ま、これはともかく、日経BPを見ていると、かなり古くなるがこんなコラム記事があった。鬱病に陥りやすい思考パターンについてだ。
テレビばかり観ていると悪い思考パターンに陥ることも
さて、テレビというのは、わかりやすさを求めるために、人のことを敵と味方とか、正義の味方と悪い奴というように二分割でとらえやすい。さらに占い、読心、過度な一般化、肯定的な側面の否定、should思考など、すべてがテレビの演出やコメンテーターの発言によく見られる思考だ。
テレビばかりを観ていたら、ついついこの手の思考パターンに脳のソフトが書き換えられるなどということは、珍しい話でない。
だから、テレビで、たとえばある政治家(今なら小沢一郎氏だろうか)がコテンパンに叩かれているのを見たら、それに感情的に同調するのでなく(このような情緒的判断も、心に悪い思考とされている)、人間にはいい面も悪い面もあると考えるようにするのがメンタルヘルスにはいい(もちろん、思考パターンも成熟する)。
原発のようなものでも、100%の安全を求めるのは、さすがに完全主義思考のパターンといえる。危険が1万分の1ならいいのか、火力や水力と比べて危険が小さければいいのか(水力発電でも、水をためすぎて水害が生じることはある。昨年の和歌山の水害は、この影響が大きいとされるし、実際に死者が出ている)――というようにいろいろ考えてみることが必要だ。
(出所)Nikkei BPnet、2012年7月6日、和田秀樹「サバイバルのための思考法」小生の亡父も完全主義者であり、またエンジニアであったから何事も明快であることを好み、ダメなものはダメ、不純なものはダメ、10の力をもっていれば12の結果を出そうといつも頑張っている。食事のときなど、よくそんな風に語っていたことを覚えている。「これではいかん」という典型であったわけだな。父は胃腸を壊し、それがガンになって50代で世を去ったが、当時はまだ鬱病という概念が確立していなかった。自分のことを不甲斐ないと認識していたに違いない。そうであれば、気の毒だったなあと改めて感じるし、小生が話しがいのある相手として父の聞き役をつとめることができなかったことが、今なお悔やまれるのだ。
それにしても、テレビもこうなると正に<公害の垂れ流し>であるな、と。何とかならないものであろうか。ニュース報道は全面的に自粛して、1日6時間程度、人畜無害のドラマとバラエティだけを流す。あとはCMと音楽を流す。これで、十分、社会に貢献できるのではないだろうか?
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