2021年1月13日水曜日

世論のプラットフォームであるが故に言論の自由があるのか?

 先日発生した狂信的トランプ派による連邦議会襲撃事件。欧州は程度の差はあるにせよ一様に非難声明を出している。中国は非難ではないにせよ『昨年議会を襲撃した香港の過激派は民主主義の勇士であると言った以上、連邦議事堂を襲撃したトランプ支持派も民主主義の勇士ではないのか』と皮肉をまじえて語るなど強い関心を示している。翻って、日本はまったくの音無しの構えである。無関心なのか?遠慮しているのか?

これには、小生も(日本人の一人として)ガックリというところだ。案の定、自民党内からも失望の声が出ているよし。

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SNSのフェースブックやツイッターはト・現大統領のアカウントを永久停止すると決めたのだが、これについても世界中で論議が広がっており、ドイツのメルケル首相は今回のツイッター社の決定が言論の自由を侵害しているのではないかという懸念を表明している。

SNSという場で他人の名誉を傷つけたり、人権を侵害したりする例は数知れないというのが否定できないいまの現状であるが、これについてはこんな投稿をしている。それほど以前ではない。

ネットという世界がこの世界に誕生して、意見の表明、文学作品の先行公表、研究成果の先行公表等々、私的個人による表現行為は以前の時代とは隔絶する程に容易になった。これが「技術革新」の成果でなくて他に何だろうかと思う。

非難・中傷を抑止するというその事だけのために、ネット世界における表現の自由を制限することは、余りにもマイナスの副作用が大きい。

ネット上であろうが、現実の実社会であろうが、過剰に攻撃的な非難・中傷など不適切な言動にはキチンと責任をとる。この当たり前の原則を徹底する。それだけで十分である。

ドイツでは2017年に施行された「ネット執行法、NetzDG」によって2018年1月以降『「明らかに違法な」投稿を24時間以内に削除しないサイトは、最大5000万ユーロ(約68億円)の罰金を科す』という制度になった。

ただ外国人が外国から悪質投稿をした場合、その外国人に直接ドイツ政府が罰金を課すわけにもいかない。政府が常にネット内を巡回、警告するわけにもいかないだろう。効果は限定的であるが、ドイツ国内においては効果を発揮するだろう。

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上の投稿ではこんな風な結論にしている。

大体、日常的に発生しているトラブルで不効率な裁判などを要求していては被害者は救済されない。たとえば交通事故のように、もっと効率的な処分を行政的に、あるいはビジネス・ルーティン的に実施、定着させることが望まれる。

事前にネット・マナーを厳格に守らせる<事前指導型>ではなく、<ネット事故>が発生した際に加害者に対して<事後的処罰>を講じるのが効率的である。

たとえば、事件が発生した直後に過渡に攻撃的な投稿を検出するのは、スパムメールの判別にも似た作業であるので、AI(人工知能)を活用すれば瞬時に完了する。攻撃的なコメントを寄せたアカウントは一定期間(1か月、3か月、1年間など)停止する。これ位のことは全て自動的に一瞬のうちに出来ることだ。

幾人かの悪質ユーザーが一人を攻撃する場合は、その人が悪質なユーザーコメントをブロックすればよい。しかし、多数のユーザーから攻撃される場合は個人が対応するのは不可能だ。その場合は、プロバイダに攻撃の対象になっている事実をただレポートすればよい。そうすれば上に述べたプロセスが自動的にスタートする。これだけで相当の抑止効果が期待できる。

AI(人工知能)を活用して、SNS運営企業がオートマティックに悪質ユーザーを確認、停止していくのが効率的である。AIの本質的優越性は、決して疲弊しないその学習能力にある。クリントン元大統領が立候補した時の言辞ではないが、

It's the efficiency, stupid.

大事な事は《能率》なんだ、この愚か者!

大きな問題が発生したとき、能率的に問題を解決することは常に何よりも大事なことである。 これを開放中国の立役者である鄧小平は

白猫でも黒猫でも鼠をとらえる猫が良い猫だ

という言い方で表現した。

この簡単至極な命題を、わざと難しく考えて、『そもそも猫で鼠をとらえることは動物虐待ではないでしょうか?』、『鼠をとるというたった一つの観点から良い猫がどうかを決めてよいものでしょうか?』などという屁理屈、というか世迷言を声高に言い立てて、それで世間が迷わされるということになると、悪質な投稿ではないがやはり社会の進歩の障害になりうるわけである。『1プラス1は本当に2なのでしょうか?』と数学者ぶる愚か者は一目で明らかなのだが、必ずしも明白ではないバカ者がいるので、たとえAI(人工知能)を駆使しても判断が難しい場合がある。これが言論の場における問題の本質である。だから、ネット社会を荒らしまわる中傷や非難を抑えても、それですべての問題が解決されるわけではない。が、現在の技術で直ちに解決可能な問題であれば、迷わずに解決するべきだというのが小生の立場である。

(真っ当に勉強してきた人なら)《能率》という要素こそ歴史を発展させてきた真なる動機であったことは否定できない事実だ(という点は分かっていると思う)。《能率》はイデオロギーではどうにもならず、地道な科学的研究と新しい方法を取り入れる柔軟な社会的姿勢があいまって、初めて向上させうるものである。


 

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