2022年7月11日月曜日

断想: 人生を考えることは「運命」について考える事でもある

因果関係によって物事を理解しようとすれば、人生を自由意志の結果というより何かの原因の結果、あらかじめ決まっていた運命として、受け止めようとするものだ。因果関係ではなく、目的論的に物事をみたいなら、行動や出来事を運命としてではなく、何を目指しているのかという、そもそもの目的から理解しようとするものだ。因果はめぐると考えれば、人生は半ば必然となる。善行も悪行も宿命的な業である。そこでは悲運や幸運が語られる。源義経が歩んだ悲運の人生は避けられるものであったのかという疑問には運命論が隠れている。他方、目的や動機からその人をみれば善か悪かという倫理に立つことになる。夏目漱石の小説に登場する主人公が暗いトーンで描写されているのは倫理観が余りに厳しいからである。『正義は勝つ』という勧善懲悪史観を支えているのは因果論ではなく目的論であるし、勝った側こそ善なのだという歴史観もそう考えざるを得ないからそうなるわけだ。

小生は何度も書いているように

人生は思うようには行かない。思うように行かないから、次の行動も初めの動機からは違ったものになる。最後には目的も諦めることが多い。

という立場に近い — もちろん100パーセントではないが。つまり、小生の人生観は

かくすれば かくなるものと 知りながら ・・・

という感覚に近い。『なせばなる』というのはタマタマ幸運に恵まれた人だけが持ちうる感想だろうと思う。小生が世間の出来事に対して厳しい倫理を適用したくないのは、それだけ因果論的に物事を観るからだろう。

選挙というのは、近代民主主義社会の中では、内乱、革命といった武力行使の代替ツールである、と言われる。だから、国政選挙の翌日に

戦いすんで、日が暮れて

と言う人もがいても、それこそ正直な気持ちなのだろうと思う。立候補をする人、立候補する人を応援する人、応援する人を応援する人といった当事者よりは、無縁で無関心な人の方が数の上ではずっと多いだろうが、それでも「選挙」なる仕掛けがなければ、力の強い集団が武力によって社会全体を支配することになるのは、自明の結果である。

うちのカミさんはそれほど政治事情、経済事情に強いわけではないが、最近は株式投資もボツボツとかじり始めたので、昨日の参院選にまんざら興味がないわけでもないようだ。

小生: 小沢一郎ってすごく有名だったんだよね。

カミさん: その位、知ってるよ!岩手県だった?

小生: そうそう。1990年代から2000年代にかけては「小沢政局」なんて言葉もあった位でネ、そりゃあ政界の台風の目だった人なんだな。その小沢さんも去年の衆院選では小選挙区で落ちてネ、ああ「小沢時代も完全に終わったナア」って感じたんだけれど、今度の参院選で側近の議員が二人も落選したよ。

カミさん: そうなの?

小生: 新潟の森さんと岩手の木戸口さんだけどね、まあ、森さんの物言いは好きじゃなかったけど、使命感はあったに違いないよ。木戸口さんはと言えば、まさに岩手の地元。そこで落選するんだからネエ・・・没落ぶりが余りに明瞭で、諸行無常、盛者必衰の理そのものだなあ・・・。長生きするのも悲しいヨネ。

カミさん: しょうがないよ、寿命というのがあるし、ずっと続けるのは無理だから。

小生: 安倍さん、確かに無念だろうけど、功成り名を遂げて、まだまだ影響力をもっている内に、今度は死して名を残す。文字通り<伝説>になるわけだ。どちらが恵まれているかネエ・・・。

政治と言う舞台は、いわゆる権威主義国家とは違って、民主主義国家では政治家個々人が辿る人生、運命を、かなり透明化して、視える化するものだ。少なくとも、民間企業の経営主導権を争うパワーゲームに比べれば、密室性が少ない(という建て前だ)。

偶然性の背後に運命という必然性を観ることが出来るのも、古代の戦場と現代の選挙で、どこか共通しているところかもしれない。

夏草や 兵どもが 夢の跡

戦争は多くの叙事詩を生む。古代ギリシアが戦った「トロイア戦争」が『イリアス』を生んだように日本の源平合戦は『平家物語』を生んだ。第二次大戦は映画"The Longest Day"を生んだし、ベトナム戦争はハルバースタムの"The Best and The Brightest"を生んだ。どれも広義の叙事詩である。武力の行使を否定する現代社会では、選挙で激しく戦う個々の候補者の行動が、現代的叙事詩の素材を提供するはずだ。そこには汗と涙、打算と名誉、応酬と陰謀などあらゆる要素がある。

誰か物語を書いてくれないだろうか・・・


地方にある小都市の、もの寂びたとある通りに面して、旧い建物があって、入り口の横には

〇〇年〇〇月から●●年●●月まで連続△期衆議院議員を勤め□□の実現に尽力した▲▲氏の選挙事務所は〇〇年〇〇月から□□年□□月までこの建物の◇◇階にありました

そんなプレートが埋め込まれている。実際、その階に上がっていくと、『▲▲先生記念会』という看板がかかっていて、入ると書簡や生前愛用していた万年筆やメガネ、洋服などが、現役当時のスタッフ一同の写真とともに陳列、展示されている。歴史好きな人の人気スポットになっている・・・。議員の職が世襲されているとすれば、多少生臭いがこんな風な情景を想像するのは面白い。 

誰の、どんな仕事なら、歴史的メモリアルとして後世に遺したいと思うものだろうか?

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