2021年8月19日木曜日

断想: アフガニスタンで起こるべき「内戦」の後がポイントではないか?

世界中の一流紙、二流紙、etc.が変化するアフガニスタン情勢、中央アジアを舞台に繰り広げられるだろう大国間のパワーゲームの見通しについて、論説記事を掲載し続けているのが足元の状況である。


現時点のアフガン情勢をどう観るかはともかく、日本の明治維新直後、第二次世界大戦後の世界情勢をみても、状況が落ち着くまでには数年以上、多分10年単位の時間を要するに違いない。

日本は維新直後にはフランスを模範に陸軍を創設していたが、そのうちに気が変わって(ドイツ帝国の優勢もあってだが)、ドイツを先生にするようになった。革命期の指導者は、しばしば「気が変わる」ものである。それ以前に、明治維新の10年後には「西南戦争」という大きな内乱があった。西南戦争は「維新勝ち組」の中で起こった内紛である。


政治的革命のあと「内乱」はほぼ確実に発生する。複数の外部勢力が干渉しようとする。そして「国民精神」を確立して内乱をおさめる方便として、外部に敵を求めるのも、ほぼ普遍的な歴史の法則である。フランス革命でもそうであった。明治の「征韓論」もそうだ。「征台の役」もそう。そもそも革命勢力は、ほぼ常に《革命の輸出》、《正義の輸出》を願望するものである。

このままタリバン勢力がアフガニスタンを統治するとして、安定するまでに発生するだろう「内乱」の果てに、何をタリバンの敵、イスラム教の敵と認識するに至るか?

ここが今後数年間の大きなポイントだろうと思っている。


アフガニスタンに侵攻した旧ソ連軍とは1979年から89年までの10年間を戦い、ソ連軍を撤退に追い込み、その後ソ連は国家として崩壊した。

アメリカとは2001年から21年までの20年を戦い、撤退に追い込んだ。アメリカは撤退したが、アフガン侵攻の主目的であるウサマ・ビン・ラディンへの報復は達成したのである。

となると、現にウイグル族に民族同化を押し付けつつある中国が、まだ戦ってはおらず、イスラム教徒の怒りをかっているかもしれないが、中国政府はその辺は巧みに立ち回るかもしれない。とはいえ、現代の中国は清王朝の領土を(基本型として)継承しており、その清王朝は女真族が漢民族を征服して出来た王朝であって、その全盛時である乾隆帝の時代、チベット族、ウイグル族、四川省南部の苗族などを支配下に入れ、皇帝は自らを「十全老人」と称していたわけで、したがって今の中華人民共和国は領土拡張によって生まれた「東アジア帝国」と観ることもでき、いわば「最後に残った大帝国」とも解釈できるのだ、な。イスラム帝国であったオスマントルコが第一次世界大戦後に崩壊霧消したことを思い起こすと、イスラム教徒から上のような視線でみられることは、中国にとって最も避けるべき事態であろう。


いずれにしても、先のことを見通すには、不確実性が多すぎる。



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