2022年8月31日水曜日

ホンノ一言: ペレストロイカも遠くなりゆく、か・・・

ゴルバチョフソ連・元書記長が死去した。氏の唱えた《ペレストロイカ》、英語で言えばだれでも知っている《リストラクチャー》ということになるが、ちょうどその頃は母が亡くなり、自分もまた勤めていた役所を辞めて、同僚とも別れて、遠くの大学に行こうかと考えていた時期でもあったので、ゴルバチョフ死去と聞くと、その当時の暗い日常を条件反射的に思い出してしまう。窓の外は冷たい夜雨がソボソボと降っているとなれば余計に憂鬱になろうというものだ。

<ペレストロイカ>といえば、プーチン・ロシア大統領はまったく評価していないので有名だ。

ソ連末期と崩壊後のロシア社会の大混乱は、プーチン氏が強権統治による「安定」をアピールし、長期支配を続ける格好の材料にもなってきた。プーチン氏は1991年のソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と評した。ウクライナ侵略を巡っては、かつてのソ連の版図回復が目的との見方がある。

URL: https://news.yahoo.co.jp/articles/2e4cc6272b2ca7731ec2d147d009168eb2711215

Source:読売新聞オンライン、8/31(水) 14:06配信

確かにソ連崩壊は「巨大な」地政学的悲劇であったというのも可能だと思う。しかし、ソ連崩壊とその後のロシア国内の混乱は、ゴルバチョフが、というより彼の政敵であったエリツィンに半ば以上の責任があるように思う。

というより、ソ連崩壊が「地政学的悲劇」というなら、大日本帝国崩壊もアジア・西太平洋地域においては歴史的な「地政学的悲劇」と言えるのじゃあないか。そのスケールは全アジアを覆うものだった、と言っても過言ではあるまい。大日本帝国が当時の国際政治環境の下で平和的に持続することが不可能な状況に陥っていたのと同じ意味で、ソ連の社会主義体制は経済面での非効率が許容限度を超え、社会が行き詰っており、持続不能になっていた。プーチン大統領が「地政学的悲劇」を嘆くのなら、日本の右翼勢力にも『大日本帝国の崩壊は地政学的悲劇であった』と嘆く思いがあってもおかしくはない理屈だ。

もちろんそんな暴論(?)というか妄言(?)を断固として言える蛮勇をもった政治家は今の日本には一人もいないと思うが、仮にそんな発言があるとすれば、歴史感覚が貧弱であるという点で共通している。ま、明治も10年になってから、薩摩の士族が西南戦争を起こしたくらいだから、イデオロギーというのはいつでも引火、爆発するものではある。というより、明治維新から73年も経ってから旧・摂関家の近衛文麿内閣が提唱した「大東亜共栄圏」は、「アジアの欧米列強植民地をその支配から独立」させ「大東亜の民族解放」を追求するという点では、幕末の尊皇攘夷を看板通りに決行したものとも見えてしまうわけで、まったく価値観というのは、時計とは違って、前にも後にも回る、「先祖返り」も決して珍しいことではないのだ。

プーチン大統領が実現した「安定」には歴史に沿った自然な前進が見られなかった。咲かせるべき花が枯れしぼむばかりだった。それはそもそも無理な事をしようとしていたからだ、と。そう思っている。もって<他山の石>とするべきだと思う。

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