政府のことでも書いておけば、色々と面白いことが書ける。こんな理由で、民間TVの情報番組でも政治の話しが花盛りなのだろう。具体的な話は、異論・反論が噴出して炎上するかもしれないから危ないネタなのだ、な。
ま、この頃はこんな風だったな、という意味で、本ブログもWEBLOG(=作業日誌)になっていれば、それでよいのである。
さて、
韓国で慰安婦判決が出れば菅首相に見解をきく。コロナ対策に関しても、菅首相がTV出演して質問を受ける。大雪で雪害が発生しても災害対策ということで菅首相に質問する。
以前はこんなことはなかったネエ・・・という感想を、単なる旧世代の思い出話しにしてはならないと感じる。
ハッキリ言って、最近の状況はチョットおかしいと思う。
日本の内閣総理大臣は「広報室長」ではないのだ。
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大体、韓国の裁判所で日本関連の判決が出たのであれば、外務省はどう考えるのかをまず聞くべきじゃあないか。コロナ対策も(国の見解を聴きたいなら)まずは厚労相の見解を確かめるべきだろう。総理大臣が「PCR検査を増やします」、「アビガンを承認します」と断言してもそうはならないのだから、総理の発言に決定的な意味などないだろう。それに、大雪が降ったから総理大臣の見解を聞くというのもネエ・・・正直、そう感じる。
放送企業として何か総理メッセージがほしいのだろう。各省の大臣ではブランド価値が低いのかもしれない。しかし、各省大臣が発するメッセージの価値は内閣の企画・演出によることでもある。つまり、各閣僚の存在意義を低下させてきたのは、世間に直接アピールして世評を高めたいと願う総理大臣自らであるとも言える。
しかし、それも限界なのだろう。
小泉元首相は、ぶら下がり形式でランダム、インフォーマルなワンフレーズ・ポリティックスを展開するのを得意としたが、誰かが言っていたが田中角栄、小泉純一郎クラスの天才でなければ、あれほどの個人芸はできない。
ナポレオンという戦術の天才に対抗するために、プロシアは「参謀本部」を創設した。凡庸な総理大臣が率いる凡庸な閣僚でも、世間に上手に発信していくためには、対世間コミュニケーションを所管する「広報本部」が要るだろう。
誰もが気がついているはずなのだが、言い出す人は一人もいないのだろうか?
不思議なことだ。
「やり手の政府」、「無能な政府」、「強圧的な政府」、「スキャンダルまみれの政府」など、政府には幾つものタイプがあるが、「眠っちまったかとみえる政府」、「なくなっちまったのかと思う政府」は、小生、今度の政府が初めてだ。
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