなりかねない。
(中略)
 大企業病に苦しみ、低迷する日本の象徴だった日立は経営改革で息を吹き返した。そして本社が東京を飛び出し、最前線である「ここ」までやってきた。日立は変わり始めた。日本は変われるか。
要約するまでもなく、大筋は大変わかりやすい。成長するアジア圏の中で日本が活力を取り戻して、再び生活水準の上昇ペースを上げていけるのだろうかという問題意識だ。

この指摘に全く異論はない。ないというより、『日本の象徴だった日立は経営改革で息を吹き返した』という下りを見ると、いまの日本を立て直すのに必要な科学的知見は、経済学ではなくて、経営学なのだろうなあと、つくづく思い知らされる心持ちがするのだ。

言うまでもないが、経済学の基礎理論はミクロ経済理論、要するに市場による価格決定メカニズムに関する理論である。その価格メカニズムが完全に作動すれば、資源の効率的利用が約束されるし、雇用も安定する理屈だ。しかしこれは、風が吹かなければ紙も石も同じ速度で地上に落下するであろうというのと似ていて、役に立つのは宇宙空間に限られ、この地球上ではあまり有難味のない理論である。経済理論では、企業の合理性は最初から前提されてしまっている。その合理的なはずの企業が、実は何も合理的ではなく、ビジネスチャンスを発見するどころか判断ミスばかりする、現ナマをためこんで有効に活用できない、コスト節減どころか、高コスト体質を何年もひきずり、経営資源の利用にも無駄ばかりが目立つ。だからこそ、日立のように<経営改革で息を吹き返す>などというケースが現実に生じうるわけだ。

市場メカニズムが思うように働かないとき、すぐにインフレ・ターゲットだ、マクロ経済政策だと話すのではなく、まずは経営学を活用して個々の企業に息を吹き返させ、加えて労使間・企業間の交渉力の不当行使や寡占企業の市場支配力を排除する、これまた日本経済の縮小要因を除去するために有効な政策思想であるはずだ。

実は小生、眼圧が高くて市の総合病院に長くかかっている。ところが、最近はアレルギー性の結膜炎で目の痒みがひどくなり、高脂質性なのか瞼の裏がゴロゴロするのである。それを総合病院で訴えても、医師の治療は高眼圧を原因とする緑内障予防に方向が決まっていて、新たな訴えはなかなかとりあってくれない。そこで町の眼科に行くと、結膜炎は心配してくれるのだが、今度は高眼圧の心配はしてくれない。まして、身体各部のアレルギー反応を総合的に観察検討するなどという考察をしてくれる医者はどこにもいないような気がするのだな。これは悪しき専門化・細分化の一例だろうと思う。

日本経済の成長力を取り戻すために何をすればいいか?問題を解決するには、やはり<総合>が大事であり、マクロ経済問題はマクロ経済の専門家にと、こんな考え方ではとてもじゃないが無理だろう。まあ、今回の第二次安倍内閣では、経済財政諮問会議と日本経済再生本部の二本立て - なぜ二本立てなのだろうねえ、まるで太平洋戦争時の大本営が陸軍部と海軍部の二つに分割されていたのと同じじゃあないかとは思うが - 思いのほか、集合知がうまく形成されて、何が何だか分からないうちに、デフレが解消するかもしれない。もしもこうなれば、各分野の専門家はそれぞれ自分の案の成果だと語るだろうし、別の人はこれも多くの人が参加したが故であり、民主政治の良い側面が出たのであると、そう称賛する。そんな人がきっと出てくるであろうと、小生いまから、思っているのだな。

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