昨日は卒業制作前のグループワークがあった。小生はビジネスプランニング・コース担当だから、名々が自分の事業企画書を説明するのを聴いていた。この段階に来ると<教える>ことはせず、ただ気がついた点をコメントするに止めるのがルールだ。
小生: モノを作って販売するのではなくて、頭に浮かんだアイデアを売るというビジネスが可能なはずですね。ただアイデアを公開して、オープンに誰でも利用できるようにすると、フリーライダーが必ず出てきて、正直に手数料を払う人の損になります。複数の人に同じアイデアを提供するとしても、複数の人に提供したということを伝えないと、損害を与えるかもしれませんね。アイデアを発信したい人と、他の人のアイデアを参考にしたい人をつなぐニーズはあるのだけれど、それをビジネスとして成立させるためには、何かの工夫がいるよね。
学生: そうなんですよね。そこが難しくて・・・
小生: 必ずしもアイデアを提供した人が、そのアイデアを使う人からお金をもらわなくともいいのではないですか?そのアイデアを使ってもらっていることを知るだけでも満足する。そうは思いませんか?
学生: それはそうかもしれません。自分のアイデアで利益をあげられるかもしれないと思えば、第一、他の誰でもが見れるように公開はしませんよね。
小生: そう。自分でやっちゃうはずです。だから、誰かに自分のアイデアを提供したいという人は、たとえ無償でも役に立っていることを知るだけで満足するとも思われますよ。
学生: でも成功報酬という形は大事ではないでしょうか?それをどう実現するかという点が中々わからなくて・・・
小生: アイデアは頭脳の働きですよね、絵は感性の働きでできあがります。私も時々のぞくのですが、Art Meterというサイトがあってね、たとえば旅先で何気なく描いたアマチュアの人の絵も、このサイトに絵の画像を送って査定してもらうと、自分の絵が公開されて、これを欲しいという人が出てきたら、自分の絵を売ることが出来るのです。誰かの感覚に自分の絵がマッチして、その人の心を慰めることができるって、すごくないですか?たしかに価格という点では、単純に絵の大きさで値段が決まる仕掛けですから、いい絵か、下手な絵か、審査はまあないわけで、その辺は画廊とは違いますけど、それまた良い仕掛けだと私は思いますよ。
学生: そんなのがあるんですね。もうちょっと考えてみようかな。
小生: 自分が提供した作品が何かのヒントになってさ、それで別の人が素晴らしい傑作を描くこともあるかもしれないよね。でも、いいじゃないですか。作品なり、アイデアを公開しておいて、その後に誰かがそれに刺激をうけて、新しいものを生み出すとして、それが当たってカネをもうけるとして、その時になって「自分の作品の貢献を評価してくださいよ」と言う人はいるでしょうか?まあ、いるかもしれないけど、いるとしても作品を公開しておいてから、そういう言い分はないだろうと私は思いますよ。自分のアイデアを公開したら、その後は他の人の何かの役に立ってくれたら、それで十分満足する。そう考えるべきなのではないですか?
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F4に水彩で描いてみた習作で、画中に虹を入れたいと思っているのだ。ただ虹というのは難しい。一回り大きいF6で試している。
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小生がずっと愛用してきたエディターはEmacsである。言うまでもなくGNU(=グニュー)プロジェクトを創始し、Free Software Foundationを主導したRichard Stallmanの作品である。何か原稿を書く時はEmacs+YaTeXで通してきた。
小生、ビジネススクールに勤務する身であるにもかかわらず、著作権や知的財産権という言葉には(心の奥底では)冷淡な眼差しを投げかけているのを自覚するし、中国でミッキーマウスが無断で使用されているのをみて、それは著作権の無断使用にあたると声高に唱えるディズニー本社には『誰でも模写できる程度のものなら、もう無料で公開しなさいよ』と言いたくもなるのだ、な。まるで室町時代の日本で流行した<関銭>と同じだ。道路は社会インフラであり、公共財産という観念がないと、当事者は何であれ独占して、地代や手数料をとろうとするのである。
モノの製造には、インプットがあって、はじめてアウトプットがある。しかし科学や芸術の本質は、モノではなくて、頭脳・感性だ。頭脳と感性の発露はすべて人類共有の財産として、無料で使うのがオーソドックスだろうと(ホンネでは)思っている。<知的財産>は、先進国の国家戦略であり、その戦略が追求する目的は先進各国の国益である。
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