2019年12月14日土曜日

一つの疑問orメモ: 自発的な「社会的制裁」のコストをトラブル当事者に請求できるのか?

女優・沢尻事件の余波はまだ収まる気配がない。

NHKは、沢尻が出演する大河ドラマの全シーンを全て撮り直すことにしたとのこと。そのために発生するコストは、今後、沢尻本人か、所属する事務所に請求することに決めているのだろう。

撮影済みのシーンについては放送するべきだという意見も世間にはあり、全シーン撮り直しというNHKの決定の背後には、途中までは沢尻が登場し、そのあと別の女優に交替するという場合、二人の力量の違いがあまりにも露わになり、ドラマの水準がそこで決定的に落ちてしまう。そんな事態への危惧もあったろうと小生は邪推している。決定に至る楽屋裏の事情はまったく闇の中である。

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女優・沢尻が裁判でどんな判決に服することになるのかはさておき、『法律に違反する行為をした。故に、出演シーンは放送できない。放送できないので撮り直す。撮り直すためのコストは女優本人に請求して当然」というロジックには、小生は全面的には賛成できない。

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今回の薬物摂取行為が法律に違反していることはその通りだ。しかし、「だから撮影済みのシーンは放送できない」と決定する根拠は何か?法令ではそう定められていないと小生は理解している。おそらく、契約上の規定から議論される事柄なのだと思う。

とはいえ、何らかの不祥事を起こしたが故に出演を取り消すという決定は放送局側のみの裁量で行われている。契約のもう一方の当事者である出演者の言い分はまったく聴取されていない。

片方の判断で出演契約をキャンセルし、キャンセルに伴って間接的に発生するコストも全額を取り消された相手側に請求する……、どうも小生にはバランスが悪いように感じられる。

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今回の違法薬物摂取事件を小生はどんな観点から見ているかという点は既に投稿している。

ずっと昔、戦争直後の日本で「ヤミ米」を拒否して餓死した裁判官がおり、それが何と美談になったことがある。では、違法な「ヤミ米」を闇業者から買った事実が露見した公務員は、その時点で懲戒解雇され、そればかりではなく解雇にともなうあらゆる追加費用を負担しなければならないのだろうか。

自発的かつ裁量的な社会的制裁は、あくまでも社会的心理を忖度する一方の当事者の決定である。片方の当事者は法律のみに服する義務を負う。一方の側だけの裁量で損害賠償請求金額を決定するのは自由だが、そこには道理がなければならず、騒動の発端となった片方の当事者の納得が必要だ。

賠償責任範囲の決定は民事裁判の場で行うことが望ましい。

そもそも小生は本ブログでも何度か投稿しているように、「社会的制裁」は即ち「集団的私刑」であると観ているので、これ自体が憲法違反。社会的制裁は違法な現象であると考えている。違法な行為を犯した人物に違法な私刑を加えるのは無法社会であって認められるロジックはない。

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