ネットにこんな投稿があるのは最近の日本社会を「象徴」しているようだ。おそらく相当多数の人たちが賛同すると見込まれるからこそ、公表するのだろうと思われる。
話題は例によって(?)日本の《天皇制》についてである。とにかく、眞子内親王と小室圭氏の結婚と出国、それに今上天皇の長女である愛子内親王の成人と、皇室関係の話題に日本人は無関心でいられない所がある ― この性向は明らかに明治維新以後に人工的に形成された社会心理であり、江戸時代にはなかったはずである。
小生の目に入った投稿記事というのは(抜粋をさせて頂くと)以下のとおり:
男女で“格差”を設けることが許されるのか
そもそも、女系天皇とセットにならない女性天皇・女性宮家は、およそ常識外れな、かなりイビツなものになるのを避けられない。同じ「天皇」なのに、男性ならお子様に皇位継承資格が認められ、女性なら認められない。このような差別の客観的・合理的な根拠は何か。性別だけを理由として“一人前の天皇(お子様に継承資格あり)”と“半人前の天皇(お子様に継承資格なし)”とを峻別するというのは、現代において相当「野蛮」な制度と自覚すべきではあるまいか。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」である天皇どうしの間に、男女で“格差”を設けること自体、不自然だろう。
URL: https://blogos.com/article/573018/?p=2
Original:PRESIDENT Online2021年12月05日 13:41 (配信日時 12月05日 11:15)
投稿記事を読めば明らかに分かるが筆者の意見の論拠は現行憲法の規定に置かれている。
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本ブログでも何度も投稿(例えばこれ)しているように、伝統的な「天皇制」、というより「天皇の継承」については、民主主義と全国民の平等を基本とする日本国憲法と矛盾するところがある。だからこそ、というより、こうなることを心配して、明治維新から20年程が経過した後になって、近代国家の在り方を規定する憲法と前・飛鳥時代から続く天皇制の伝統とが矛盾しないように明治の憲法草案では国家における天皇の存在を明文で規定をし、天皇を(私的な人物ではなく)公的存在とした、と。そう考えるべきだろう。だから『天皇機関説』という学説も法的ロジックとして出てきたわけである。
であれば、太平洋戦争敗戦後の日本において、なお伝統的な天皇制を守って行こうという意志が日本人の間にあったのであれば、それが正しく「国体護持」という言葉で意味されていた意志であったのだが、憲法と天皇制とが矛盾しないように規定を設けておくべきであった。
そうしなかった背景として、敗戦直後の日本は連合軍の占領下にあり、政府、及び日本人に憲法の条文を文言として書きくだす意志の自由が与えられていなかった。
つまり
現行憲法を制定した《憲法制定権力》に日本国民がどの程度まで参加できていたのか?ここが不透明である。
この点で天皇(というより皇室?)と憲法の関係にはどうしても曖昧で不明瞭な問題が残ってくるわけで、ここに皇室に関する議論全ての核心があると小生は思っている。
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つまり、日本国憲法を根拠として、天皇制の在り方を議論しても、その議論の仕方自体に賛成できないという保守層が厳然として(それも有力な塊として)日本には存在する。
ということは、天皇の継承問題を望ましい形で解決するには、まず明らかに日本国民の意志がそこに反映されたと判断できる状態で憲法を、その内容に違いはあれ日本人自らの意志として、改正するという作業が先にあるべきだ、と。こんなロジックになるのではないか。
そうでなく、制定の過程に不透明性が残る現行憲法を論拠として、伝統的な天皇制に修正を加えるという試みは、ほぼ確実に成功しない、というより文字通り《日本国民の統合》に傷を残す。そればかりでなく、そうして即位する天皇その人に対するリスペクトもまた大いに毀損されるという結果を招く。そんな状況が予想される。
いま日本に必要なのは、「令和の伊藤博文」であるに違いない。
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