《リーダーシップ》というキーワードは世間の井戸端会議だけではなく、例えば世界中のビジネススクールでも必ず授業として開講されているくらいで、現代社会の大問題になっている。ということは、たやすい問題ではない、ということでもある。
しかし、この「リーダーシップ」とは、どう定義されるものなのかとなると、簡単に合意できるものではないはずだ。実際、ビジネススクールの授業でも「リーダーシップの一般理論」というものはないはずで、したがって授業はたいていケーススタディで進められている(はずだ)。ことほどさように、リーダーシップの成功例と失敗例は枚挙にいとまがない、というわけだ。
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数日前の投稿でこんなことを書いている:
人間は一般に
才あれば徳なし、徳あれば才なし
というのが一般的な傾向である。このジレンマを更に敷衍すると:
才能と道徳と勇気とを同時に有することは稀である、というより不可能である
こんなトリレンマになるかもしれない。才と徳の双方をもつ者は果断な勇気に欠けることが多い。才能と勇気にあふれるものは徳を欠きがちだ。徳があり勇気をもつものは才能がないものだ。
才(=作戦立案能力、政策提案能力)と徳(=人望、信頼)と勇気(=果断な実行力、リスク負担力)の三つを兼ね備えた人物など、稀であるし、そもそも存在しないのではないかという主旨である。
これは現実にも当たっていると小生は考えているが、それでも古代ローマの英雄・シーザーや近代フランスの道を啓いた英雄・ナポレオンといったクラスになると、正に上の三条件を兼ね備えた文字通りの「大英雄」ということになるのかもしれない。正に、小生の好きな
天才は為すべき事を為し、秀才は為しうることを為す
という言葉を地で行くような「天才」は時に出現するものだ。前稿でいった「トリレンマ」というのは、厳密には当てはまっていない可能性はある。
しかし、四つ目の条件を追加すると、やはりトリレンマならぬ、テトラレンマが成立しているのではないかとも思われるのだ、な。その四つ目の条件とは《機会》である。
つまり、
- 才能(=作戦立案能力、政策提案能力)
- 徳目(=人望、信頼)
- 勇気(=果断な実行力、リスク負担力)
- 機会(=社会的な巡り合わせ)
この四条件を満たす人物は、まずいない。第4条件の「機会」を巡り合わせと注釈しているが、これは要するに「仕事運」のことである。となれば、ヒキやコネも運のうち、になるのだが、これほどの英雄を抜擢する動機はその時点の指導者にはないはずだ。自分が片隅に追いやられるだけのことだから。
めぐり合わせというのは、社会的変動がもたらす好機、という主旨だ。言い換えると、才・徳・勇を兼ね備えた英雄的人物が実際に社会のリーダーとなって未来を切り開けるかどうかは、その時の社会が崩壊・混乱状態にあり、英雄型の人物が覇権を争い、自由に生存競争を繰り広げられるかどうかが必要だ。
こう考えると、五つ目の条件として
5. 保守(=秩序の尊重、安定の維持)
を加えるとすれば、これはもう解の存在しない不能な問題となる。そんな人物が現れるはずがないという意味では、真の「ペンタレンマ(=五重苦)」である。
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解決不可能な「何とかレンマ」に見えるものが、実はそうではない別の問題の一側面であるという例は他にもある:
例えば、商品のコンテンツ、費用構造など供給側の条件を所与とすれば、価格と販売とはジレンマである。高価格を設定したいが、価格をあげれば売り上げは鈍化する。ジレンマである。
しかし、価格設定だけではなく、顧客評価を上げるための宣伝(advertisement)も自由に操作しうる戦略変数として追加するなら、価格を引き上げながら売り上げを伸ばすという目的を追求することが可能になる。
一般に、複数の目的を追求するなら、目的の数を上回る政策手段をもたなければならない、というのは経済学では「ティンバーゲンの定理」と呼ばれている古典的な結論である。だから、「解決困難」と一見そう見える問題であっても、実は政策手段を狭い範囲に限定して考えているだけの事は多いのだ。
真の問題は、複数の目的自体に矛盾があり、どんなに政策手段を増やし、どう組み合わせても絶対に解決することができない、その意味では《真の意味で不能である問題》、確かにそんな問題は解決すること自体が不可能であるわけだ。直面している政策課題が、そもそも解決可能であるのか、論理的に矛盾している不能な問題を解決しようとしているのか、その辺の見極めや判断も、専門家の役割であろう。
新型コロナのようなパンデミックの抑制、経済回復という二つの問題は、決してジレンマではないという点については、これまでにも何度か覚え書きにまとめている。原理的には大して難しい問題ではない、ということだ。その意味では、日本は切羽詰まっているという報道が主流のようだが、決してそうではなく、政治行政分野における人材のレベルに帰着するというのが、適切な表現ではないだろうか?