戦争が終われば戦後の最優先課題は<Return to Normalcy(=正常化)>である。コロナ対策でも同じことが言える。いつまでもダラダラと不必要な危機感を持ち続けて萎縮するのは理にかなわず愚かである。鎖国をしているなら鎖国の分だけ損をすればよいが、多くの国がグローバルに関連しあっている中で人的交流を絶ち続ければ、海外が変化に適応する中で日本だけが遅れるという意味で、二重の損失を被る。
北海道でもメッキリとコロナ新規感染者が減少し、もはや実際に街中を歩いている時に、ウイルス放出者と遭遇する確率は限りなくゼロになった。
というより、小生はもうコロナ・ウイルスが怖いとは感じない ― もし、ワクチン2回接種済みでなお感染が怖いなら、何のためのワクチンであったのかという理屈だ。この心理は大多数の人とほぼ共有できるのだと思っている。
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ただ、怖くないとはいえ、実際に新規陽性になるのは「面倒で、厄介だネエ」とは思う。というのは、インフルエンザとは異なり、いきつけのクリニックで簡便に診察をしてもらい、余病を併発する恐れがある場合は抗生物質も出してもらうなど、普段のインフルエンザと同じ便利さがコロナ・ウイルスに関してはないからである ― ちなみに、小生はいわゆる「タミフル世代」には属しない。インフルエンザがまだ「流感(=流行性感冒)」と呼ばれていた時代で幼少期を過ごした。
小生が暮らす港町でも、発熱がある場合は保健所に連絡し、PCR検査をワザワザ受けに行き、そこで陽性になれば、多分、大規模な市立病院に入院させられるか、でなければ指定施設で療養を指示される(だろう)。もしカミさんが陽性なら二人で療養したいところだが、そうでなければ離れざるを得ない(だろう)。
こんな予想があれば、感染は怖くないとはいえ、できれば避けたいと思うのが人情だ。コロナ・ウイルスの現状から判断して、ワクチン接種済みであるのに<暮らしにくい>という心理があるのは、まことに道理に合わない。
・・・(本ブログを読む人は世間で多くはないはずだが)こんなことを書くと『ワクチンは自分の為だけに打つわけではなく、他人に感染させないという社会的目的に貢献するために打つのです』と言われそうだが、もしそうお考えなら「ワクチン接種義務化」を提案するべきだ。これはこれまでにも何度か投稿した(たとえばこれ)。
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もうコロナ・ウイルスは、それ自体としては、怖くない。そう感じるのが真相と合致するなら
コロナ治療はインフルエンザなみ
そういう方向で早期に治療体制を簡便化することが社会全体が元気を取り戻す早道であろう。
反対に、もしコロナ・ウイルスが初期と変わらず、実に恐れるべき病原であるなら、いかに危険であるかを当局は客観的に示して理解を得るべきだろう。そして、その場合は、コロナ・ウイルスを専門とする病院を臨時に新規開設して、その他一般診療の水準を維持することが課題となる。
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大多数の人は、たとえコロナに感染しても街中のクリニックで診断可能、かつ治療可能と見込まれ、それでも発生が予測される一部の重症化患者は大規模病院に転院すればよい。その方が大規模病院にとっても負担が軽減されるだろう。
ずっと合理的ではないか。
コロナ・ウイルスを<特殊なウイルス>と認識し続け、そうかと言って「コロナ専門病院」を臨時的に開設する努力をせず、既存の大規模病院で一般診療を抑えつつ、その片手間でコロナに対処するのはもう限界だろうと思う。
もし《日本モデル》という言葉を使いたいなら、国威発揚のための「宣伝」ではなく、便利な暮らしに結び付く内実をこめて発案していくべきだろう。
どうしてもこう考えてしまうのだが、違うのかネエ・・・。どこが間違っているか、教えてほしいものでござんす。
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