2022年7月9日土曜日

ホンノ一言: 批判者による誉め言葉が公平な評価、ということか

一晩明けても、案の定、昨日の安倍元首相狙撃事件でマスコミはもち切りだ。

在職中は安倍首相の信条、政治的志向に対し一貫して冷淡であり続けた米紙The New York Timesがトップで昨日の事件を報道している。抜粋して引用しておこう:

WASHINGTON — In his record-breaking run as prime minister, Shinzo Abe never achieved his goal of revising Japan’s Constitution to transform his country into what the Japanese call a “normal nation,” able to employ its military to back up its national interests like any other.

Nor did he restore Japan’s technological edge and economic prowess to the fearsome levels of the late 1980s and early 1990s, when Japan was regarded as China is today — as the world’s No. 2 economy that, with organization and cunning and central planning, could soon be No. 1.

But his assassination in the city of Nara on Friday was a reminder that he managed, nonetheless, to become perhaps the most transformational politician in Japan’s post-World War II history, ...

URL: https://www.nytimes.com/2022/07/08/us/politics/shinzo-abe-influence.html

Source:NYT、July 8, 2022, 7:40 p.m. ET

同紙らしく皮肉な物言いではあるが、それでも戦後日本政治史において最も「変革性に秀でた政治家」(=the most transformational politician)であったと指摘をしている所は、この辺が客観的かつ公平で最大公約数的な見方ということなのだろう ― 保守政治家であって、かつ「革新的」(≒transformational)であるというのは、日本政治が戦後ずっと引きずっている逆説的な側面だが。特に「憲法改正」という自身の目標はついに達成できず、また「今日の中国のように輝いていた昔の日本経済の姿を取り戻す」ことも叶わなかった。こう指摘しているのも元首相が取り組んだ仕事のまとめ方としては簡潔、実に的確である。

やはり

人を評価するには敵対していた人物の意見を聴くのが最も公平である

そんな感想である。


その後の下り

“We didn’t know what we were going to get when Abe came to office with this hard nationalist reputation,” said Richard Samuels, the director of the Center for International Studies at M.I.T. and the author of books on Japan’s military and intelligence capabilities. “What we got was a pragmatic realist who understood the limits of Japan’s power, and who knew it wasn’t going to be able to balance China’s rise on its own. So he designed a new system.”

この部分は、最高の誉め言葉であるに違いない。


最後段で述べている

But his influence, scholars say, will be lasting. “What Abe did was transform the national security state in Japan,” said Michael J. Green, a former senior official in the George W. Bush administration who dealt with Mr. Abe often. Mr. Green’s book “Line of Advantage: Japan’s Grand Strategy in the Era of Abe Shinzo” argues that it was Mr. Abe who helped push the West to counter China’s increasingly aggressive actions in Asia.

旧・西側陣営を巻き込んだバランス・オブ・パワー構築を対中外交戦略の基本にするという発想 は、中国側からみれば

日本: 米中の敵国 → アメリカの賢い犬

にも見えるわけで、元首相は中国にとっては「癪に障る親米派、対中強硬派」であったに違いない。


人口減少が止まらず沈みゆく元・経済大国にして、今もなお現状維持を望む世論が強いとなれば、明治日本が採った『一身独立して、一国独立する』という福沢諭吉的な<独立自尊>ではなく、世界のスーパーパワーの中でもよりマシな勢力との絆を強める<同盟路線>に舵を切るとしても、政治的にはそれが日本の安全保障を図るうえで唯一の選択肢であると言えるだろう。実際、ウクライナ戦争を眼前にみてNATO加盟に舵を切ったフィンランド、スウェーデンもほぼ同じ目的をもって行動しているわけであるし、ずっと昔の20世紀初め、相対的に地盤沈下していた大英帝国が、大国ロシアと対抗するため、伝統的な光栄ある孤立を捨て、極東の小国・日本を同盟国として選んだのも、今日の日本と概ね同じ動機によるものであったかもしれない。その辺の事情を明治日本は理解した上で

自存自衛 → イギリスの賢い犬

という役回りを自ら日本のために演じたのであるかもしれない。日本の安全保障のために曲芸的な国際外交を懸命に進めていた。 今も昔も変わらない一面である。


一つ付け足しなのだが、そもそも(県民性を云々するのはジェンダー・フリーまでが守るべき価値として確立されつつある現代では御法度なのだろうが)、山口県の人は周辺地域との関係性の中に身を置く感性が発達している印象をもっている。この辺の志向は、例えば東北地方と比較すると、結構大きな個性の違いとして、多くの人に認識可能なのではないかナア、とずっと感じている。山口だけではなく、(出向して暮らしたこともある)岡山県の人や、広島県人も似たような傾向がある。少なくとも小生の元々の田舎である愛媛県中予地方の人の気性と岡山県の人の肌合いは随分違うものだと、暮らしていて実感したものである。元首相が、産業育成や公衆衛生といった国内行政ではなく、国際外交で成果を重ねたのは、いかにも山口県選出の政治家のようで、納得感があるのだ ― もちろん数学の命題のように例外なく常にそうだという意味ではない。

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