2021年12月10日金曜日

「マクロ倫理学」も「国際倫理学」も学問としては存在しない

数日前の投稿でも話題にしたが、「五輪ボイコット」。政権内部でも

中国、たたくべし

あからさまには言わないが、要するに上のような主旨の主張が相次いでいるようだ。親英米派の影響力が強いということ自体は日本にとっては安心材料なのだが、問題はその思考回路なのだ、な。

「人権」、「民主主義」を中国が踏みにじっている。『だから、いかん』というのが、ボイコット論者の見解である。

小生は強度のへそ曲がりだから、どうしても立ち止まって、考え込んでしまう。

民主主義は善くて、民主主義でなければ悪い、というのは何か倫理基準があるんでござんすか?

人権、人権と言うが、この30年余りで中国の生活水準は大きく上昇した。豊かな社会の実現というのは、何より当の中国国民が喜んでいるのではないか?

人権が真の意味で侵害されているなら、目に見える形で反政府感情の高まりが広く社会全域で観察されているはずでは?

色々な問いかけが浮かんでくる。問いただしたところで、満足の行く答えは返っては来ないだろうが。 

一人の人間の生きざまについては、ずっと昔から人間が備えるべき徳目が学問として確立していた。というより、科学が発展するまでは、倫理、道徳が修養するべき主な学問ですらあった。

例えば、中国発祥の

仁義礼智信

これなどは、今でも通用する人間がもつべき徳目である。小生の好きな言葉の一つは

惻隠の情は、仁のはじめなり

この孟子の言である(以前にも投稿したことがある)。

この儒教的倫理は民主主義国・中国で発展したモラルではない。それでも、中国はアジア周辺地域全体に向かって文明の規範として魅力を発散し続けたのである。日本も中国文化を手本とした一時期がある。

こう書くと思い出すのは、小生が中学生であった時の歴史の教科書である。日本初の法体系である「大宝律令」は西暦701年に唐の法制を手本として制定されたものである。この律令の基本理念は「公地公民」にあり、経済面では「班田収授の法」を柱としていた。「土地国有制」という点は現代中国に相通じるところもある。大宝律令が規定するこの法制はいまの尺度で判断すれば<共産主義>そのものであるが、実際には私営開墾活動の成果である新耕地を私有財産として容認する「三世一身の法」(723年)、「墾田永年私財の法」(743年)が公布され、日本社会は共産主義的な律令社会から現実的な「私有財産社会」、つまり「荘園制」へと移って行き、それで安定したわけである。ところが、授業の場では荘園の発展が律令社会の堕落、古い豪族社会の復活のような負のイメージの下で説明されていたことを覚えている。

しかし、いま改めて振り返ると、授業には価値判断が混じっていたと感じる。一言で言えば「尊皇史観」という歴史観、つまり価値観である。この立場に立てば、たしかに律令国家の変容は社会の堕落、崩壊である。他方、当時の授業のようではなく、律令社会から荘園社会への変容は、むしろ個々人の努力を国家も認める民主主義的な社会への進歩であった。そう観ておくのが正当だ、と。こんな見方もありうるわけだ。

そして、このように考えたからと言って、日本社会は奈良時代から平安時代にかけて、より民主主義的な善い社会へ進むことができたのだ、と。こう言うとすれば、これまた客観性に欠ける議論である。

言いたいことは、

価値判断がいかに不毛の議論であるか 

ということだ。 

社会の在り方、国の在り方に、善い・悪いというモラル的価値尺度を当てはめて価値判断を行うのは、学問的には無理筋である。

実際、王朝時代の中国において、酷い政治、酷い社会状況がもたらされれば、それは社会が悪いのではなく、統治の責任者である皇帝その人個人の不徳に原因があると考えられたわけであって、やはり倫理的判断を下したいのであれば、その対象は国や社会ではなく、個人に限るべきである。それが本筋だろうと思うのだ、な。マ、統治責任者個人に政治の結果責任を問うのは、これはこれで極端だと思っているのだが、「徳目」に基づいて政治を語るならこう議論せざるをえない理屈になる。

つまり、対象を国や社会とした、「マクロ倫理学」やまして「国際倫理学」という学問分野は存在しないし、存在するべきでもない、というのが小生の立場だ。 

従って

非・民主主義国である中国、たたくべし

という主張は、その辺の活動家のアジ演説と同程度のレベルということになる。



 

 

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