2021年12月14日火曜日

断想: 「日本病」の治療がもし自助努力で治らずば・・・?

※ 初回の投稿は長くなり過ぎるので余計な箇所を剪定したうえで更新する【12月20日】

こんな予測をすることがある。標題について、である。

このブログでも<日本化>、<日本病>については複数回、投稿したことがある。実際、これらをキーワードにしてブログ内検索をかけると、『こんなことも書いていたか・・・』と思うような投稿が出て来て、むしろ(我ながら)新鮮に感じる。

先日の投稿では以下のようなことを述べていた:

要するに、日本国内で積極的なビジネス展開が出来ていない、これが根本的原因であって、まさに民間にこそ《低迷日本》の主因があるのだが、その主因を解決できないでいる日本政府にも大いに責任がある。

・・・日本が取り組むべき課題はもう分かりきっている。一流の外国人政策顧問を招いても、世界的に評価されている真っ当な日本人専門家に問いただしても、まず同じことを提案するはずである。ところがこんな提案をすると日本人の神経を逆なでする。政治家は国民におもねるばかりで、なお悪いことにそんな姿勢を「国民に寄り添う」と美化している。「日本病」の核心がここにあるのは間違いない。

「経済成長」というこの当たり前の目的を達成するには、当たり前のことを実行しなければならないのだが、(どうしたことか、小生には不思議でならないのだが)日本人自らがこの「経済成長」という目標に心理的抵抗感を感じているように見えるのだ。社会心理的な不調のようでもある。

これは新種の国民的病ではないだろうか?

とも思われ、同僚とは「日本病」と言ったりしてきたのだが、まだ1970年代の「英国病(British Disease)」や2000年代前半のドイツが「欧州の病人(Sick man of Europe)」と呼ばれたようにはまだ世界で知られていないところを見ると、一見、日本はまだまだ底力があるように海外では思われているのかも知れない。

これに関連して、上の投稿では実はこんなことも書いていた。

民間企業も富裕階層もそうだが、余った金はただ余っているわけではない。資産は運用しているわけである。例えば、日本には一つもない利回り8パーセントで配当を払ってくれるアメリカの投資ファンド「エイリス・キャピタル(ARCC)」や同じたばこ企業でも日本のJTより高配当が期待できる"British American Tobacco(BTI)"で運用したりする人は多いだろう。

この投資行動は、小生自身にも当てはまっているわけなのだが、実は該投稿の数日後、口座をもっている証券会社から通知があり、上にいう「エイリス・キャピタル(ARCC)」や「ハーキュリーズ・キャピタル(HTGC)」など高利回り米株銘柄の新規売買(新規買付、既保有分の売却は可)を《諸般の事情》によって受付を停止する、と。この「諸般の事情」が何なのか(小生には)明らかではないが(15日加筆:どうやらこれが理由か)、日本国内からアメリカへ投資資金が流出して、外国企業の発展ばかりを支援しているという状況を財務省・金融庁、経済産業省など政策当局が苦々しく思っており、何らかの圧力が民間証券会社にかけられたのではないだろうかと、小生は邪推しているところだ。

問題の本質は、アメリカでは可能な高利回り投資商品が日本では成立しない点にこそある。その理由は、日本国内の資本ストックの収益力が低下していることにある。それは何故かというと新規事業投資が減っているからだ。新規事業投資の収益率が低下してもいるし、ハイリスク・ハイリターンの投資機会に挑戦する企業家の数も減っている。事業投資がこうである以上、日本国内で金融投資をするとしても、高い利回りは提供できない理屈だ。実際、2008年の「リーマン危機」以降、日本の民間企業部門が保有する資本ストックはほぼ停滞して増えていない。資本ストックが増えないのにアウトプットを増やそうとするから、現場は労働集約的になる。日本お得意の《お・も・て・な・し》や《丁寧に》というモットーは、非効率な現場に寄り添うための美辞麗句で、文字通り「ものも言いよう」の一例である。「言葉」ではなく、「実態」を黙って観察し、考えることがいま最も重要だ。いや、結論じみたことを書いてしまった。余計であった。まだ話は終わっていない・・・

「日本病」から来る特徴的な症状は「過少投資(=過剰貯蓄)」だが、しかし、日本の《過少投資》は期待収益率の高い投資機会が日本国内にはなくなってしまったからではない。ビジネスチャンスの宝庫である分野がほぼ全て政府の規制対象になっている。これがほとんど唯一の理由である。いや、単に「政府の規制」とばかりは言えない。日本人自らが「規制」を当然と考えている傾向がある。

「それは出来ない」と、日本社会がそう考えるからこそ、ビジネスが十分に育たないのである。

考えてもみるがいい。医療、介護産業とロボット産業がコラボすれば新規医療技術、介護支援技術のイノベーションが進行するに違いない。しかし、これは「機会」にすぎず、「チャンス」でしかない。実際には、医療分野は「医療産業」としては認識されていない、というのが現実の日本社会ではないだろうか。それどころか、大衆にとって「医は仁術」であるべきで、利益を求めるビジネスとしての医療は決して望ましくはない。こんな価値観が日本では優勢ではないか、と小生は思っているのだ。教育もまた「学校制度」において教育活動は行われるべきで、教職に就く人物は厳しい審査を通る必要がある。こんな理念が支配的である。小生は自分の経験に基づいてこの理念には同感しないが、日本全体の教育活動は主たる部分が「学校制度」の上で展開されている。こうした理念が、日本国内の既存の病院、医師、看護師、医療技師等々の医療専門家、介護従事者、あるいは学校教職員という非市場型従業員を「競争」から守っているのである。農業もそうである。通信、放送、報道もそうであろう。運輸、道路交通、移動もそうかもしれない。

一旦、新規参入した企業はすべて「成長」、「拡大」、「競争」を目指すものだし、目指すべきでもある。スタートアップ企業であれ、上場企業であれ、企業の論理は競争に敗れれば消滅するということだ。競合相手から顧客を奪取しようとする。奪取される不安を感じた側は、生き残りを目指して戦略を練るであろう。医療、介護や教育、農業経営などという分野で、このような自由な企業活動を認めるのに、日本人は警戒感や嫌悪感を感ずるのではないだろうか。既存事業者が主に中小規模の個人事業主であれば猶更のことだ。

日本は決していまビジネスに優しい、暖かい国ではない。日本の都道府県にも、企業誘致に積極的なところ、企業誘致には消極的なところがある。同じ理屈である。トヨタやキャノン、ユニクロやファナックなど最先端の優良企業が日本にも何社かあるという問題ではない。日本社会全体の傾向が日本の現状を形成している。

今朝もこんな話をした・・・

カミさん: もうエイリス、買えないんだネエ・・・がっくり。

小生: 何か月かしたら、またコッソリ買えるように受付するかもしれないよ。だって、証券会社は売買が増えれば儲かるんだから。

カミさん: 日本には代わりに買えるようなのはないの?

小生: 利回り7%とか、8%は日本にはないね。JT辺りが利回りではベストなんじゃないかなあ・・・

カミさん:でも、それにしては株価は冴えないよね。

小生: タバコ企業というなら、JTよりイギリスのブリティッシュ・アメリカン(BTI)のほうがずっと利回りも高いからJTも海外から見ると対日投資の対象からは外れるんだよ。将来、株価が上がって売買益が期待できるわけでもないからね。

カミさん: そっかあ・・・(落胆)

小生: まあ、日本はサ、医療でも、介護でも、農業でも、教育でもそうなんだけどサ、やりたいアイデアを事業にしようとすると、政府が

それは許可できません。

そんな規制があって、自由にできないんだよ。だから海外で儲ける。どうしてもこんな理屈になるんだよ。日本国内の大企業や海外企業が同じことを始めて、お客さんを奪われたら困るのは、これまでの業者だろ?規模の小さい既存事業者だからネ、効率化も出来ないし、そのための資金力もない。そんな人たちは自民党の支持基盤なんだ、な。どうしようもないんだヨ。「困る人がいるから仕方がない」って理屈は、政治家にとっては決定的なんだよ。

明治維新を実現した推進力は下級武士層と民間の豪商、豪農であったことはよく指摘されている。旧来の支配階層は(言うまでもなく)大名、上級武士層であったのだが、彼らの事業(=領地の一円支配)は既に行き詰まっていた。事業を通した所得生成力は衰退し、キャッシュフローが悪化し、債務は膨れ上がるばかりの状況になっていた。明治維新の背景は旧体制の経済的行き詰まりである。幕末の時点で封建領地経営への意欲は支配階層の中から消失していた。だから「無血革命」が成功したのである。

いま、戦後日本を支えてきた産業基盤、というか企業群の多くは日本国内で利益機会を失いつつある。実際、こんなデータがある。偽装か事実かは議論があるにせよ、現状は既に周知のことである。

国税庁が2021年3月26日に公表した「国税庁統計法人税表」(2019年度)によると、赤字法人(欠損法人)は181万2,332社だった。 全国の普通法人276万7,336社のうち、赤字法人率は65.4%(前年度66.1%)で、前年度から0.7ポイント改善した。

Source:東京商工リサーチ

赤字か黒字かは毎年ベースのフローである。余剰資金はストックだ。赤字でカネをなくすよりは余剰資金を海外で運用する方が合理的だ — 潜在的ビジネスチャンスに投資できないのであれば海外に逃げるしか選択肢がない。グローバル化への対応と言えば聞こえはいいが、海外への逃避は幕末の大名・上級武士層もやりたかったことに違いない。しかし、領地を海外に移動させることは出来ない相談であった。鎖国下の支配階層は明治維新を迎え、版籍奉還と廃藩置県を経て、ただ表舞台から去った。日本の封建時代はほとんど血を流すことなく終焉した。戦後日本を支え発展してきた全国の企業群はいま海外に経営資源を逃避させることができる。その分だけマシである。しかし、日本国内の雇用者の視点に立てば、国内で事業拡大への意欲やプランをもたない企業は生産主体としては寿命が尽きていると感じるだろう。

つまり戦後日本の成長を支えた企業群は「会社」という形を保持したまま《既得権益層》になりつつある — 会社の継続を重視するのは従業員の雇用と生活を思うが故でもあり非難する人は日本では少ない。既得権益で生活をする階層は、フランス流にいえば《ランティエ(rentier)》になるが、つまりは《金利・配当生活者》である。この種の人々は、平和を望み、変化を嫌い、国内では現状維持、国際的には自由な資本市場を要求するものだ。そして低リスクで安定的な資産運用を心掛ける。従って、既得権益層が経済資源の高い割合を占有すれば、その国の経済成長が停滞するのは当たり前の理屈である。

ケインズが生きたころの英国では金利生活者が個人の集合体として「階級」を構成していたが、現代の日本では「階級」というより、事業法人である「会社」がマネー運用で生き延びよう ― 従業員のためだと言えば非難する人も減るだろうが ― としている所が情景としては異なるが、経済の病人という点ではよく似ているわけだ。英国の停滞から脱するためケインズが企業家に対して何よりも求めた資質が"Animal Spirit"であった。しかし、今の日本にはケインズのような人物は登場しないだろうし、登場してもTVのワイドショーで叩かれるだけであろう。これもまた「日本病」の一つの症状だと思っている。

「日本病」に罹っている日本社会は、今のところ、落ちぶれつつあるとはいえ「富裕国」であるから、カネをグローバル市場で回せば、恥ずかしくない程度の生活は出来ている。これが国丸ごとの「ランティエ生活」である。この先、10年、15年程度は続けられるかもしれない。しかし、それも「当面は」である。日本は「資源小国」である。「貿易立国」以外に豊かな社会を維持できる道はない。日本の産業衰退が一層進めばいずれは世界で売れる商品がなくなる。稼ぎが低下し、貿易収支の赤字が所得収支(≒海外からの資産運用収益)の黒字を超える。経常収支が赤字化し資金不足に陥る。それでも日本に投資する海外企業があれば経済と生活は守られる。しかし、日本に投資する(=日本国債を含む)出資元を確保するには日本社会に期待がなければならない。ビジネスに優しくあらねばならない。しかし、それが出来るなら、もうやっているはずだ。いまやれないのは日本人の神経を逆なでするからだ。外国の出資元が現れなければ、海外に投資している対外資産を売却して日本人の生活費に充てなければならない(つまり資本課税が断行される)。この段階で、日本は「アジアのイギリス」になる。1960年代、70年代、サッチャー改革以前のイギリスである。悪ければ「アジアのギリシア」となる。いずれにしても、年金改革、社会保険改革、許認可行政の全面見直し、農地改革、医療改革、教育改革などが一気に進む理屈だ。つまり究極の「ハード・ランディング」である。こうして日本は海外で運用しているカネも使い「貧乏国」への道を歩む。この間に大規模な自然災害、意図せざる戦闘行為に巻き込まれるなど突発的事変があれば、臨時支出もかさみ「富の喪失」が早期のタイミングでやってくるだろう。いや、いや、結構悲惨な社会状況になる可能性がある・・・

【注】「既得権益」と「財産権」はほぼ区別不可能であるほどの近縁の下にある。既得権益が悪だとする価値判断をとるなら、同じ価値尺度を適用して、現行憲法で財産権を保護している29条自体が悪であると主張しなければならなくなるだろう。即ち、財産権よりも公益を優先する全体主義・社会主義となる理屈だ。こういう主旨ではないことに留意。「悪」ではなく、「うまく行っていない」ということだ。が、この点は機会を改めて投稿したい。

「日本病」を治そうとしても、政治的な閉塞や「そんなことをするなら治さなくてもイイ」という日本人の側のネガティブな反応によって、治すにも治せない。そんな予想が、上に引用した投稿の主旨であった。


 

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