2013年1月24日木曜日

国のために命を投げ出す企業戦士とは・・・

アルジェリア人質事件の日本人犠牲者がとうとう10名になった。誠に痛ましい事件であり、遺された家族はまだ信じられない気持ちであると思う。その心情を憶測するだけで一掬の涙を禁じ得ないのは一人小生だけではあるまい。

民放TVのニュース番組では、比較的名前の知られたキャスターが「亡くなられた方々を企業戦士と呼んでいます。日本のために外国で頑張っておられる方達のおかげで私達の平和で豊かな生活が守られているのです・・・・」、まあこんな調子で悲しむべきニュースを伝えていた。

しかし、どうもへそ曲がりの小生は、上の文句がすんなりと耳に入ってこない。

<企業戦士>と呼ぶのはまあいい。まあ、いいのだが、だとすると今回のテロ攻撃による死は即ち<戦死>であって、国ないし国に代わって忠節を捧げていた組織に自らの命を投げ出したという解釈になる。アナウンサーがいうように「日本のために」頑張っていたのなら、国のために、国を思って、無念の戦死を遂げたということになる。それが事実なのかと小生は思ってしまう。

日本のために命を捧げた人たちがいる。国に残っている我々が辛抱しなくてどうするのだ?聞き飽きた台詞である。責任を現場の人間に負担させ、死を名誉と言いくるめ、幸福への願望を臆病と非難する。こんな風にマネジメント・ミスを隠蔽する指導層の愚行は日本人には周知のはずだろう。

やはり日本は、現場が優秀である反面、トップが無能である一例としてみるべきではないだろうか。原因を追求するべき事故死を<名誉ある戦死>などと考えるとすれば、それはモラルの退廃、知性の衰えである。

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