森鴎外は明治の文豪の一人だ。だから《民主主義》という価値観を持っていなかったとしても、それ自体は当たり前である。この辺の事情は夏目漱石が《投票》という決定方式に深い疑問を抱いていたことと同じ根っこから発している ― この点は少し前に投稿した。というか、明治以前の日本と明治の立憲君主体制しか知らない鴎外・漱石にとって《民主主義・日本》は想像の外にあったはずである。
その鴎外が陸軍を退職して翌年の大正7年に再就職したポストが帝室博物館総長である。奈良・正倉院の収蔵品虫干しが毎年夏から秋にかけて行われるのでそれに立ち会うのが職務になった。大正7年から5年間、鴎外は毎年奈良を訪れ、その間に詠んだ作品が『奈良五十首』となって残っている。
廬舎那仏 仰ぎて見れば あまたたび
継がれし首の 安げなるかな
正倉院は東大寺境内にある ― 本来は「正倉」は普通名詞で、全国の寺院、公的機関に「正倉」があったが現在は東大寺に配置されたものだけが残っているということのようだ。上の作品は、奈良の大仏が何度も戦火に遭い何度も首が落ちては修復されてきた来歴を思い起こして出来たのだろう。
『奈良五十首』の中には、意外に政治経済に関する歌も多い。例えば
宣伝は 人を酔はしむ 強いがたり
同じことのみ くり返しつつ
「強いがたり」というのは「強い語り」で、押し売りに来られるのと同じ感覚で閉口し、迷惑しているものの、何だか(酒を飲んだように)酩酊させられてしまうような感覚がこめられている。
上の短歌からも窺われるが、大正7年と言うと「普通選挙導入」を求める民衆(?)の声が高まっていた頃である。小生は近代日本史が専門ではないが、明治10年前後の自由民権運動(=国会開設要望)と大正時代に広まった普通選挙要望(←大正デモクラシー)は、近代日本の二大民衆運動と思っている。自由民権運動に対しては明治政府が老獪に対応したが、普通選挙運動への対応は後になってみると極めて稚拙だったと感じている。鴎外も
ひたすらに 普通選挙の 諸刃をや
奇しき剣と とふとびけらし
普通選挙がまるで政治的な魔法の剣であるかのように尊ばれているが、これは諸刃の剣であり、日本社会が良い方向へ向かう好機になるのか、悪い方向へ導く落とし穴になるか、分かったものではない、と。そう心配している。
貪欲の さけびはここに 帝王の
あまた眠れる 土をとよもす
奈良には多くの天皇が眠っている。その奈良においても、政治的権力を求めてやまない一部民衆の政治的貪欲さが、奈良の大地をゆるがしている。明治の人・鴎外がいわゆる「大正デモクラシー」の世の中にどんな感想をもっていたか、偲ばれるではないか。
思うのだが、企業経営者の強欲が非難されることは数多いが、民主主義社会で権力を欲して政治を志す人たちの政治的貪欲が非難されることは少ない。それは矛盾しているという問題意識はもっとあってよい。金銭欲、権力欲、名誉欲、すべて我執であって根は同じである。金銭欲は下賤な民の本性だが、民主主義社会で権力欲や名誉欲を満たす選良は高尚な指導者であるなどという理屈があるはずはない。主観的に言えば、目クソ鼻クソのレベルである。
以上、先日月参りにきた住職が置いていった広報誌に載っていた記事である。こんな記事を載せるのは、中々の選択眼だと思ったので覚え書きとした次第。
*~*~*~*
女性の参政権実現にまでは至らなかったが、大正も終わる14年になって日本で普通選挙が導入された。
しかしながら、その後の日本の政治的混乱ぶりは中学・高校の日本史教科書を読んでも明らかで誰でも知っているだろう。普通選挙導入から10年ほどが経過する間、政界スキャンダルと暗殺事件が相次ぎ、日本人は既存政党への信頼を失い、消去法として軍部主導の「国民精神総動員運動」に同意し、国民自らが協力することになった。
日本は自らの意思と選択で西洋的な民主主義モデル社会を築くことを諦めたとも言え、国民多数のそんな心理がそのまま政治へ映し出される、というか「それが善いのだ」と考える所に日本の「民主主義思想」の怖さがある。戦争は結果の一つであったというのが小生の歴史観だ。西洋で生まれた統治ツールが日本に来れば何でも日本化されてしまうのである。
戦後日本の民主主義は誕生の経緯をみると(細かな事実を挙げようとすれば挙げられるにせよ)「アメリカ製」である。日本社会の上層部から観れば意図に反する変革だった(はずだ)。しかし庶民から観れば贈り物であった(のだろう)。社会的な混乱を招くことなく日本社会に定着した。戦後日本には戦後日本の良さが確かにあったからだ―これも最近になって投稿したことがある。
しかし、この時の上下の間の意識の捻じれが日本社会には尾を引いて残っている。そう感じることがまま多い。決して「世代対立」などという次元の話しではない(と観ている)。
漱石や鴎外の作品は今でも学校課題図書に選ばれることが多いのだが、二人とも(というより、同時代の大半の文化人もそうだと思うが)根底にある社会観は現代日本人と大きく違っている。真の意味で、作品を理解できるのか、共感できるものなのか?そんな疑問もある。
マア、現代日本人がいま『源氏物語』を読んでも十分に感動できる。『徒然草』や『方丈記』の著者がもっている日本的感性には共感できる。日本人の国民性や人間性は意外と変化していないからでもある。そう考えればイイと言うことだろう。だとすれば、欧米風の民主主義憲法と法の支配が日本人の感性にマッチしているのかという疑問も出てくるのだが、それはまた別の話しで。
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