2022年7月24日日曜日

断想: 演繹的論理と帰納的論理が対立する時は

加筆:2022-07-24、2022-07-25


 疑いを入れぬ大前提から出発して、

これが正しいならば、こう結論できる。であれば、・・・

と思考を進めるのが演繹的論理だ。数学や論理学はその典型であるし、アリストテレスが唯一の信頼できる思考形式として挙げた<三段論法>もそうである。アリストテレスの論理学は、中世のキリスト教神学を支えた基盤である。

人間はすべて死ぬ。ソクラテスは人間だ。故に、ソクラテスは死ぬ。

例えば、こんな議論は三段論法の一つの例になるが、その他にも色々な型がある。アリストテレスは、全ての真である命題は最終的に三段論法に帰着すると述べている(そうだ)が、ラッセルはこれは間違いであると指摘している。

もし観察される事実が大前提から結論される状態と違うなら、それは<あるべき状態>へ向かう過程にあるからだ、と説明されるわけで、最終的には、ありとあらゆるものは<あるべき状態(=自然な状態)>へと向かいそこで静止する。こんな世界観になる。

大前提から出発する演繹的論理で世界を観察するなら、肝心要の大前提(=公理)に何がしかの価値観が織り込まれるのは、自然なことである。たとえばその価値観が<善>であったりする。故に、演繹的論理で議論する時は、議論がどことなく倫理的になる。ソクラテス、プラトン以来の古代ギリシア哲学が全体として『世界は善に向かっている』という風な<目的論的な>論調になるのは、全体系が演繹的であるためである。


これに対する帰納的論理は演繹的論理とは逆である。より多くの観察事実をより簡潔に、より正しく、説明できる前提を経験的に推測するという議論をする。文字通り演繹的議論とは逆の議論になる。例えば近代科学の一大成果である「ケプラーの法則」や「ニュートン力学」は、何の大前提も置かれないまま、ただ観察された天文データを正確に、簡潔に説明できる力学モデルを<発見>したに過ぎない。このように、帰納的議論によって自然現象や社会現象を理解しようとすれば、全体としては目的論的にはならず、<機械論的>になる。マルクス流の「必然的なプロレタリアート革命」は社会の矛盾を解決する過程から生まれる経済発展段階から導かれる結論である。演繹的議論と異なるのは、何らかの価値観が大前提とはならない点であり、データ分析に倫理的要素が混入しない。


マルクス(というよりエンゲルス)自身が「科学的社会主義」と自身のアプローチを特徴づけているように、マルクス経済学においては資本主義から社会主義への移行はソーシャル・メカニズムの必然的結果である。『それが善い』とか、『資本主義は本質的に不正義だから社会主義社会の到来は当然の帰結である』という議論の仕方は、最も非マルクス的な思考なのである。同じように、不平等よりは平等の方が正しく、善であるのに決まっているから、世界は平等に向かって進んでいくはずであるし、それが正しいのだ、というか進んでいかなければならない、と。こんな議論は、プラトンやアリストテレスのような古代ギリシアの哲学者が考えるだろう思考であって、近代社会をもたらした科学的発想とは逆転した議論である。マ、簡単に言えば《非科学的》である。


1980年代初め以降、所得分配の不平等化が進んできたのは、世界共通の現象である。

それは何故か?

と、議論するのが科学であり、例えば

新自由主義による政策が多くの国で実施されたからである

こうした事実が共通して認められるなら、次に

なぜ新自由主義的な政策が実施されたのか?

と、どこまでも結果から原因にさかのぼる。ここに帰納的議論の特徴がある。観察される結果の原因を観察可能な特定因子に求める。そこには一切の価値観もイデオロギーも混在しない。故に形而上学にはならない。科学の基礎に帰納的論理があるのはこういう意味である。最終的に「所得分配過程を支配する長期的変動法則」のような規則性が「発見」されるなら、社会科学としては大きな成果になるわけだ。演繹的に議論するとこうはならない。


少なくとも、足元で世界的スローガンになっている《共有された価値観》から出発して、

この価値観から出発するなら、世界はこうなるはずであり、寧ろこうならなければならない

と議論するのは、2400年ほども昔のペロポネソス戦争を始めたアテネ市民の論理と大差はない。更に、北方の蛮族であったマケドニア王国の王であるアレクサンドロスに征服される直前のアテネ国家の価値観外交を連想してしまう ― どちらにおいても、アテネの価値観は現実には有効でなかった。アテネの民主主義は政治的パワーとしては機能せず、現実には敗北を重ね、政治的には没落した。

が、結果としてはアレクサンドロス死後の広大なヘレニズム世界において、アテネは政治ではなく文化によって諸国民を魅惑するという想定外のポジションにつくことができた。アテネの民主主義が後世代から評価されたのではなく、特に哲学という文化的精華に人々が魅惑され、アテネは存続した。いわばアテネにとって結果オーライであった。そして、そのアテネで勉学した哲学者だが、プラトンは全体主義、アリストテレスは君主制の支持者である。ギリシア文化を吸収した古代ローマも共和制末期の混乱から帝政へと移行し、それ以後のローマ帝国は時代を経るごとにより一層皇帝独裁の度合いを高めた。それが歴史の歩みである。

小生が古代社会の興亡に興味を感じるのは、初期状態から終末期までが完結した一つの時代を構成しているからだ。そこから伝わってくる印象は、世界はなにか善い時代に向かって歩んでいるという目的論的歴史観は観察事実とは違うということだ。


ペロポネソス戦争は、経済的利害の対立も背景にあったが、やはり民主主義と非民主主義の戦いでもあった。価値観の対立がひき起こした戦争であったのはそうだと思う。それより50年前にあったペルシア戦争では全ギリシア国家が団結して敵国・ペルシアと戦ったが、それを支えたのは<民族>という価値観だった。確かに価値観は、戦争をさえひき起こす程の影響力をもつが、価値観は要するに価値観でしかなく、人間がイメージする価値の通りに世界が動いてくれる因果関係はない。それはアテネの失敗からも分かることである。大体、第二次大戦で民主主義的な連合軍が勝利したのは、民主主義であったからではなく、民主主義的なアメリカの工業力が世界で隔絶しており、加えて自給自足を超えるほどの資源と農業生産力に恵まれていたからである。そしてアメリカが民主主義であった理由は、英国の植民地からスタートしたことと、国土が広大で中央集権的な政府が形成されていなかったなど、主に歴史的な偶然によると観るのが自然だろう。

歴史的な偶然を歴史的な必然と錯覚すると災難をもたらすものだ。

自然にせよ、社会にせよ、因果関係によってメカニックに理解するときに、迷っている私たちは適切な行動を選べるというのが本筋のロジックであって、価値観に基づいて予測をしたり、そんな予測に基づいて行動プランを立てるとすれば、それはとても愚かである。

どうしてもそう思いますがネエ・・・同じ主旨のことは何度も投稿しているが。

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