2022年7月6日水曜日

断想: 課題解決のための議論なら日本人も盛んにやっている、しかし・・・

日本の社会では重要な問題について正直ベースの議論を避ける傾向がある・・・という点が最も重要な問題だというのは、本ブログでも同じ主旨の投稿を数えきれないほどしてきた。

これは「まったく、議論をしない」という意味ではない。好例があったので具体的に補筆しておきたい。


メディアでも論壇(という世界はもう現代日本社会からは消失したと小生は思っているが)でも、政府内でも、問題発生の序盤から中盤にかけては盛んに議論をし、激論にもなるが、解決がみえてきた終盤から解決直後にかけての総括段階の議論が急激にレベルダウンするのである。この点が日本的問題解決パターンを特徴づける最大の弱点だと思っている。

序盤から中盤にかけて意見・反論・異論が雲のように湧きおこって来るのは、結末が見通せず、誰が何を言ったかは解決時点ではもう誰も覚えていないからであり、活発な討論は裏返して言えば無責任に徹することができるからだと、小生は思っているのだが、これは余りな皮肉だろうか?

これに対して、終盤以降の総括段階で急に議論が慎重になるのは、誰が間違っており、誰が正しかったかという区分が、余りに明瞭に視える化されるので、全員の和を保つには本質的な総括は曖昧なままにしておくほうがプラスだと。そんな思考が日本では優勢になるのだ、と。ザックリと言えば、済んだことで感情をささくれ立たせるのは止めようという退廃がそこには隠れているのだと、そう言えば、余りに無情だろうか?

その一つの例に《コロナ禍への対応》の総括があると思う。そろそろ記録や事実が整理できる終盤であろう。


2020年のコロナ禍立ち上がりの序盤、日本で主流を占めていた意見は《ゼロ・コロナ戦略》であり、そのためにこそ何より「水際防止体制」が重要だと、そういう議論を何度耳にしたか分からない。そんな思考の流れの中で

検査自体には意味はないんです

医療専門家からこんな発言を聞くことも多かった。

考えてみれば、水際防止重点主義の裏返しが、国内PCR検査の不徹底であったのだろうと思われるが、水際防止は長くて一月程度も成功すれば御の字であったはずだ。国内で感染が拡大した時の対応こそが最重要な課題であるのは自明であった。ところが国内での感染拡大を前提した対策は、議論百出、百家争鳴の状態で、立法府、行政府、学界、医療界、財界、メディア等々、結局のところ組織的な対応と言える施策は特になかった印象をもっている。とはいえ、感染序盤の下で今後の対応をめぐる議論が盛んに行われていたことは事実である。

特に

経済対策を優先するか、それとも感染対策を優先するか?

で日本人は大いに議論をした。その頃、いわば日本のお手本であったのが、一つには台湾、もう一つにはニュージーランドであったのは、当時のTVワイドショーを一度でも観た人はよく記憶しているだろう。中国は・・・といえば、中国式の感染対策が<有効>であることは分かるが、日本では体制上の制約から(残念ながら?)実行できない、という辺りが日本人大多数に共通した感想だったに違いない。

ところでBloombergがこんなサイトを現在まで逐次アップデートしながら公開を続けている:

The Covid Resilience Ranking

The Best and Worst Places to Be as World Enters Next Covid Phase

Published:  Last updated: 
最新の結果は下のように要約している:
 A consistently strong performer in the Covid era, South Korea moves into first place in June, followed by the United Arab Emirates and Ireland. No. 1 for three months in a row, Norway drops to fourth place, with Saudi Arabia rounding out the top five. 

URL: https://www.bloomberg.com/graphics/covid-resilience-ranking/

第1位は、(何だかんだ言っても?)韓国である。 全体のランキング表は元のサイトに移動して表示させることが出来るが、中国は第51位。中国より下位にある国は、台湾とロシアの2国のみである。 

ちなみに評価の高かったニュージーランドは第35位。日本は第30位となっており、日本はニュージーランドよりはパフォーマンスが良いという評価になっている(どちらも中より下で誉められたランクではないが)。 

この事実を総括的に振り返った番組なり記事は、日本のメディアでは(いまのところ)皆無である ― 小生の不勉強で見落としているのかもしれないが。 

コロナ禍はもう過去の問題なのだろうか?決して過ぎた事ではない。2009年の新型インフルエンザが決して過ぎた事ではなかったように、新型コロナも過ぎた問題ではない。今でも問題として存在している。だから、しつこく議論を続け、話題にとりあげ、考察を深めて、総括までもっていかなければダメなわけである。


上のデータに気がついたのは、英紙TelegraphにJeremy Warnerが寄稿した記事"We must not follow China into a never-ending lockdown nightmare"に言及があったからだ。

 For Xi, who is up for election for an unprecedented third term as party chairman later this year, zero-Covid has been made synonymous with his own success or failure as a leader, and is therefore a totemic policy that cannot be challenged. This might make him more vulnerable to opposition; the policy has come at shocking economic and social cost. But it has also had the effect of suppressing criticism and preventing discussion of alternative strategies. 
Yet there is no such restriction on external appraisal. From being the standout number one in the Bloomberg Covid resilience rankings — which seek to assess how well countries are dealing with the pandemic — China has sunk all the way down to 51. Only Taiwan, which has similarly applied a zero-Covid strategy, and Russia, are deemed to be doing worse.

 Source:The Telegraph, 5 July 2022 2:27pm 

問題解決に向けて日本人は何も議論をしないわけではない。なるほど公の場で議論を堂々と展開するべき責任のある政治家は為すべき仕事を満足にしていないかもしれない。しかし、世間では多くの場で、ネットやメディア上で、多くの意見が提出されていることは事実だ。

ところが、PDCAサイクルの中で日本人が強いのは、最初のPの段階だけであって、実行するDの段階ではPの成果を十分にくみ取らない、Pの成果に基づく意識が乏しいので実行後に成果をチェックするCの段階には不熱心かつ消極的であり、故に改善された次の行動につなげるAの段階に進まない。結果として、PDCAではなく、ある人のPとD、成果が不十分だから別の人のPダッシュからDダッシュ、それもダメだからPツーダッシュを試みてDツーダッシュを得る。つまりチェックとアクションがない。ヘーゲル流にいえば、テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼという矛盾から認識を深める弁証法的な発展の論理を、どういう訳だか、嫌う。自明の公理から綺麗なロジックで引き出される単純な論法を愛する、というより偏愛する。やってみて生じる問題点を情報ではなく失敗と受け止めてしまう。問題発生で可能になるはずの認識の深まりとそれに基づく改善を何故だか嫌がる・・・  要するに 最も重要な総括段階の議論を避けるところが目立つ。ダメなら最初に戻って、という行き方を好む。

そんな印象があるのだ、な。人によっては
日本的問題解決とは、要するに、行き当たりバッタリ
と酷評したりもするのは、だからだと思う。よく言えば、チャンスを生かす、悪く言えば近視眼的で機会主義的というのは、ずっと昔から海外から寄せられている日本的行動批判ではあるわけで、マ、何となく納得する自分がいたりもするわけである。

研究で最も重要なのは、計画と実験、結果の観察と公表、討論、そして総括という流れの中の《総括》である。個々人のベースでは不可欠な総括作業を怠ることがないにも拘わらず、それが組織の中で必須ではなくなった状態では、なぜ嫌がるのか。その原因は最初に書いた通りではないかと憶測しているのだが、日本社会の不思議なところだと思っている。

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