2018年12月29日土曜日

「反論はこうでないといけない」という一例

アメリカ金融市場で長短金利が逆イールドになったというので、景気後退が近いという警戒感が高まったことは記憶に新しい。

小生もFREDが提供しているデータサービスで長短金利のスプレッドを定期的に確認するのが習慣になっている。

ところが、この「常識」に対して最近になって異論・疑問・反論が結構多く投稿されている。これはなにも経済関係の話題に限ったことではない。

ではあるが、そのほとんど全ては「僕はそうは思いません」という式の主張であり、演繹的な証明も観察事実の指摘もないままに、「そうは思われないのです」という結論が述べられているだけの投稿が多い。

「思いません≒わかりません」かもしれないし、「思いません≒思いたくありません」かもしれない。もしそうなら率直に「・・・については研究したことがなくわかりません」、「そうなっては困るので、そうは思いたくありません」とシンプルに書けばよいだけである。そんな風に思ってしまうことがママあるのだ、な。

ただまあ、ブログというのは覚え書きや文章修行には格好のツールでもあるので批判するつもりはまったくないのだ。人さまざまである。

★ ★ ★

ロイターに以下のような文章(=報道?)がある:
[ロンドン 21日 ロイター] - 国債の利回り曲線で長短金利差が逆転する「逆イールド」は、米国では景気後退の予兆として極めて高い信頼性を誇る。しかしドイツや日本など米国以外の主要経済国ではそれほどでもない。 
米国債は先に2年物と10年物の利回り差がわずか9ベーシスポイント(bp)と、2007年以来の水準に縮小した。経済指標が弱いにもかかわらず、米連邦準備理事会(FRB)が利上げに傾いているとの懸念が広がったためだ。 
米市場の影響力の強さもあり、米国以外の国でも利回り曲線はフラット化が進み、ドイツでは2年ぶりの水準近くまでフラット化した。
米国では景気後退前にはほぼ必ず逆イールドが発生しており、この例から外れたのは過去50年間で1回しかない。 
一方、米国以外の状況は異なる。例えばオーストラリアは1990年以降、逆イールドが4回起きたが、その後景気後退に陥ったのは1回だけ。他の3回は成長鈍化にとどまった。 
日本は1991年以降、一度も逆イールドが起きていないが、その間に何度も景気後退に見舞われ、2014年には消費税率引き上げを受けて景気が大幅に悪化した。実際のところ、日本では利回り曲線と景気後退の間に相関を見出すのは難しい。 
英国では利回り曲線と景気後退に相関はあるが、米国ほど強くはない。1985年と1997年に逆イールドが発生したが、その後1年以内に景気後退は起きなかった。 
ドイツDE2DE10=RRでは2000年代半ばと2009年に逆イールドが起きた際、景気後退に陥った。一方、2012年の欧州債務危機の際には、景気後退には陥ったが逆イールドは発生しなかった。 
欧州最大の債券市場を持つイタリアは今年、政治危機などを受けイールドIT2IT10=RR が2011年以降で最もフラット化した。ただ2000年以降をみると逆イールド後に景気後退となったのは5回のうち1回だけだった。

(出所)Reuters、2018年12月29日 08:17配信

逆イールドはアメリカ経済に関する限り経験的に安定して確認されている景気後退の予兆であるが、その他の先進国では必ずしもそうは言えない、と。具体的な観察事実が淡々と示されている。

であれば、アメリカ以外の国に住んでいる人が自国の傾向を念頭に置きながら『逆イールドが景気後退の予兆であるとは思わない』と言うとしても、そのことは極く自然なことである。「私の国に関する限りでは」という枕詞があれば、もっと正確になる。

国が違えば、生産性上昇率も違うし、高齢化の進展度合いもまた違う。経済常識は国ごとに別々で、一律には言えないものだ。

ただ反証を示せば、決定的な反論になる。それで足りる。反証が重なれば常識は覆る。こうでないといけない。

2018年12月27日木曜日

待ってくれないのは親ばかりにあらず

いわき市勿来に住まいする弟の妻が突然の病気で身罷ったのは2016年1月31日の夜のことであった。

2月1日の朝、弟から電話があり、その声音から何かが起こったと予感したその矢先、亡くなったのだと電話の向こうから伝えてきた。

こんな場合、現実の世界は日常を脱して舞台であるかのように感じられるものである。来月末で丸三年か・・・。

この10年余弟たちがずっと暮らしてきた勿来に移る前、最初に何年か暮らした秦野市から気候の厳しい信州木曽の大桑村に強引に転職し引っ越したとき、さすがに心配になり、北海道からフェリーで新潟にわたりそこから金沢、飛騨高山を通り、妻籠、大桑村へと車で走ったことがある。その時に撮った写真が、弟家族一同が映っている写真としては、唯一小生の手元にある写真である。

ずっと年若であったので油断をしたのだろうか、義兄らしい話はほとんどしたことがない。信州に旅した時も弟達は仕事で宿に来るのが遅れあまりゆっくりと話すことができなかった。話すことがあまりないままに先立たれてしまった。

得てして浮世と言うのはこんな塩梅である。人生の味は相当塩味がきいているとは言うが、ききすぎであると思うことも多い。

妻籠にて 宿ともにせる はらからの
     妻にてありし ひとぞなつかし

その弟宅の長男は音楽教師を志していたが、この秋、茨城県内の某高等学校の臨採講師に採用され、職業生活のスタートをきることになった。
僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
まだ若い時分に高村光太郎がこの詩句を創ることができたのは小生にとっては奇跡に思える。

メモ: 戦前期の日本語の現代性と軍人文化の退行性

高村光太郎の詩作品は以前から気に入ってはいたが、それほど頂上を形成するほどの作品であるようには感じられなかった。ところが、口語による単純な表現が最近になって分かるようになったのは不思議なことだ。

同じことをずっと言いづけている友人の真意がある時点にさしかかって突然にわかる経験は誰にもあると思うのだが、それに似ているかもしれない。

『智恵子抄』は現代の相聞と称されているが、その中の例えば冒頭の作品から最初の2行を引用すると
いやなんです
あなたのいってしまうのが―
この感性は21世紀の現在でも通じるのじゃあないか。

かと思うと、
僕はあなたを思うたびに
一ばんぢかに永遠を感じる
僕があり、あなたがある
自分はこれに尽きてゐる
これも平仮名字体の旧さを除外すれば、来年の朝ドラ台本に登場してもよいレベルの現代的な日本語表現だと思う。

前者は明治45年7月。後者は大正2年12月の作品である。西暦にすればそれぞれ1912年、1913年だから100年以上も昔になる。

ところが、これに対していま北岡伸一『政党から軍部へ』(中公文庫『日本の歴史』第5巻)を再読しているのだが、ちょうど昭和恐慌で民政党内閣が退陣し、犬養毅内閣が発足した際に陸軍省の永田鉄山が政友会の政治家・小川平吉に出した書簡が引用されている:
満蒙問題、部内革新運動の横たわりある今日、同氏(=宇垣一成系の阿部信行)は絶対に適任ではありませぬ。此点御含置を願います。荒木中将、林中将辺りならば衆望の点は大丈夫に候。此辺の消息は森恪氏も承知しある筈です。
出所:同書、184頁

そう言えば亡くなった祖父からは戦前期の公文書は毛筆で書き、それも候文だったと聞いたことがある。 上に引用したのは1931年のことだから、高村光太郎の詩句から約20年も後である。

大正3年(1914年)に夏目漱石は学習院大学で講演「私の個人主義」を依頼された返信として次のように書いている:
・・・承知いたしました。私はどちらでも構ひませんが早い方が便利で御座いますから11月25日に出る事に致します。然し時間について一寸申上げますが3時からだと4時か4時過ぎになる事と存じます。・・・
(出所)夏目漱石全集第15巻(昭和42年版)、409頁

多少古風さが残っているが極めて現代的で率直である。

1930年代の軍部で当たり前のように使われていた日本語表現がいかに古く、この間の(当時からみれば)「現代化」といかに無縁であったかがわかる。その人の言葉はその人のスピリットを伝えるものだ。夏目漱石や高村光太郎よりは一世代若い世代ではあるものの、昭和の軍人は狭い専門家の社会で夜郎自大となり教養面の相対的劣化が顕著に進んでいたのだろう。

これはもうエリート意識と言うより、一般社会から隔絶された中で無自覚の化石化現象、退行性の高まりが内部で進行していた現れだと言うべきだ。

はやい話しが、戦前期の権力機構の内部は最後はバカばかりになってしまっていた、というのが厳しい現実であったに違いないと、そう推察できるのだが、そのことがリアルタイムでは「まさか」という感覚で誰にも分からなかった。様々な参考書を読む限り、そう想像するのが、仮説から確信へと変わってくる。

今日にも関連する問題意識は、それは何故か、という問いだ。

2018年12月23日日曜日

一言メモ: 何かを提案するときの鉄則

色々な提案をしてきた。説得に声をあげたこともあるし、説得されてしまったこともある。相手が慎重で納得してくれないときに大声をあげて怒鳴ってしまったこともある。声をあげるのは自分の無能を示す証拠でしかなく、年を経るごとにその記憶がよみがえり、汗が出るほどに恥ずかしい思いがつのる。

今になって、何かを提案・説得する時の三つの鉄則が心にしみてくる。

第1はロジック。
第2はモラル。
第3はマネー。

まず理に適うことを提案するのでなければ、はなから相手にされないものである。「なぜそうするのか?」という問いかけは所謂「戦略的合理性」のことであり「目的」を問うものだ。「そうするのが賢明だ」という論理は万国共通の根拠である。

しかし、理に適ってはいても「それは正しいやり方とは言えないだろう」という指摘に耐えられないような非倫理的な選択をすると、やがて自分にはね返ってくるものだ。ロジックだけで行動する人は時に危険でもある。

「それは決して得にはならないよな?」というダメ出しも強烈である。いかに理に適い、モラルにも沿っているとしても、自分の利益、つまりはカネにならないことを永遠に続けるのは無理である。協力者が必要なら、協力者にとって利益になること、損にはならないことを持ち掛けるべきである。

Logic+Moral+Moneyの三つを最近は<LMM>と略して意識の中心におくようにしている。実際の現場では<M➡M➡L>のように逆向きで検討されるのだと思う。

2018年12月20日木曜日

覚え書: 「国民性」についての思い出話し

ずっと昔、父と母がまだ元気で毎日夕方5時には工場で生産管理をしていた父が帰宅して、家族そろって夕食を囲むことができていた頃である。その頃、小生は何かの本で国民性の違いに関する寓話を読んで、さっそく自転車操業よろしく食事時にその話をしたのだ:

イギリス人とフランス人とドイツ人の性格の違いを伝える面白い話があるんだよ。どこかの大学の最終レポートで先生が動物の「象」に関するレポートを書いて出すように言ったんだって。教室にはイギリス人もフランス人もドイツ人もいたんだけど、イギリスから来た学生は『インドの象狩りの現状』っていうレポートを出したそうだよ。で、フランス人は『象の恋愛と生殖行為に関して』ってテーマで書いた。ドイツ人は『象の体内諸器官の構造に関する哲学的論考序説』という標題の大論文を提出したって言うんだよ。

東京オリンピックが開催された昭和39年の当時、父はまだ30台であったが、社の上層部に何かの縁で気に入られたのだろうか、新規事業調査を名目にヨーロッパからアメリカを回ってきたことがある。まだ外貨持ち出し制限があった頃の話だ。ドイツのウィースバーデンに所在する名称は忘れたが、父の一行が訪問した企業は、その後も再訪する機会があったらしく、しばらくの間、家の中にはドイツから買って帰った土産品が幾つか飾られていた。そんな趣味を持っていたので、小生が話した上の寓話は父も非常に気に入ったらしく、『うん、そんなところは確かにあるナア、ある、ある』などとご満悦だった。多分、ドイツ人と意見交換をするときに、先方の粘っこい、話しが遅いうえに理屈っぽい気質に辟易とさせられていたのかもしれない。よく言えば、理路一貫して話に矛盾がないというところでもあったのだろうが、事業化できるのか、儲かるのか、どうも要領を得ないという感覚もあったのかもしれない。ま、その事業調査がどの程度まで有効であったのか、子供であった小生には今は知りようがない。

いま思い出してみると、イギリス人の発想は基本的に具体的であり、いかにも経験に基づく知識を重視する英国流帰納主義を伝えている。それに対して、フランス人のレポートには意表をつく着目によってそれまで見過ごされてきた本質を明晰な形で露わにするフランス流のエスプリが窺われる。そしてドイツ人のレポートからは何よりも論理的一貫性を重視し断片的な観察よりはシステマティックかつアプリオリ(先験的)な形而上学を好むドイツ人の潔癖さが見てとれる。いま両親がまだ健在で、上の寓話を覚えているかとまた話すことが出来れば、実は簡単な話に案外に深いメッセージがこめられていたことにも話が及ぶのではないかと。そう思ったりするわけだ。

そして、その当時は何か下らないとまでは言わないにしても、レベルが低いなあと感じた英国流のファクトファインディングが実は最も健全で、堅実な知識である、と。小生はイギリス人学生のレポートに最も高い点をつける、こんな点にも触れることができただろう。

日本でもブログが花盛りで、たとえばBLOGOSなどを見ると、色々な視点から多事争論的な場が形成されていることがわかる。ただ、概観して思うのだが、そこに公開されている優に過半数の意見は『自分はこう思う』という式の判断なり、判定であって、こんな事実が観察されるというファクト・ファインディングは少数である。

このケースについては自分はこう思うという意見をブログで公開するという行為は、それ自体としては「主張」であるのだが、それには正当性の根拠なり証明がいる。それには数多くの具体例に基づく帰納主義的な、もしくは統計的な発想をとるか、でなければ一般的に認められる大前提から演繹的に結論を導くか、そのどちらかの方法がありうるわけだが、どうも日本国内では「こんな似たケースがあり、その時にはこんな結論を得ていた、その結論を変更するかどうか」という議論よりは、「民主主義は善である」とか「パワハラは悪である」といった大前提を無条件に認めて、あとはロジカルに議論をする、と。そんな構成が非常に多い。

現実の世界では無条件に認められる大前提は本当にあるのかが正に問題の本質のはずなのだが、大前提自体の考察がなされている投稿はネット上にも実は少ないように小生は感じている。ここが徹底的に掘り下げられていれば、ドイツ流の『哲学的論考序説』になるのにネエ・・・と。そう感じることは多い。

2018年12月15日土曜日

余計な一言: 極端な「得点主義」、「学力主義」は戦前の陸海軍と同じ

本日の投稿の主旨は標題に尽きている。

戦前の帝国陸海軍は極端な試験重視主義、得点主義で知られていた。

海軍兵学校の入学試験は1科目終わるごとに得点が公表され、基準に達しない者から順に脱落していく仕組みだった。この話題は小生の亡くなった父の何よりの好みでもあって、『最初の科目は数学だったんだ、数学は出来不出来がハッキリ出るからな、1点でも足らないと駄目だ。明らかに失敗した連中は試験が終わった直後にもう諦めて帰っていったもんだ』などと夕食時によく痛快そうにワッハッハと呵々大笑しながら話していたものだ ― 海兵卒でもなかった父がなぜそれほど海軍の入試に関心を持っていたかは分からずじまいであったが。

陸軍の方の得点主義も相当なものであったそうで、陸軍大学の卒業席次は在学中の試験の得点で決まり、その得点は課題に対して本質を探るというより正解パターンにどれほど沿っているかで決まっていたそうだ。これまた父の好んだ話題であり『陸軍で上にいって参謀にでもなろうとすりゃあ、そりゃ目から鼻に抜けるような頭がないと駄目だったそうだ』と。

『目から鼻に抜ける』ような才能は、創造力や発想力ではなく、問題を見た瞬時のうちに速やかに正解に至る才能を指していたことは現代の日本人の感性にも通じるのではないかと思っている。

***

東京医大の「不適切入試(それとも不正入試?)」を埋め合わせるための再判定で、再び不合格となった人たちに同情が集まる中、得点が足らなかったにもかかわらず、幸運にも入学を許可され在学している人たちへの反感(?)やらヤッカミ(?)もネットには書かれているとのこと。

不思議なのは、ただひたすら「得点」に執着する多くの人の感覚に対して、「得点だけで合否を決めちゃあいかんのじゃないですか?」という意見がさっぱり出てこないところだ。

敗戦への道をたどった戦前の軍国主義を批判する時には「軍内部の極端な得点主義」を問題視する人が、現在の医科大学には「あくまでも得点によって判定せよ」と主張する、もしそうなら矛盾しているではないか。

筆記試験の得点に過度にこだわるのは決して賢明ではない。いや、「賢明ではない」というより「選抜方式として実質的な効果がない」と言うともっと正確かもしれない。それは直感からも経験からも分かることだ。

大体、1日か2日程度の筆記試験などはそれほど安定的でロバストな評価方法ではない。よく言われるのは「もう一度試験を行えば、合格者の下半分は入れ替わる」というもので、これはほとんど経験則でもある。実際に複数回の試験を行って授業の成績評価をした経験のある人であれば、これはもう自明の事実である。

「合否は総合評価によって行う」という文言はあまりに漠然としていて、不親切であるが、8割程度の要点はこの文言の中に含まれている。

極端なことを言えば、100点満点中、90点以上の得点を得た受験生は即合格、それで募集定員の3割を確保する(もし不足があれば80点以上に広げる)。残り7割のうち5割は、70点以上の得点を得た受験者から  ― ハードルが高すぎれば60点以上でもよい、要するに得点分布上のマス部分はすべて抽選対象とするという意味合いだ  ―  クジ引き抽選で選ぶ。特別の考慮事由をもつ受験者は合格のための最低基準点を設けこれを上回れば自動的に合格(ただし、特別枠は2割までとする)。こんな方式でも入学者の学力管理上、何も問題は起きないだろうと小生は確信する。

1点にこだわる性癖は、1円にこだわる金銭感覚にどこか通じるものがあり、几帳面さが窺えるものの、実質は不毛であると小生は感じている。

2018年12月12日水曜日

メモ: 米中対立の「分析」になっているのだろうか

カナダ当局が中国の通信機器大手「華為技術(=ファーウェイ)」の副社長を拘束し、アメリカが身柄引き渡しをカナダに要請しているかと思えば、今度は中国がカナダ国籍の元外交官を拘束した。

これについては国内紙で次のような見方がある:
こうした中国の姿勢について、北京の外交筋は「力でかなわない米国ではなく、その同盟国を攻撃するのが常とう手段だ」と指摘する。在韓米軍が2016年、北朝鮮のミサイルを迎撃する防衛システム「最終段階高高度地域防衛」(THAAD)の韓国配備を決定した際も、中国は韓国系スーパーの営業停止措置を取るなど韓国たたきを展開した。 
 ロイター通信が報じたカナダの元外交官の拘束も、カナダへの報復との見方が出ており、両国の関係悪化は避けられない。
(出所)YOMIURI ONLINE, 2018-12-12, 00時03分配信

正面の主敵がアメリカであると認識していながら、そのアメリカが怖いのでアメリカの同盟国に対して報復する・・・と。

こんな下手な戦略を中国が採っているという見方は「分析」の名に値しないのではないか。

誰が発案しているのかサッパリ分からないが、カナダとの関係悪化を誘発すれば、喜ぶのはアメリカである。中国に分からないはずはない。

それともアメリカが中国を圧迫すれば、中国はこのような行動を選ぶだろうと予測したうえでのアメリカの戦略であったとみれば、これはアメリカによる絵にかいたような「間接アプローチ」になるが、これ自体はまるでエクササイズのような簡単な問題だ。

マア、あれやこれやと中国側の深慮遠謀を解説したくなる向きもあるだろう。が、最初の感想としては、中国は敵対する超大国を相手にパワーバランス外交を展開できるだけの戦略的理論や覚悟、経験など、必要な国家的成熟度が十分なレベルに達していないのではないだろうか。そんな印象が先に立つ。

だとすれば、何をしでかすか分からないネエ・・・

そんな印象だ。

2018年12月10日月曜日

メモ: これも新語のはず「芸能人」、「公人」

『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズのファンである。最終巻も発売直後に既に読んでしまった。先日、実写版映画が公開されたのだが、地元のシネマフロンティアでは上映されておらず隣のS市まで行かなければならない。雪が降り始めるとそれが億劫だ。まだ観ていない。

ところが昨日、書店の中を歩いていると、読んでいない巻が出ている。パラパラめくってみると、主人公夫婦に娘が出来ているようだ。それで、早速買って読んでいるのだが、その第2話はゲーム本をめぐる話しだ。読んでいくと「スファミ版」などという単語が出てくる。「アアッ、スーパーファミコンね!」と気がつくのに一瞬かかってしまう。小生の家族たちもファンであり、ファイナルファンタジーも一日中やっていたが、その当時「スファミ」なる言葉は子供たちの間でも、TVでも使われてはなかったと思う。

これは新語じゃないかと思うのだ、な。

「新語」といえば「芸能人」。この「芸能人」という単語も、小生の幼少年期にはそれほど使われてはいなかったような気がする。もちろん雑誌『アサヒ芸能』が昭和20年代からあったわけで、「芸能」という言葉自体は存在していた。しかし、「芸能界」も「芸能人」も極々狭い意味付けで使われていた言葉であったように記憶している。

「文化人」でも「文人」でもなく、「芸能人」・・・。確かに昔はなかったと思う。

***

ずっと以前に東大生の「芸能人化」について投稿したことがある。確かに芸能業界の社会への浸透ぶりは甚だしいものがある。知り合いの▲▲さんが、何か役に立つ提案をしたというのでニュースになり、いつの間にか「芸能界入り」をする、本人もその気になっている、というケースも珍しくなくなった。

でもネエ・・・

小生の感覚では映画俳優や女優は芸能人だが、ピアニストや日本画家は芸能人には入れない。まして「芸能界」という単語は広く使われる言葉ではなかったと思う。

一体、この「芸能界」というのは、いかなる「界」なのか?昔からあったのか?

ある日のワイドショーでは「芸能人も公人ですからネ、身を慎まなければなりません」などと吃驚仰天するような言葉も出てくるようになった。

小生の感覚では、絶対にこんな発言はできない、原理的に不可能だと思ってきたのである。

***

俳優や女優なら不倫、離婚、失恋等々、人生のあらゆる悲哀や冒険を経験した方が深い人間表現ができるというものだ。分からない事は表現しようがない。だから人間の表現を生業にしている人は人間修行を名目に諸々の不道徳に挑戦したものである。「これも芸の肥やし」というわけだ。この種のモチベーションは、作家、詩人にも共通する部分がある。特に日本の小説は私小説だから何を書くにも自らの経験の裏打ちが求められていた。リアリティが重要であったわけだ。なので作家と愛人は縁が深い。文豪による不倫もあった。心中事件も何度かある。想像するだけでは当事者の心理描写などできるわけがないのである。

三島由紀夫が『不道徳教育講座』を作品化したのもムベなるかな、である。「教師をバカにすべし」、「人に迷惑をかけて死ぬべし」、「弱いものをいじめるべし」等々、真の意味でこの現世を生きるというのはどういうことなのか。真剣に考える立場に立てば、浮世を無事に生きることを第一の願いとする凡人たちを縛る倫理・道徳は、それ自体に価値があるかどうかを疑ってもよいのである。いや、何事も疑わなければ本質には迫れない。

なので『芸能人も公人ですからネ、身を慎まなければなりません』という発想は、小生の感覚では<あり得ない>というわけである。

***

この世界の本質を理解しようとすれば、非日常に正面から向き合うことが不可欠だ。本質に迫るという点では、音楽、美術も同じである。やはり平凡なモラルを杓子定規に当てはめて理解しきれない人物が多い。

ノーベル賞級の科学者には凡人にはついていきかねる個性をもった天才が多いが、この道理は、真理を探究する人に限らず、美を追求する人、人間存在の本質を極めようとする表現者など、超日常世界に従事する人には共通してみられることではないだろうか。

こういう人たちは世間でニュースになりやすい。ニュース舞台に登場する人は全て「芸能人」。そう呼びたいなら呼べばいい。

しかし芸能界が日常世界に浸透すればするほど、芸能界にもまた日常世界が浸透した。芸能界もまた日常世界の一部になり、芸能人も普通の平凡な人、常識を弁え、人を気遣うデリケートな心をもって、自己を主張しすぎず、他人に流されない、バランスのとれた人。そうあるべし、ということになってしまうのだよ・・・と。これが小生の少年期から初老の今までに起こった変化だ。

かつて俳優や女優が平々凡々たる庶民と同じように見られていたことはなかった。私生活を知る人は極々少数だった。文豪や天才詩人は凡人には理解し難い存在であり、ただその作品に感動するという存在だった。なので、凡人を縛る倫理道徳で彼らを縛ろうなどとは発想もしなかった。天才科学者がいる場所も毎日のライフスタイルもほとんど誰も知らなかった。

いくら一人当たりの実質GDPが世界の中位程度でしかなくとも、日本の社会は一色ではなく、現実と夢、あちらとこちら、平凡と非凡、表と裏、光と影、昼と夜・・・住む世界は幾つもに分かれていた感覚を記憶している。その後、日本社会は一億総中流社会になった。その残像が消えぬ間に、格差が拡大した。拡大しても元には戻らなかった。

***

まったくネエ・・・

本来は非常識を旨として生き様を見せるべき人間集団が、芸能事務所と契約し、芸能界に入り、「芸能人」となることで、その実は「普通の人達」と同じ平面に立ち始めて以来、「世間でも通用する人物であれ」などと言われるようになった。

芸能人も公人ですからとは・・・。品行方正な人間たちが増えすぎたのが近年の日本ドラマが人畜無害で、全然面白くなくなった原因か・・・

公人とは「公務員」から「務」の字をとった言葉だ。要するに、業務には従事していないが、公務員のような存在。そんなニュアンスをつけた言葉だと察しがつく。

この「公人」という言葉もなかったネエ、昔は。あるにはあったかもしれないが、少なくとも小生は記憶がない。

2018年12月9日日曜日

また余計な一言: 医大の「不正入試」について

文科省が全国の医大の入試について調査をしていたところ、新たに「不正」と目される例が数件確認されたというので、ニュースになっている。

読めば、「卒業生OBに特別な計らいを加えた」、「地域に残ってくれそうなので加点した」等々、小生の目線からすると「悪意って訳じゃないよネ」というものばかりだ。

違法な天下り幹部や収賄局長を続々と輩出しながら「この医大入試は不正であった」などと、文科省もよく言うわとも感じる。まあ、文科省が「不正」だと言明しているのではないかもしれないが・・・

それはさておき・・・

哲学者カントは『この世界で無条件で善なる存在は善意志をおいて他には考えられない』という意味のことを『道徳形而上学言論』の冒頭に書いている。

アングロサクソン流の功利主義とは真っ向から対立するドイツ流の観念論が明確に打ち出されている。

つまり、倫理的に最も価値ある行為は善を追及する意思自体にあるのであって、偶々そうなるかもしれない結果の良しあしではない、という哲学である。

医大の「入試不正」は、募集要項にあらかじめ合否に係る重要事項を記載していないという点で、受験者に対する情報提供が不十分であった。アンフェアである。マネジメントが不誠実であり良くなかった。その点では非難されるべきである。しかし、当該大学は悪なる行為を隠ぺいしたのだろうか。その動機をみると、報道されている限りは「特に問題ではない」と、小生はそう感じる。

地域にとどまってほしいという念願は地域の大学ならば当たり前のことである。卒業生OBの子弟だから優遇したい。私立大学ならば、OB達の協力があって大学の存続が可能になっている面もあるので、これまた小生は共感できるのだ ― 共感できない人たちの多くは、おそらく当該大学とは無関係ではあるまいか。もしそうなら無関心であればよいのであって敵意を持つべき理由はない。関係者で、なおかつ卒業生OBの優遇に反感を持つのであれば、その理由を色々なところで語ってほしいと願う。それこそ大学を良くすることにつながるだろう。

最近において「コンプライアンス」という用語が乱用されているが、この考え方は(ともすれば)結果が法規に合致していれば、動機や意志が何であっても構わない。形式が合法であればそれでよい。合法で結果が出ていればそれでよい。答えが合っていればそれでよい。こんな発想にも繋がっていきかねないので、小生は本当のところ、この言葉は嫌いである。

本当にあってほしいのは、親切であって、偽善ではない。

2018年12月8日土曜日

余計な一言: スポーツマンの「2トラック生活」は無理かも

韓国・文在寅大統領の対日外交はツー・トラック戦略を基本とする(と報道されている)。即ち、歴史は歴史、未来は未来。従軍慰安婦や徴用工ではアグレッシブに対日批判を繰り返すが、未来に向けては協力したいので、仲良く協議を進めていきましょうという基本姿勢をさす(ようだ)。

ところが、いざ実行してみると相手側(=日本側)からは虫のよいイイトコ取りに見えて、どうやら継続不可能な状態に陥りつつある。

やはり単一の国家の外交理念は一つであるほうが理解が容易であるし、相反した理念を使い分けることなど、最初から出来るはずはないわけである。時に矛盾した言動をとれば、どちらを信用していいかわからないというのは当たり前である。

エンプティな言葉は、どう細かな修飾をほどこしても空虚である事実は隠せないものだ。

綺麗な言葉が独り歩きしても現実の問題解決にはならない。この点は、国家でなく、一人一人の人間であっても同じことである。

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昨年の暮れから今年の春先にかけて世間の井戸端会議はとにかく「貴乃花親方マター」をしゃべってさえいれば放送局の視聴率はかせげたものである。

先日、一年前の日馬富士事件の「被害者」である貴ノ岩関が今度は暴行の「加害者」となって、ついに引退を決めてしまった。

日本古来の格闘技である相撲を健全な「スポーツ」として今後も育成していこうというのが社会の合意であるようだ。そのスポーツの日常風景から一切の暴力を排除していこうというのは、社会全般から暴力組織を排除していこうという努力にも似て、既に社会的合意が得られているようにも見える。

ただ、どうなのだろうねえ・・・これまでに何度も本ブログで投稿したのだが、暴力とは無縁の近代スポーツとして相撲が今後将来にかけて継承可能なのかといえば、小生は非常に困難ではないかと思っている。

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相撲という格闘技は、近代以前、少なくとも江戸時代以前にまで遡った日本社会の慣習や趣味志向を反映しながら、段々と技や動作、舞台が整えられ、現在の姿になった。

大体、日本相撲の発祥を伝える伝説においては当麻蹴早と野見宿禰という二人の神が対戦し、蹴早は宿禰の腰の骨を折って相手を殺してしまっている。こんな伝説をスポーツ誕生の逸話に持っている競技が他にあるだろうか?

肘打ちはタブーだが、張り手やカチ上ゲは可、蹴ってはダメだが、流れの中で蹴りながら足技をかけるのは仕方がない。頭突きも禁止どころか、立ち合いにはガチンコで突進するのが良しとされている。

一般社会においては殴ってはいけない。しかし、相撲では平手で打つのもアリである。ブチカマシなどは社会でやれば暴行だが、相撲ではそうするのが善いのである。

つまり、相撲という競技は、命の危険を減じる方向で様々なルールを取り入れながら、それでも「土俵の充実」という大義名分の下で、ギリギリのバランスをとりながら完成させてきた格闘技である。格闘技という一面をみればスポーツだが、継承されてきた興行という一面をみれば闘牛や闘鶏、鷹狩と同じく伝統文化であるとも言える。柔術は「柔道」となって国際的にも受け入れられやすい近代スポーツに衣替えをした。一方、相撲はまだ丁髷を結い、青龍・朱雀・白虎・玄武の四神を象徴する房の下で闘技を繰り広げている。

相撲は非近代的である。暴力的体質はそこに由来する。しかしながら、何よりも要点になるのは相撲が伝えているこうした荒々しい格闘が日本では「荒ブル神技」としてファンには支持され、多くの人が足を運んで高い入場料を払って観ていることである。相撲を観る人が何よりも嫌うのは、荒事を避けて身をかばう八百長相撲なのである。

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本割、巡業、稽古が終わって、日常生活を送るときは暴力は絶対不可。しかし、相撲の稽古・修行に励んでいるときは相撲道に従う。いわば「土俵内モード」と「土俵外モード」を峻別して使い分ける「ツー・トラック力士生活」を現代社会は求め始めている。

昔はこんな野暮なことは言われなかった。マア、言わんとしている理念はわかる。

しかし、稽古をしているとき、ニヤニヤ、ダラダラしながら見ている若い衆に先輩が張り手を食らわせるのは、これは相撲道の一環であって、土俵外にいる以上は「日常生活」を送っているのだとは言えないだろう。

力士として相撲部屋で共同生活を行い、毎日を送るその生活全体が「常住坐臥これ修行なり」。そういう哲学すらありうるかもしれない。力士に日本人が求める「品格」とは、土俵内モードにおいてはシッカリしてよね、土俵外では自由にしていいからサ、と。そんな事ではないはずだ。

もちろん、真に実力のある力士は年下の付け人を折檻するにしても、殴りはしないはずであるし、優しいはずである。『戦う時には勇猛なるも、土俵を下りれば仁優の人』というのは、日本人が古来理想とする英雄像だが、実際に仁と勇を兼備した人は稀であろう。

『一般社会でも通用する人間であれ』と力士を指導するのは一見分かりやすい。しかし、具体的に、力士はどうあれ、と言うのだろう。相撲部屋の中であっても平手打ちはいけないのだろうか?稽古を見ているときに叱るときも一切の暴力はいけないのか?しかし、勝負となると張り手が飛んできますよネ・・・。矛盾していないか。

こんな「相撲のツートラック化」を押し付けるより、もう割り切って現代社会の日常感覚にそろえて、相撲のあらゆる場面から暴力を完全追放する。この路線の方がシンプルになるはずだ。とすれば、張り手は禁止、頭突きになりうる低い立ち合いは禁止。韓国相撲のように、制限時間がくればやおら立ち上がり、一歩土俵中央に進んで、組み合って回しを引き合い。行司・11代式守勘太夫が「はっけよい!」と叫んでから格闘に入る。ツッパリが顔面に入れば、反則負け。のど輪も危険であるので禁止・・・こんな柔弱なパターンになるなら、サムライよろしく丁髷を結うのもおかしい、この伝統も廃止・・・。となれば、行事の烏帽子も可笑しいよね、廃止。・・・

力士生活のツートラック化は力士を戸惑わせるだけである。あくまでも社会常識と相撲とのすり合わせを是とするなら、ルール自体を改変するしかないのではないだろうか?

小生は現在の相撲界は現状でよいと思っている。相撲界内部の統制は相撲界で継承されてきた道徳尺度で治める方がよいと考える。それは慣習であり、故に今さら成文法に書き起こす必要はない。小生の本音は多様性に積極的に価値を置くローカリズムなのだから、どうしてもこう考える。が、どうしてもその現状が反社会的であると思うなら、徹底的にやればよい。そう提案する方が一貫している。



小生はそう感じてしまうナア・・・今日はこんな一言で。

2018年12月5日水曜日

北海道: 電力については現状変更を迫らないマスメディアの本心は?

マスメディアがいくら非難しても攻撃しても安倍現政権の支持基盤はほとんど変わらない。

野党がなにを言っても、支持率が僅かな数字では無力である。

ということは、逆転の発想をして、メディアが何を言っても、何を語ってもよいはずである。言いたいことを言えばよい。もし言わないのであれば、それは言うつもりがない。そういう推察が出来る。

傍からみていても、マスメディアの本心について様々な仮説が思い浮かぶのが、北海道の電力問題だ。特に電力問題については、報道ぶりに<へっぴり腰>が目に余る。地元読者層の生活に直結するにもかかわらず、どこをみて報道をしているのかと不審に思う程だ。

先日の投稿では次のように述べた:

北海道新聞の現況判断は 

冬の電力安定供給にめど 北電、火発再稼働で上積み見込む 
という見出しに表れている。 

データはどうなっている?ヤレヤレ・・・地元紙がこうだからネエ・・・
本当に大丈夫か?新聞社に命の責任はとれるのか? 

いま朝ドラ『まんぷく』では、米軍による空襲(≒空襲被害?)が増えてきた昭和19年から20年にさしかかっている。街角には「欲しがりません、勝つまでは」、「進め一億、火の玉だ」のポスターがベタベタと貼られている。 

国家的目標もよし、崇高な理念もよし、ただ原理主義者は常に非人間的である。

上でいう<へっぴり腰>というのは、政権ではなく、反原発派に対してであると、小生は仮説をたてているのだ。

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世間には<反原発派=正義>という受け止め方が通用している。<反原発派=公益代表>であり、<原発推進派=企業経営者代表>。こんな通念が世間では案外広く支持されている印象がある。

しかし、反原発が正しく、原発推進が誤りであるというのは、合理的検証を経て得られた結論ではない。そもそも福一事故の総括はまだなお不十分である。原発に限らず、火力発電、水力発電、再エネ発電それぞれのコスト・ベネフィットは広く十分な情報が共有されておらず、社会が望むエネルギー戦略については未決着のままになっている。

まして<脱原発>を進めていくとして、その先に予想される日本の経済・社会・生活・環境について、責任ある機関なり学界から信頼できるシミュレーション結果が公表されたとは、勉強不足かもしれないが、聞いたことがない。聞くのはスローガンであって国内政治やビジネスチャンスに関連する言葉ばかりである。

どこから見ても、日本のエネルギー戦略は大震災から7年たってもまだ未決着である。

未決着であるからと言って、とりあえず世間で声の大きい<原発=失敗>を仮の想定として電力問題を論じる態度は、商業ベースに立てば合理的ではあるが、メディア産業の果たすべき役割とは矛盾している。

単なる未決着なら合理的な解に時間はかかるだろうが収束するかもしれないが、偏ったノイズが選挙運動中の拡声機のように議論を壟断すれば、結論が非科学的になろう。メディアがその片棒をかつぐかもしれないし、片棒をかつぐ役回りとしてはメディアはいつだって最有力な候補である。

ズバリ書いておく:

原発再稼働で九州では太陽光発電買取抑制に追い込まれるような状況が十分予測でき、逆に電力供給状況にリスクがあった北海道でブラックアウトが発生することを予測するべきであったにもかかわらず、なぜ西日本の原発施設が先行して再稼働されたのか?

北海道の地元紙であれば、その背景を取材し、経緯を調査し、安全審査を含めた行政プロセス全般に瑕疵はなかったのか?それを検証をするべきである。

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本日午後のTV某局も
この厳冬期に万が一ブラックアウトが再び発生したとして、実はまだ何も変わってはいないんですよね・・・
その通りだ。珍しく客観的事実をそのまま率直に言っているではないか。

内閣支持率の数字をさえ動かすことのできるマスメディアが、電力政策に何も影響力を発揮できないという情けない現状は、メディアは詰まるところ何もできないということの証拠かもしれない。最初に書いたように・・・。

しかし別の仮説化も考えられる。「いまの現状でよい」と地元マスメディア自身がそう考えている。だから踏み込んだことは言わない。こう推察しても観察事実と矛盾はない。

『正義を主張する党派は常に非人間的である』、上で引用した投稿ではそう述べている。見方は今なお変わらない。

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社会的問題が解決される在り方には二通りがある。

制御された議論と手続きによって解決策を先に実行するか。問題解決が遅れ限界を超えたところで超法規的に、手続きによらず状況に対処するか。いずれかである。 
言うまでもなく、状況に対処する過程で<正しい措置>が選ばれる保証はなく、その時の意思決定者、意思決定者に影響力をもつ人物達の構成によって、成否は分かれることになる。

高橋・北海道知事が来夏の参議院選挙に与党候補として出馬すると報道されたのは、ついにこの2、3日前の事である。

確かに北海道地域にエネルギー問題はリスクとしてそのまま潜在している。文字通り"vulnerable in terms of power"である。

9月6日のブラックアウトに至る北海道エネルギー政策の楽屋裏は今もまだ闇の中である。

上で触れたTVでは

私たちの方でもですネ、いざブラックアウトになったら、手回し発電機を用意しておくとか、そういったネ、一人一人が備えておく。そんな心の準備が求められていますネ・・・

こんなセリフが公共の電波にのって大真面目に放送されるとは・・・絶句する。ブラックアウトを「空襲」、手回し発電機を「竹槍」とリプレイスすれば、そのまま戦時中のラジオ放送に使えるであろう。

いま政策現場とそれを取り巻くマスメディアには退廃のムードが漂っているのではないか。

危ないネエ・・・

2018年12月4日火曜日

随想: 記憶が正しいからと言って、それが真実とは限らない

小生の職業生活を回顧したエッセーを寄稿してくれと頼まれた。

「回顧」とはいえ、逐一編年体で書いていけば幾ら書いても書ききれない。何しろこの間ずっと書き続けていた覚え書きはA4で何百ページになるのか分からないほどだ。縮尺5万分の1程度で思い出をまとめるしか書きようがない。

書いたその下りの中に次の一文がある:
岐路だった。北海道に移住し研究・教育をライフワークにしていくことを考えた。母の死を受け止めきれない中で再出発したいとも思った。
母が病気で亡くなったちょうどその年に小生は北海道に移住して大学生活を始めることを決めたのだ。 上の一文はちょうどその頃の心境を書いたものだ。

***

ところが、書きながら分からなくなった。

今までは、母の死をきっかけに東京の役所には戻らず、北海道に移ったと考えていた。聞かれると人にもそう話していた。

が、そうなんだろうか・・・分からなくなった。

「かくかくしかじかでそうなった」という説明は事実をただ並べているだけである。先にあったことが後にあったことの原因であるとは限らない。"post hoc ergo propter hoc"の誤謬は歴史家が常に自戒しなければならない。

たとえ母が病気にならず、一度は東京へ戻ったところで、小生は役所を辞めると言っては母を驚かせ、カミさんを不安にさせていたであろう。それはほぼ間違いがない。とすれば、母の死によって小生が人生の転機を決意したという言い方は実は嘘であることになる。小役人の生活に鬱々とし、母の健康状態に細かな配慮をすることに欠けた小生の側に事の進展の主因があったとも考えられるのである。

そうなんだろうか・・・

***

ずいぶん昔のことになってしまった。

夏目漱石の小説『三四郎』の中に次の下りがある。"Pity is akin to love"を日本語にどう訳するかという議論をする場面だ。『日本にもありそうな句ですな』と三四郎がいうと、そばに居る与次郎が『少し無理ですがね、こう云ふなどうでしょう。可哀想だた惚れたって事よ』。入ってきた野々宮さんが『へえ、一体そりゃ何ですか。僕にゃ意味が分からない』、すると広田先生が『誰にだって分からんさ』。

直訳すると、『哀れみは恋愛と同種である』といった風になる。WEB辞書には『憐みは恋の始まり』という表現もある。

それぞれニュアンスが違う。厳密には、意味も違う。が、同じ英文を日本語に直すとき、元の意味は「誰にだって分からんさ」というのが、正解と言えば一番の正解であることは、少しでも翻訳作業をしたことがある人ならば納得のできることだ。

そういえば、漱石の作品だったと思うが、「それはどういう意味でしょう」と聞かれて、「どういう意味かって・・・そんな事は言った本人にも分からんさ」と(いう風に)応えるところがあったと記憶している。

小生はこの箇所が大変好きなのだが、どの作品であったか確認できない。