2021年8月27日金曜日

ホンノ一言: 「コロナ分科会」の能力は本当に信頼できるのだろうか?

コロナ分科会会長の尾身先生といえば、いまでは菅総理大臣よりも国民から信頼されている(観すらある)人物だ。少なくとも、日本国内のマスメディアはそんな風に伝えている。

例えば

尾身会長「臨時医療施設作らねば現状に対応できない」

こんな風に伝えているわけだ。いわゆる「野戦病院」を早く設置してほしいという意見だ。


なるほど《ごもっとも》なのであるが、臨時病院なら昨年4月の段階で、神奈川県は臨時病院の設置を決定している(公表資料) 。大阪府が「大阪コロナ重症センター」の運用を開始したのは昨年12月である。設置を公表したのは、それより前、8月であった(公表資料)。

やっている地域ではとっくにやっている。そうも言えるのではないか ― 量的に不足したという結果論はあるとしても。

分科会の考えが神奈川県や大阪府にどの程度伝わってそうなったのかは知らない。あるいは意見交換をしたうえで、神奈川県や大阪府が臨時施設を設置しようと考えたのかもしれない。


しかし、新型コロナウイルスが日本に上陸してから1年半余り。分科会の尾身会長が発言していることは、菅総理大臣が言い始めるよりも概ね1カ月程度先であったにすぎない。尾身会長の発言とほぼ同時期に西村担当大臣が同じ主旨のことを発言し始め、それから1カ月か1か月半ほど遅れて、菅総理もその方向で発言をする。どうも、ずっとそんなパターンであったような印象があるのだ、な — 詳細に発言日時をデータとして整理したわけではなく、あくまで「印象論」ではあるが。

まあ、確かにGOTOへの反対、オリ・パラ中止の提案(というより無観客の提案)をめぐって、政府の意向と衝突する場面もあるにはあった。分科会は政府より遠くが見えていたのだろう、とは思う。

ではあるが、要するに、分科会の現状理解から1か月か1カ月半ほど遅れて菅総理は意思決定に至るという具合。「政策ラグが1カ月もあったのは怪しからん」とも言えるが、分科会の判断に1月遅れで政府が着いて行ったとも言える。これがどうやら日本のコロナ対応の楽屋裏ではなかったのか、と。景気判断ではないが、変化する感染動向の中で、尾身先生と分科会は先行指標、菅総理の意向は遅行指標。遠くから眺めていると、外観としてはそんな印象をもつのだ、な。

《山岳ガイド》、《水先案内人》として分科会をどう見ればいいのかな、という問いかけはやはりあると思う。少なくとも「検査能力拡大」、「医療体制の強化」、「ワクチンの早期特例承認の必要性」について、昨年の早い段階から尾身会長なり、分科会から基本的な対処方針が発表されたことは一度もなかったと記憶している。


菅内閣のコロナ対策が「場当たり的」で信頼できないという評価は多い。が、そうであれば分科会の医療専門家は、高々1カ月か1カ月半くらいは早く状況を把握し、警告を出せてきたわけで、「まあ、そんな仕事っぷりでしたかねえ」という辺りの評価になるのではないか。まるで「あさって台風が来ます」と予報するようなもので、分科会の仕事が「予報」であるならそういうことなのだろうが、小生は中身のある仕事とは到底思えず、大体「あさっては台風です」と警告されても、「今からじゃあ、予定をキャンセルするしかないナア」くらいの対応しか出来ることがない。で、実際に似たような経過をたどってきた。

もちろん「あさって台風が来ます」という警告を受けてもそれを軽視して旅行をし、実際に台風が来てからズブ濡レになり、大慌てで雨宿りをするという姿に似た菅内閣の《低脳ぶり》こそ、「恥ずかしい」の一言だ。これは間違いないと思う。

が同時に、分科会の仕事ぶりも内閣に負けず劣らず「場当たり的」であったのじゃあないか。どうもこの1年半余りを想い返すと、こういうことではなかったか、と。小生にはそう思えるのだが、どうなのだろう?

内閣支持率を世論調査で質問するなら、コロナ分科会の「仕事ぶり」に対する評価も一度問うてみてもよいのではないか?


むしろ都道府県、市町村で良好なコロナ対応をしている地域を総務省にモニターさせ、厚労省にフィードバックさせて政策原案を作らせるほうが、少しはマシなコロナ対策につながるのではないか? 同じ旧・内務省系列の官庁であるから、相性もよいであろう。


そう思ったりする昨今である。

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