2021年1月30日土曜日

サルトルとベルグソン、及びコロナ感染対策

 学生の頃、ベルグソンの『創造的進化』を読むのに夏の休暇のかなりの日数を費やしたことがある。読んでいる時には「分からない」という感想ばかりがあったのだが、不思議とその全体像は今でも残っているから、若い時分の読書は「分かっても、分からなくとも」まずは最後まで読んでみることに意義があるのだろう。

その頃、英語(ではないと思う)か他の何かのコースで若手教師がサルトルのファンだったのだろう、『悪魔と神』を履修者に読ませて議論をするという授業をした。多分、必修科目ではなかったと今では想像するのだが、何だかバカバカしく思えて、途中で出席するのを止めてしまったのも、もう昔の事になった。

それでも、サルトルのいう「実存」という概念は、その後も気になっていて、ドイツのカントがスッキリと整理した「物自体」と「観念」の明晰さとは別に、どこか魅かれる感覚を持ち続けてきた。ドロドロとした物質として実存する人間として自己を認識するという視点は小生には非常に説得的だった。そこには何の必然性もなく、ただ偶然によって、嘔吐を催すような物体として自分自身はこの世界に実存しているという人間認識は、否定を許さないところがある。

ヒトは「それ自体として」美しいものでも、価値あるものでもない、どう生きるかでどうあるかが決まる、という自由に絶対的価値を認める思想は極めて現代的である。そう思われた。

ベルグソンとサルトルの本質は同じところにあると小生は思っている。

昨日、書いたメモを保存しておこう。

サルトルは、実存から個々人の絶対的自由へと思考を進めたのだが、ここ日本では「自由」という価値を尊重する必要はない、むしろ反社会的であると考える人々が多いのではないかと。そう感じることは余りにも多い。多分、「自由」と「責任」との不可分の認識が定着していないのだろうと思う。

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コロナ対策を強化するための法整備と称して、罰則が定められる方向だ。

疫学調査に協力を拒んだり、虚偽を述べたりすると「罰金」が課せられるなどという法案が提出されてきたから、小生ならずとも吃驚仰天した人は多かろう。「前科」がつくのかという驚きだ ― まあ、現実には多分こんな風に進んでいくだろうと予想はしていたし、これも「日本の民主主義」だと大多数の日本人は考えるだろうということも、先日の投稿には書いておいた。それでも、やっぱりこうなるかとは思いました、な。次は、保健所が必要と判断するPCR検査を拒否した時の罰金と、自宅治療者(自宅待機者?)に対するGPS装着義務だろう。

こっそりと入院先から逃亡する人物を処罰するならともかく、『社会全体のためには、あなたの供述が必要なのです』と言わんばかりの行政は、これを権力の濫用と言わずして何と言えばよいのだろう。犯罪捜査でも「黙秘権」はあるのだ。

まあ、罰金刑から「過料」という行政処分に落ち着きそうだが、それでも原案ではそうなっていたという点に、案外、日本政府のホンネがあるのかもしれない。

先般の予測は予測としてキープしておくことにしよう。

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自らにとって不利になる供述は、たとえ公益のためであるとしても、これを拒むことが出来るという法制度は、近代社会の柱である。

ベルグソンもサルトルも、この近代的精神を土台にしていることは言うまでもない。

この「近代的精神」が日本社会に本当に根付いているのだろうか、という点が実は最も不安なところである。何しろ、日本は西欧列強に対する「攘夷の精神」から明治維新を成し遂げた国なのだ。その精神は、昭和20年に破産したが、「三つ子の魂、百まで」だ。個人の幸福と社会の公益が対立する時、無条件に公益を優先できるわけではない。原理・原則としては、個人にとっての価値は社会にとっての公益よりも高い価値がある。そもそも「公益」というのは、理念的な虚構であって、現実に存在しているのは個人、個人の幸福だけである。

“I think we’ve been through a period where too many people have been given to understand that if they have a problem, it’s the government’s job to cope with it. ‘I have a problem, I’ll get a grant.’ ‘I’m homeless, the government must house me.’ They’re casting their problem on society. And, you know, there is no such thing as society. 
Source: https://briandeer.com/social/thatcher-society.htm 
前にも引用したことがあるが、"There is no such thing as society..."と断言したサッチャー元英首相ほど過激ではないが、やはりベルグソンやサルトルに同調する位の価値観は共有している。


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