2023年9月5日火曜日

断想: 循環的視点、たとえば20年周期で振り返ると整理できることがある

よく「10年ひと昔」と言われるが、それよりは20年ごとに時代を区切ると大きな流れが見えてくると以前から想ったりしている。

ただ、20年というタイム・ユニットを体感するには、20代や30代では記憶の量がまだ絶対的に足りない。目の前の課題に対応するのに一杯だと思われる。もう少し長時間の経験と経験全体を振り返る歴史感覚が要るのだと思う。


たとえば経済面に限ると、1980年から2000年という時代には<金融工学>という言葉が使われ始め、90年代から2000年代初めにかけて、一世を風靡するところまで発達した。その前の1960年から80年までの20年は<生産管理>という言葉がキーワードであったと思う。更に、その前は<マスプロダクション>、つまり規格化と大量生産、大量販売がメジャーな理念だった。そして、この時代のマスプロダクションと1960年以降の生産管理を分けるのは、コンピューター(=電子計算機)の登場ではなかったか、と。そんな風にまとめているのだ。ちなみにIBMのベストセラー"System/360"が登場したのは1964年である。

こう考えると、1990年代以降のインターネットの普及、拡大は、コンピューター技術が中央集権モデルから分散管理モデルに移ったことと相応しているし、それが2020年代のいま、再びクラウドサーバーという形で分散管理から中央管理へと戻ってきている。そんな風にも思っているわけだ。即ち、1960年から現在まで、世界の工学はコンピューターが行う仕事、つまり《情報処理》をテーマに進化していて、それまでの伝統的主流派である《機械と電気》が幅をきかせる時代とは流れが変わってしまった。これに伴って、産業のコメも昔の《鉄と石油・石炭》から今は《半導体》になった。

そのインターネットが拡大することで2000年から2020年までは色々な<e-ビジネス>が登場し、成長し、市場の寡占化が進行した(と問題視されてもいる)。

そして2020年から40年までをどう見通すかといえば、それは<AI:人工知能>がキーワードであるのは、もはや明らかだろう。


実は、「ロボット」でブログ内検索をかけると多数の投稿がかかってくるように、小生は21世紀前半は<ロボットの時代>になるだろうと予測していた。たとえば、4年前の投稿では

最近再びブレークしている人工知能(AI)とロボット技術、VR(仮想現実)の進化を極限まで追求すると、製造現場、サービス現場のほぼ全ての面で人手は不要になってしまう。つまり、付加価値のほとんどが資本所得として分配され、労働所得はほぼゼロになるという状態に最後は行き着く。

まさに「こうなるのではないか」といま心配されているのだが、人手をかけずして必要な財貨・サービスを生産できるのは、俗にいえば「技術の勝利」でもあるわけで、本来は人間が自由に自分のしたいことをできる時代がやってくる。その技術的基盤ができる。そうも考えられないだろうか。

ただ、上のような極限の状況では、現在の市場経済の下では労働需要がほぼゼロとなり、労働分配率もそうなる。ということは、資本所得に対する課税によって必要な所得を国民に再分配しなければならないという理屈になる。これは資本主義の体制とは異なる社会だ。

こんなエクストリームな経済社会について想像をたくましくしたこともある。 

が、どうやらバカなロボットよりは、賢いAIを人々は先に要望していると見える。

20年という周期は、景気循環論の中では、偶々だがクズネッツ循環に相当する。これが3サイクル経過すると一つのコンドラチェフ循環になる。コンドラチェフ循環はテクノロジー循環と言われている。

そう言えば、コンピューター時代が本格的に幕開けする1960年から数えると大体60年が経過した。その前の60年(=1900年から1960年まで)は、人間の手足になってくれる機械技術が発達した。エネルギー革命はその中の一コマである。これに対して、コンピューターは人間の頭脳を手伝ってくれる技術だ。計算や文書作成など人間がやりたい仕事をコンピューターに命じて手伝わせるわけだ。いま新しい潮流になりつつある高度のAI・人工知能は人間の頭脳を「助ける」というより「その代わり」になってくれる技術である。人間が命じるというより人間が機械に相談して機械に考えてもらう技術である。

「人間が命じて手伝わせる」から「人間の代わりになってもらう」。何だかコンドラチェフ循環が1サイクル回った感覚がする。

こんな循環的視点から振り返ると、1868年の明治維新から1913年の大正政変までは官僚専制国家・日本が成功した約40年。次は、1913年から戦争をはさみ1951年の「サンフランシスコ平和条約」(=戦後日本体制の国際的認知)までの約40年。この間、天皇制の下で何とか平等で民主的な日本を実現しようと苦しんだ。それから、1951年から高度成長、経済大国・日本を経てバブル景気が崩壊した1990年までの約40年がある。奇跡的な再生とその終焉の物語りである。そして、1990年に40年をプラスすると2030年になる。

いま過ぎ去りつつある最後の40年は、護送船団方式や不良債権、デフレマインド、国債累増など前時代の後始末ばかりで失われてしまった30年とその後の構造改革に苦闘した10年と。2030年までに残されている時間はもう永くはないが、願わくばこんな風に進んでほしいと思っている。

どうも近代以降の日本の発展、変動には60年という周期ではなく、20年周期を2サイクル含む40年で一つの節目が来ているような印象だ。

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