2019年8月17日土曜日

一言メモ: 韓国版「文化大革命」はまだ起きていないのではないか

先日の投稿で「韓国は先祖帰り」をしたのではないかと書いた。「先祖帰り」というなら、本来ならば儒教文化への「先祖帰り」という意味になる。

韓国では儒教的思考法がいまだ支配的であるのだろうか。「何が正しいか」を常に言い続ける様子をみているとそんな印象を受けてしまう。

そんなことを思いめぐらしているうちに、韓国は近代以降一度も伝統的儒教文化を排撃する時代をもってこなかったのではないか、と。そう思い至った。

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日本の明治維新の直後から文明開化の時代にかけては、「欧化主義」、「廃仏毀釈」という言葉がまだ残っているように伝統文化への批判が極めて激しい時代だった。福沢諭吉も「武士道は親の仇で御座る」と書いているし、もっと激しい非難は儒教的思考方式、儒教的価値観全体に対して加えている。儒教的倫理がいかに馬鹿々々しく愚かなものであったかは、『学問のすすめ』の中で「楠木正成=ゴン助」論を展開して思う存分にやっつけているくらいだ。そして実験的事実に基づく科学的思考法を徹底的に支持した。

ただ明治23年の大日本帝国憲法発布以降、明治天皇が成人されるに及んで日本の教育課程の中に儒教的倫理感が織り込まれるようになり、明治は復古の時代を迎える。明治から大正にかけては国際化、都市化と伝統文化が奇妙に混在した社会になる。

中国でも文化大革命の中で伝統的儒教は徹底的に排撃された。そもそもマルクス・レーニン主義というのは史的唯物論に立脚しており、理念中心の儒学とは水と油であったのだ。

北朝鮮はいざしらず、大韓民国において伝統文化が徹底的に批判される時代をこれまで一度は持ったことがあるのだろうか。まあ、持ったというならそれは日本が統治した35年間であったのだろうが、現在の韓国はその時代とは断絶している。それでは現在の韓国文化を支えている思想はどんな思想なのだろう。儒教的思考や儒教的価値観をどのようにアウフヘーベンして今日に至っているのだろうか。

参考文献を探しているのだが、なかなか見つからない。

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