2019年12月2日月曜日

一言メモ: 結構「天皇」について書き込んでいるものだ

このブログで結構「天皇制」や「天皇」(この二つは別の話題だ)について書いてきていることに今さらながら驚く。

たとえば、これあれなどだ。他にもある。検索をすると意外に多数の投稿が出てくるので驚きだ。日常的に「天皇」について考えるなど、小生の専門分野でもないし、理屈ではあり得ない。それでも関心があったとすれば、やはり日本人だから、というしかないのだ、な。誰でも日本の人は天皇について無関心ではないのかもしれない。

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前の投稿でも書いたように、「正解」がある問題は実はこの世界にはほとんどない。

「正解」と言われているあらゆる解答は、『いまの仮説が使えるならば』とか、『この位の誤差で許されるならば』とか、『ルールや法律で定められている』とか、更には『多くの人はこれがよいと信じている』とか、何かの言い訳|条件|前提|社会的状況などの一言があって、あたかもそれが「正解」であるとされているものだ。完全に正しい議論は、数学や論理学の世界にのみありうるもので、そんな世界は精神的な世界であって現実の世界ではない。現実の世界とは要するにただの「沈黙せる現実」であって、そこに「正解」というラベルが貼られている状態は一つもないのだ。統計学者George E. P. Boxが語ったように"All models are wrong"という事実認識は真理をついている。

「正解」がない問題を解決する必要があるとき、回答を決める方法(の一つ)として民主主義があるということも書いた。

「天皇制をどう安定的に維持するか」という問題は「正解」のない問題である。

故に、天皇制をどう安定的に維持するかを決定するには民主主義による(のも一案)、というのが三段論法的な思考になる。

しかし、最重要な論点は『民主主義は正解のない問題に解答を出すための方便であって、正解がないという問題それ自体の真相が変わるものではない」という点だ。

民主主義だから正しいというロジックはない。

民主主義が出す決定がしばしば事後的に誤りを犯しているように見えるのは、そもそも正解がない世界に私たちが生きているからに他ならない。

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天皇制の維持に関する正解なき問題は民主主義によって解決するべしという思考は確かに現代日本社会においてはロジカルであるが、正直なところ、この理屈を全面的に信頼できずにいる自分がいる。

なぜなら「天皇制」と「民主主義」ほど、水と油の関係にある二つはないからだ。天皇制がなぜ非民主主義的かという理由については、今更わざわざ説明する必要はないだろう。

民主主義を信頼するなら、天皇制を廃止する ― 法的な意味で廃止する、つまり憲法外の存在として公的性質を奪う ― のが純粋にロジカルな答えだと小生には思われる。しかし、小生はこの答えにも満足しない。

とすれば、小生は多少なりとも非民主主義的にならざるをえない。おそらく、日本人なら誰でも同じ心理をもっているのではないかと想像する。

天皇制、というかあらゆる「君主制」を維持する根源的な心理は、民主主義に白紙委任状を与えることへの躊躇、ためらいである。

21世紀においてなお人々は民主主義を全面的に信じているわけではない。そういうことではないだろうか ― 特に普通選挙制に基づく現代民主主義に対してはそう言えるような感覚を覚える。


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