2022年8月10日水曜日

断想: 「野球留学」というものについて

夏の風物詩というと「甲子園」であるのはずっと変わらない戦後日本の習わしのようだ。亡くなった父の思い出話を覚えているが、父が少年時代であった昭和初期の頃には既にそうであったそうだ。中京明石の延長25回、海草中学のエース・嶋投手が演じた全試合完封+準決勝及び決勝の2試合連続ノーヒットノーランをリアルタイムで聴いていたなど(TV放送は日本では戦後文明の所産だ)、父の回顧談は驚きであるのと同時に羨ましくもあったものだ。

ずっと以前になるが、高校野球については、こんな投稿をした事がある:

県外から「野球留学」してきた選手がレギュラーとして出場しているチームも多く、毎年「規制するべきではないか」との声があがるが、とくにルールが設けられていないのが現状。 

「おらが街」のチームを応援しようとメンバーをみたら全員他県出身者だったとなれば、複雑な感情を抱く人がでてくるのは当然だ。 

 この投稿は日付をみると、もう6年も前になるが、上のような状況は益々進んで(感じ方によっては酷くなって)いるようだ。

上の下りの後、こんなことを書いてまとめている。

まあ、とにかく小生は保守的、つまりは昔は良かったと語ることが多い右翼である。だから、この件については「全員が県外出身者なんて、その地域代表であるはずがない」。そう断言する。

だって、プロ野球でも外人枠があるんだよ、と。優勝したいなら日本ハム球団だって、どこから選手を調達しても自由でしょ、と。プロなんだから。優勝したいのだから。しかし、外人枠でそれは制限されている。自国の日本人選手がチームの多数を占めること。そう制限されているんだよね、と。プロでもそうなっているのだ。

高校に入学するまで、本人も両親もその県のどこにも住んだ経験がなく、親戚もおらず、その県とはまったく無縁で、ただ野球をしたいのでその県内に進学したのであれば、その県からみれば「県外者」である。100パーセント、県外者で構成される野球チームは、現時点でもちろんその県に居住しているのだが、「地域代表」となる資格を欠いているのではないか。極めて常識的な問いかけである。

種目を問わず「ナショナル・チーム」を編成しようとすれば、その国と何らかの縁がある選手を軸にするべきだ、という意見には相当の人が賛成するのではあるまいか。サッカーのW杯に出る日本代表チームに生粋の日本人が僅か1人のみでは、まともに応援もしてくれないだろう。

都道府県代表と言いながら、地元の人たちと何の縁もなく、近隣住民から応援もしてもらえないなら、淋しいのではないかと思う。

もっとも野球部は県外から留学してきた生徒がほとんどだが、その他の生徒はおそらく地元から入学している学校も多いかもしれない。とすれば、同じ高校で学ぶ野球部が甲子園に出場するなら、応援してあげたくなるのも同級生なりの人情というべきか。子がそう思うなら、保護者たる親もその学校を応援する気持ちになるだろう。

とはいえ、小生の叔父は住んでいる愛媛の(愛媛県立である)松山商業が甲子園に出る年は、自分は松商OBでないにもかかわらず、「じっとしてはおれん」と言いながら夜の船に乗って甲子園球場に駆け付け、応援に声をからしていたものである。ほとんどが県外の野球留学生なら、そんな風に甲子園にかけつける地元の人は、広がりとしては、期待できまい。応援するのは、その学校に通っている生徒とその関係者のみ・・・かもしれない。

やはり淋しいなあと感じるのは、世代ギャップというものなのだろう。

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