加筆:2022-08-20
前回投稿の補足をしておきたい。
いま世間を騒がしている「旧・統一教会」の関連で「宗教と政治」、「教団と政治家」といったテーマで個人的に考えている内容は先日投稿しておいた。そこではロシア=ウクライナ戦争のことも話題にしたが、分量的には教団がらみの投稿だった。
今もカミさんが毎日視聴しているテレ朝「モーニングショー」で毎日の恒例となった「政治家と旧・統一教会」、「自民党と旧・統一教会」をトピックにして特集報道をしているところだ。
それで、思ったりするのだが、テレビ朝日のこのワイドショーだが、年齢で層別化すると、特に50代以上の視聴率が突出して高く、20代から50歳未満の若手現役世代ではほとんど視聴されていないというデータが数日前に公表されている。要するに、「モーニングショー」は主としてシニア層向けの番組編成をしているということで、確かに日常の仕事に没頭する若い時分は政治向けの話題にはそれほどの興味を覚えず、それよりは直接に役に立つ暮らし向けの情報を提供してほしい、と。そう思うのは、小生の家庭を振り返ってもそうだったので、分かるわけだ。シニア層というのは、(概して言えば)子育ては終わり、仕事も引退するか、重い責任から解放されて暇な時間が増え、社会全体のことに興味が高まる、その分「天下国家」のことを話したくなる、そんな年齢層であるのは確かだ。
ただ不思議に思うのは、勤労所得よりは年金、財産所得などの不労所得の割合が増えれば感覚としては保守化するはずのシニア層に向けたワイドショー番組で、なぜいま旧・統一教会叩きとも言えるような番組編成に重点を置いているのかという点である ― 韓国で日本人信者たちによる偏向報道反対デモが起きたようで、日本国内にも同種の出来事が飛び火してくるのではないかと予想される中、元首相暗殺事件を契機にしたとは言え、あまりに突然の奔流のような教団叩きは、一体その背景なり動機は何だろうと感じさせるのだ、な。
それで「ああ、なるほどネ」と何となく思い当たったのは、現時点の国内シニア層は前後の世代に比較すると、際立って<反米>、<反自民>、<親共産>の感性が強い世代であったことである。1960年安保闘争、70年安保闘争、新宿駅前の沖縄デー騒乱、東大安田講堂攻防など多くの学生闘争を展開したのは、今の70歳代、80歳以上の人たちであった。
「三つ子の魂、百まで」という。現在のシニア層にターゲットを置いた報道番組は、自然と反自民党で政府・与党には厳しく、反資本主義的で、親・社会主義、自由主義には批判的となり社会的同調重視の立場に力点を置くであろう。そう思いついた次第。旧・統一教会は反共を原則として発足した教団である以上、共産党の視点に立てば旧・統一教会が敵であるのは明らかで、共産党シンパの立憲民主党もそれに近く、その共産党には若い時分以来の親近感を抱いている以上、シニア層は旧・統一教団には心理的な敵意を抱く傾向がある・・・「だから、こういう番組編成になるのか」と。ストンと腹に落ちて、納得したのだな。
・・・但し書きも記しておこう。朝日新聞、TV朝日は統一教会報道に消極的であるという批判がある。上の仮説とは整合していない感もある。確かに、TV朝日の上記ワイドショーも、しばらくの期間、他局を横目に不思議なほどに無視を決め込んでいた。が、そもそも、親リベラル、親左翼の牙城・朝日新聞社は、岸信介氏と親密でかつ反共姿勢を貫いてきた旧・統一教会には否定的であるのに決まっている。であるのに、報道を控えていたのは人権の核心の一つである宗教の自由を意識していたからだろう。親共産とヒューマニズムが日本では(不思議に)両立しているのだ。足元の方向転換は反自民、親共産に力点を戻したということか。他のメディア各社が(テレ東を例外として)重点報道しているのは、前稿でも述べたが、20年(?)の傍観に対して良心の疼きがあるのだろう。いずれにしても印象論である。
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それはそれとして、問題になっている「霊感商法」だが、言葉だけを切り取って「霊感」をテーマにお布施を求める布教活動と言うことなら、母がまだ生前の頃に親しく交際していた親戚の叔母が母に強く薦めていた信仰もそれだったのかな、と思い出している。その叔母が熱心に信仰していた宗派では、苦悩や病苦を上級信徒が手をかざすことによって軽減できるというのであった。つい先日も手をかざして苦悩を取り去る宗派の集まりに安倍元首相が出席して「私も信者です」と述べたという動画があると目にしたが、この手の話しは小生の個人的経験以外にも日本国内で数知れず見つかるであろう。何も旧・統一教会にとどまらず、仏教に近い新興宗派、それも名もなき指導者とその教派と信者たちを探し始めれば、さて、日本社会はどんな騒ぎになっていくだろう・・・
ヤル気があるメディア企業は試みてほしいと思うし、小生もそんな取材報道を視聴してみたいと思うのは事実だが、しかしやるとして何かの役に立つかネエと疑問を感じるのも事実で、カネを溝に捨てるようなものじゃあないかとも感じるわけだ。
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先日の投稿のポイントは次の一文に尽きる:
つまり、(宗派によらず)宗教に関連した事件、変事を防ぐには、不安をなくし希望に満ちた活力ある社会にするのがオーソドックスな近道である。真っ当なメディア企業なら、真にプラスになる情報を提供することに努力してほしいものだ。これが本日2番目の話題の結論であると言ってもいい。
暗殺事件を起こした山上容疑者の家庭環境は確かに同情するべきものだ。しかし、才能を開花させられるチャンスが豊かにあって、誰もが自分の将来を前向きに考えることができ、仕事が面白く、家庭を築くことができ、自分の人生に充実感をもって生きていける、そんな社会状況であれば、自滅的なテロ行為に走る動機はその分だけ弱まっていたはずである。
コロナ禍による経済抑制で自殺者がどれほど増加したかで東大の研究結果が東京新聞にも報道されている:
2020年3月から今年6月にかけ、新型コロナウイルス感染症が流行した影響により国内で増加した自殺者は約8千人に上るとの試算を東京大などのチームが17日までにまとめた。最多は20代女性で、19歳以下の女性も比較的多かった。チームの仲田泰祐・東大准教授(経済学)は「男性より非正規雇用が多い女性は経済的影響を受けやすく、若者の方が行動制限などで孤独に追い込まれている可能性がある」としている。
URL: https://www.tokyo-np.co.jp/article/196435
Source:東京新聞、2022年8月17日 08時33分 (共同通信)
容疑者の家庭崩壊とその後の人生は、未来を閉ざされた若年層に広がる社会的問題の一例である。東大の研究結果を真面目にとりあげるTV局は皆無、文字通りゼロである。コロナ禍の中、仕事を奪われた若手勤労者がどのように暮らしてきたのかを特集報道してもバチは当たらないはずだ。同じ特集報道なら、こちらの特集報道の方が、よほど社会的意義がある ― シニア層にはアピールしないかもしれないが。本筋に沿った真面目な報道こそ、真っ当でない宗教の影響が広がる事態を防ぐことにもなるはずである。
確かに、元首相暗殺事件の容疑者が述べている(と伝えられる)言葉に基づいて、旧・統一教団を叩くのは理解はできる。スピード違反で人身事故が起きれば加害者を叩くのは心情として分かる。しかし、加害者 を叩くことがメディアの使命ではあるまい ― 旧・統一教会自体は元首相暗殺事件の加害者ではなく、加害者自身が「自分を犯行に駆り立てたのは団体Aである」と述べている、そのAの立場であるに過ぎないのだが。負の側面にスポットライトをあてて叩くよりは、この種の事件を減少させるための行政措置、法改正の必要性を指摘する方が社会的には生産的であろう。被害者の心情に寄り添うことは大切だが、被害者の代理人となって加害者を叩くことが、メディア企業の社会的役割であるとは(小生には)思えない。代理人たる弁護士は淡々粛々と自己の職務を全うすればよいわけで、メディアを自分たちの味方にする戦術は、動機を見れば同床異夢であるのは明らかで、小生は賛同できない。
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旧統一教団と完全に縁を絶つかどうかなど、それより前に「反社会的組織」に認定するべきだと主張する方が先だろうと思う。それも主張せず、政治家は教団と縁を切れというのは、「その組織に入っている以上は、信者たちは組織の一員、つまり政治家から縁を切られて当然の非国民(候補?)である」と、そう主張しているのと同義ではないか、と。
政治は、民間企業とは異なり、すべての日本人が相手である。ビジネスで言えば顧客である。たとえ反社会的組織に属していても、日本人なら同じ有権者である。不適切であるからと言って、社会から排除することはできない。社会から排除できないなら、政治からも排除できない。現時点のマスコミはどうかしている。ワイドショーのMCやコメンテーターは報道担当者ではなく、演芸場、というか寄席に出ている芸人に近い仕事をしている、と書くのは流石にひどいナア — 実際、そうした一面も目立つのだが。こんな感覚が高まっている。
現時点で何よりも不思議な事だが、元首相暗殺事件をひき起した背景として警備体制の不備があったと多くの識者が指摘しているにも拘らず、事件後に責任をとった警察関係者は1名も発表されていない。そのまま職にとどまっている。そして、この事を厳しく非難するマスコミが1社もない。世間の非難から遠いところにいる。実に不思議だ。
また、(どうでもよいことだが)旧・統一教会の団体名変更の申請が(ある年、突然に)受理された背景に当時の下村文相(及び首相官邸?)の意向が働いていたのではないかという疑惑があった。ところが、メディア報道の流れは、下村・元文相の疑惑から萩生田・政調会長が教団信者の選挙支援を受けていたという話題へ急に変わってしまった。この急な流れの変化も奇妙なことである。
旧・統一教会から自民党議員が支援を受けていたであろうことは、「そりゃ、そうだろう」くらいの予想は多くの人がもっていたはずだ。当たり前だ。投票権をもつのは教団という法人ではない。信者である。その信者たちは、共産党に投票するはずはなく、親左翼的な民主党議員(≒立憲民主党議員)とも縁は遠かったろう。公明党ももちろん対象外である。であれば、多くの信者が自民党議員に投票したのは実に自然である。「選挙支援」というより普通の意味での「支持」というべきだろう。「旧・統一教会と政治」よりは、「旧・統一教会とメディア」の方が話しとしては面白かろう。
むしろ知りたいのは、
この20年間、メディア各社が旧・統一教会マターを取材せず、スポットライトを当てなかったのは何故か?
むしろこちらの疑問である。メディア各社は自社の報道方針を振り返り、自らが報道するべきではないかと思われる。
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