2022年8月25日木曜日

メモ: これ便利だよね、だけではダメでしょうという話し

一面的な議論、一面的な批判、一面的な称賛。現代日本にはそんな風な騒ぎが毎日起きていてホントに喧しい。

本ブログは、始めてから間もなく休眠状態になっていたものを、東日本大震災後にそれまで30年間ほど書き続けてきた日記から、特に社会的な出来事を抜き取ってブログにしてみるかと、そんな思いつきから再開したものだから、要するに自分勝手に世相を記録するWebLogである。

プライベートな家庭内の事は別に節目、節目でオンライン文書にしているが(場所を問わず編集できるのが強みだ)、本日はこんな事を書いておいた。これは今日的世相の記録にもなるのでそのままコピペしておきたい。

本日、マイナポータルからマイナポイント付与の手続きを済ませる。本人とカミさん二人分。愚息たちは自分で手続きすればいい。感じたのだが、手続き自体はそれほど複雑を極めるものではないが、世間一般のいわゆる「手続き」と比べれば、ネット接続、関連アプリのインストール、本人確認の厳格化などが複合して、やはり「面倒だなあ」と意識されると思う。便利であるにも関わらず普及しないのは、利用コストが高すぎるからに決まっている。そのコストには、価格など貨幣的費用だけではなく、必要な知識、器材など非貨幣的な手間一切が含まれる。分かっている側の前提でサービスを設計しても、分かっていない側の事情に無知ならば、本来は有用なエネルギーが無駄に空回りするだけだ。高度成長時代の日本企業がどれほど営業で工夫をしたかを思い出すべきだろう。戦後日本の復興と高度成長は、簡単かつ楽チンに実現されたわけではない。

本来は有用なエネルギーが無駄に空回りしているケースは、現時点の日本の(ひょっとすると)あらゆる場所で数多く見つかるかもしれない。

日本の高度成長は世界の成長にうまく乗っただけだと心得顔で言ったりする人がいる。しかし、1990年代、2000年代の間、日本は世界の成長に乗れなかった。未だに周回遅れを挽回できていない。時代の波に乗ることは野次馬が口で話すほど簡単ではない。結果に結びつけるには運・鈍・根が大事であるのは今も昔も変わらない。この理はビジネスも研究も同じのはずだ。理論通りに成功に至る道があれば、誰でもとっくに成功している。が、「失われた30年」の間、日本は成功へ進むどころか、現状レベルを守るだけであった。世界から随分遅れた。この事に最近やっと日本人は危機感をもち始めた様子だ。ずっと喧しく駄弁っていただけだと気づくだけでも一条の光ではないかと思う。


カミさんに『この手続き、みんなスムーズにやっているのかなあ・・・』 と聞くと『無理だと思う』と応じる。本日は二人分の手続きを済ませたのだが、ネットには無縁の両親が今も健在なら、両家の祖父母4人を加えて、計6人分の手続きをやっていたことだろう。これも面倒だ・・・

危ない(とされる)インターネット経由とは別に、市役所など公的機関が中央サーバーに接続する専用回線を設けて、顔認証などで本人確認された市民は簡便に手続きできるような端末を、市役所の一角に設置するなどすれば、社会のデジタル化は加速するのじゃあないか。

とはいえ、サーバーに大事なデータを置きたくないという慎重な御仁もいる。そんな人にはUSBがいい。漏洩が懸念される預金口座番号や保険証番号、基礎年金番号、その他情報などは取り外し可能なUSB媒体にセキュリティキーと一緒に記録して住民に配布すればいい。上記端末を利用するにはそのUSB媒体を端末に挿入する。手元のメモをみて暗証番号を入れる。後は簡単だ。情報は外にあり、サーバーから漏出することはないので安心だろう。安全性への懸念もかなり弱まる。但し、そのUSBを忘れたり、なくしたり、落としたりすると、後処理がかなり面倒だ。

サーバーを信じるか、落し物はしないという自分の能力を信じるか、あるいは文明の利器には近づかず、敢えて不便を続けるか。結局は3択になる。

手続きが煩雑に過ぎれば、その分、価値がなくなる。「あったほうがいいよね」というのはコスト意識ゼロの役人的発想だ。便益から費用を差し引いた純益ベースで価値を測定するのが基本だ。


イノベーションはハードウェア分野で起きるとは限らない。売り手と買い手とのインターフェース、政策実行のインターフェース。40年も前にPCで起きたインターフェース革命と似た変革があってもおかしくはない。意識変革とも言える革新が待ち遠しいネエ。結局はITエンジニアの総体としての力量に帰着するのかも。ここも弱いのかな?

「どげんかせんといけん」のじゃないか・・・いま『夜明け前』なのだろうか?


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