2021年1月5日火曜日

一言メモ: 感染対策の迷走は、結構、根の深い問題だ

昨年はずっとコロナを書き続けてきた。何回書いただろう。年は明けたが、まだ3~4か月は コロナのことで投稿しそうである。

予想通り「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正が早急に審議されることになった。今度は罰則と給付金を明文化する方向である。外出禁止、マスク着用に違反した場合の罰金はどの国でもやっていることである。当たり前のことがようやく日本でも実現されることになりそうだ。野党は、(これも予想どおりだが)特に共産党は私権の制限には反対する姿勢をみせている ― このこと自体、小生には不思議でしょうがないのだが。とはいえ、世論頼みのその他野党がずっと強制措置導入反対を貫くことは難しいのではないかと思う。

昨年12月にはこんな投稿もしている:

個人的な予想だが、大阪で《歴然とした医療崩壊》が発生すれば、まずは強権的感染抑え込み対策の必要性を知事から要請させ、政府はそれにGOサインを出す。私権制限を含む徹底した感染防止対策の法制化へ舵を切る。それによって国民の不安を鎮静化させるとともに、「休業命令」に伴う所得補償、「家賃等支払い猶予令」など諸般の法制化、より強力な経済対策に着手するであろう。

特定店舗に対する休業命令、区域、自治体を対象としたロックダウン命令、公権に基づく社会的PCR検査による陽性者あぶり出しと隔離・保護、GPS装着を義務付けた追跡も視野に入ってくるだろう。

全国知事会、全国市長会、全国町村会など自治体側が続々と政府方針を支持する声明を出せば動きは加速する。財界、連合が支持すれば勝負は決まる。野党は対案を作れるはずもなく反対はできないと考えるだろう。

結局、日本もまた中国型の問題解決に近い方策をとる。小生はそう観ているところだ。なぜなら、感染防止と経済活動とを両立させ、国民の不安を鎮静化させながら国民の生活を守るには、これが最も確実な政策であるからだ。確実であるのは、中国の現状をみても既に明らかである。

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実は、上のような予想は日本では無理かもしれないとも感じるようになった。

どれほど新型コロナが怖くとも、マスク着用義務違反に罰金5万円、陽性者隔離義務違反に罰金300万円という台湾で行われているタイプの徹底した行政対応は日本では実行不可能ではないだろうか。英仏のようにマスクの屋内外着用義務に違反した場合の罰金1万5千円程度という処分すら導入は難しいかもしれない。日本ではルール化が望ましいと誰もが言いつつ、個々人の裁量に任せたいという心理が最後には強く働く。だからこそ逆にマニュアルが求められ、条文に則した一律の対応を要求する。であるからこそ、罰則の導入を怖れる心理が高まる。余りに生真面目で非人間的な運用が怖いのである。これもやはり戦前日本のトラウマなのだろう。

「国権」というものが理解されているなら公衆衛生を目的とした法的措置は当然のこととして受け入れられる理屈だ。この理屈が通らない。日本はそれほどの「民主主義国」になった。そう言えるのかもしれない。

というより、この1年間の感染症対策をみていると、問題の根源が別にある。それが露わになってきたという印象もある。

それは「政府による人権抑圧」よりも、むしろ日本に対する「自律的な政治行動への制約」がより根源的で懸念される問題ではないか。そんな印象があるのだ、な。マクロン・フランス大統領が「新型コロナとの戦いは戦争です」と最初に語ったが、とてもじゃないが日本は「戦争」など出来る国ではない、こちらの方がより大きな問題じゃあないかということだ。

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英国が民主主義国であることに誰も反対はできまい。その英国は2020年2月1日にEUを離脱した。そしてEUとの通商協定に署名をしたあと移行期間が終了し本年1月1日からEU外の英国になった。離脱はしたが、そもそも2016年6月23日に行われた国民投票で離脱に賛成したのは半数をわずかに上回る52パーセントにすぎない。48パーセントは残留を支持していたのである。しかも投票率は70パーセント強で投票をしなかった国民も多い。もしも日本で同じような状況であれば、『投票結果に従ってEUを離脱する』というレベルの意思決定を国民が了解するのは現状から察するに困難だろう。社会的大混乱に陥るはずだ。戦後日本の(戦前期日本も)民主主義は他人から借りてきた洋服のようなものでこなれていないのだ。日本社会はそう意識しなければ真の民主主義ではなくなる。自律的に欲する政治を自由に展開し、それが自然に民主主義に適っているようなお国柄、社会構造ではないのだ。民主主義は借り物である。借り物であるが、それによって世界からは評価されている。そこが実に苦しいのである。英国でも離脱手続きは難航したが、離脱を主張するジョンソン現首相が2019年12月12日の総選挙で勝利したことによって、与党である保守党はEU離脱を断行する正当性を得たわけである。そうして本年の1月1日、英国は名実ともにEUを離脱し、離脱派は残留派が反対しているにもかかわらず政治目標を達成した。

もしも日本で同じような状況であれば、『投票結果に従ってEUを離脱する』という意思決定を国民が了解するのは困難だろう。

こういうことだと思う。

議会制民主主義の本質とは、《野党が反対することであっても》多数を占める与党が議会で議決すれば、実行する正当性が与えられるということだろう。 

協議と説得の努力は政治的誠実さの証明ではあるが、

少数野党が反対することはその政策を実行できない理由にはならない

この点は、案外、それぞれの国が民主主義をどう理解するかを区分するチェックポイントであるかもしれない。

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日本では、与党が主張し、野党が反対する案件を与党が強行採決すれば内閣支持率が顕著に低下する。なので、与党は野党の主張を部分的にでも取り入れるべく、政治的交渉と妥協を展開する。 そのため、与党の政策には様々な要素と狙いが混在して、八方美人的な行政になる。戦略の本質は《目的の明確化と最適選択》であるから、妥協とバランスはある意味で反・戦略的な姿勢である。

思うのだが、これもまた、第二次大戦後の戦後処理の中でとられた「日本を無害化する」という連合軍の基本方針の結果なのである。そう思うと分かる事は多い。戦後日本には「民主主義」というタガが嵌められている。日本社会の現実の必要性から求められる政策であってもその政策を採れないとすれば、それは戦後日本が掲げる民主主義と矛盾するからである。とすれば、日本人にとっていまの現実は悲しいことだと思う。こんな風に感じたりしているのだ、な。

もちろんこれにも《強みと弱み》の両方があるわけだ。感染症対策では強みと弱みのなかの弱みが顕在化しているが、逆にそんな戦後日本の「体たらく」に安心感を感じるアジア近隣諸国もあると思うのだ。であれば、それは日本の外交的強みと言ってもよさそうだ。どうも最近になって、新型コロナ感染に右往左往する日本政府や都道府県の知事を観ていると、この迷走の根は結構深いものがあると感じるのだ。


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