2013年1月20日日曜日

日曜日の話し(1/20)

昭和の大横綱・大鵬が死去したというので地元の道新は一面トップをさいている。小生も訃報を聞いた時にはそれなりのショックと一つの時代が終わったような感覚を感じたから、一人の関取の死をトップで報道しようとする姿勢も何となくわかるのだな。

少年時代にはよく相撲中継をみた。10日目頃から大関たちとあたるようになる。栃光、栃ノ海、北葉山、佐田の山ときて千秋楽には柏戸とあたる。そんな記憶がある。戸田との取り組みはまだ覚えている。見ていた側からは負けたとしか見えなかった。亡くなった父が一緒に見ていたかどうかは覚えていない。そこでこの一戦があった昭和44年の三月場所開催期間万年カレンダーをみてみると、大鵬が戸田に負けた二日目は、3月10日月曜日だったことがわかる。してみると、父は仕事があったはずであり、当時はもう本社勤務だったはずだ。急いで帰宅しても取り組み時間には間に合わない。やはりリアルタイムでは、父は大鵬・戸田戦を観てはいなかったはずだ。NHKのニュースででも観たのだろうか。父も「負けたなあ」と話していたように覚えている。それが誤審であったと後できいて、思春期だった小生にはいかにそれが酷い話しであるのか、ピンと来なかった。「本当は勝っていたんだよ」と言われても、そうかやっぱり勝っていたのかと安心したものの、理解はできないものである。まして45連勝でとぎれたんだと説明されても、それはおかしいとしか考えられない。「世間のルール」というものを年若の者はよく知らないのだ。

確かに記憶に残る同時代人だった。少しでも関係のある人たちは淋しくなること限りないはずだ。小生ですら「大相撲は終わりだねえ」と感じたくらいだから。もちろん「終わり」と言っても、相撲という形自体がなくなるはずはない。それは現代日本において今でも能や歌舞伎が愛され、文楽もそれを観た人に感動を与えている、剣道も現代スポーツとして残っていることからも明らかだ。終わりだねえと云ったのは、明治に始まる興行形態が、もういまのままでは収まるまいという展望のことである。


Constable, Salisbury Cathedral from the Meadow, 1832

虹を描いた絵画作品は意外に少ないものだ。前の日曜日に登場してもらったターナーの同時代人であるコンスタブルは、小生が高校時代にモネと並んで、ターナーと劣らず愛好していた画家である。特に亡くなった母は穏やかな画風が好きだったのでコンスタブルの作品を画集で見て「いいわねえ、心が落ち着くわ」と、そんな風に話していた。19世紀中頃、1850年を境にして、前半はイギリスでコンスタブル、ターナーが活動し、ありのままの自然が芸術のテーマであることを唱え、後半になるとフランスのミレーやルソー、それにコローもまじえたパリ近郊・バルビゾン派の人たちが自由な目で明るい陽光と人間生活を描き始めた。

美は理想の世界、古典の中、規範の中にあるのではなく、眼前の自然の中にあるという目線だな。永遠の美が「ほら僕はここにいるよ」とささやく声を聴けとゲーテが云っているのも同じだ。現実を否定し、永遠の理想を求めるより、あるがままの現実を愛し、現実の中で開くべき自分の花を咲かせようと努力する生き方は、小生、とても好きだ。これが、小生のもう一つの信条でもある厭離穢土欣求浄土と正反対ではないかと言われれば、それは全くそのとおりで、ちょっと頭の中では整理できてはいないのだが。

そんな風なので、いまでもコンスタブルの絵画をみると、懐かしいばかりではなく、安らぎを感じるのだ。

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