2023年5月14日日曜日

ホンノ一言: 「推定無罪」、また忘れたか、ワイドショー

先日、現役中学教諭が殺人事件の容疑者として逮捕されるという衝撃的な報道があった。

その後の(新聞では密着フォローはしていない様子なので主としてTV報道になるが)情報では、容疑者本人は事件への関与を否認し、その後は黙秘に転じているらしい。

これに対して、TVワイドショーのコメンテーターは

自らが潔白であるなら、ありのままを話して、潔白であることを証明してほしいモノです!

と、まあこんな趣旨の発言を堂々と(?)していたから、小生、ビックリ仰天。これが以前と同じ日本かと思いました。(誰かから)そう言わされているのかとすら思いました。


大体、出来の悪い警察ドラマ、ミステリードラマでも「任意に」事情聴取されている「参考人」が

私がクロだと言うなら、クロだと立証する責任は警察にあるンです。私がシロだという証明を私自身がしなければならない義務はありません。

ドラマの中でこの位の台詞は出てくるわけで、視聴者もその位は常識の範囲だと思いながら視ている(はずだ)。


逮捕状が発出されている以上、司法当局が厳守するべき《推定無罪》を覆すに足る十分な物証がなければならない。

先ず(何となく?)疑いがあるからと言って逮捕して、その後から物証を探して「お前はやはりクロだ」という立証手順は絶対に許さないのが、民主化された近代国家の刑事訴訟の鉄則である。

当局が得た物証は、本人には伝えられているはずである。捜査の公正さを常に疑わなければならない立場にいる(はずの)マスメディアは、逮捕されなければならない証拠を警察はなぜ公開しないのか、と。この点を質問しなければならない。そして報道するべきだろう。

少なくとも《G7》のメンバーですという「先進国」のマスメディアであれば、この位の原理原則は知ってるだろうと思うのだが、これまでの情況を聞く限り、日本は「先進国」である資格をなくしつつあるようだ。

貧すれば鈍す。鈍すれば品を失う。

正に、文字通り、近年の日本を表している言葉だネエ……。


世界の報道自由度ランキングの中で、確定している2022年の結果だが、日本は180か国中の71位。台湾の38位、韓国の43位よりもハッキリと下である ― ちなみにアメリカは韓国のすぐ上の42位であるから、アメリカから韓国をみても報道に対する<束縛感>は感じないだろう。もちろん最下位は北朝鮮。中華人民共和国は175位である。中国といい、日本といい「確かにそうであろうナ」という順位付けになっている。

ただ日中で違うのは、中国では国民が束縛感を感じ不満がたまに表面化するのに対して、日本においては『大多数の日本人は自分の国に満足している』というかのようなイメージが浸透し、時に登場する「〇〇反対デモ」はごく少数の「恵まれない人たち」、「変わった人たち」、「過激な人たち」である、と。こんな感覚がメディア業界で共有されているように見える点だろう。

リアリティに敢えて切り込まない所に日本メディアの弱みがある。それは日常の継続を最重要だと考え、自らの「ミッション」や「存在理由(=レゾンデートゥル)」を下位に置く弱さからにじみ出て来る態度である。日本の自由度が低い理由として、「記者クラブ」の存在や「特定秘密保護法」が挙げられたりするが、そんな個別的な点ではなく、もっと一般に日本人がもっている精神、というより(個々人にあっては)「人権意識の希薄化」、(企業にあっては)「目的意識の希薄化」に根っこがあるのだろう。NHKの朝ドラ『らんまん』でいま映像化されている明治10年代の「自由民権運動」を、日本人はもう一度おさらいしなければならないのかもしれない。


所詮、民主主義、法の支配、自由と言っても、政府やスポンサー(=企業)にとって都合の良い限りでという条件付きの《価値》であったかと。そう思いつつ過ごす今日この頃でございます。

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