岸田首相が自ら経済対策の五本柱について説明したが、どのニュース解説でも一回だけ軽くなでた感じで伝えた後は、その効果や必要性、財源や意義について掘り下げたりはせず聞き流してしまったようだ。
これが二昔も三昔であれば、総理大臣自らTVカメラの前で総合経済対策を説明するとなれば、世間の注目を一身に集めて、どのテレビ局も特集番組をつくって放送したことだろう。
大体、戦前期・日本であれば、国家のために国民は何が出来るかが中心であって、時には命を差し出すことさえ求められたわけである。差し出す犠牲があって、もらう権利が生じる。こう考えると、(経験はしていないが)戦前期は国民が国に差し出してばかりいたような印象がある。
戦後はゼロから復興を始めた。だから国が国民の生活のために何か対策してくれるなど、それだけで時代の変化を感じただろう。政府が何かをするとすれば、道路やダムなどの社会資本を造ったり、外部不経済のある活動を統制したり規制するのがホボゝ常識であった。カネをくれるなど、戦前期の日本を知っている人からみると、
その有難さには 涙こぼれる
であったのではないか。勤労奉仕も戦争も兵役もなく、カネまでもらえるのか、と。
それが今では政府が国民のためにやってくれるのが当たり前になったようだ。
しかし理屈で言えば、100のカネを集めて、100の政策を行うのが政府という公的存在だ。本来は、奪われることもなく、もらうこともないはずだ。今はもらうことが当然だと感じる社会心理が浸透している。この有難みを感じない状態が永く続くとは思えない。その内、日本政府と日本国民との関係性も元の自然な状態に戻るのではないかと予想している。
元より岸田首相の総合経済対策はスケールの大きな話だ。その割には胸に響かない。一方、ジャニーズ問題は、それ自体としては、小さな話である。ところが、ネットでは毎日色々な意見が投稿されている。ソーシャル・リアリティ、というか現実の日本社会の断面がそのまま映し出されている事件であるから、ジャニーズのファンであれ、無関心層であれ、明確な意見をもつのだと思う。
岸田首相の政見談話から伝わってくるリアリティと、ジャニーズ事件から窺われるリアリティと、こんなリアリティの違いが日本人の反応の度合いの違いとなって現れているということなのだろう。
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それにしても、CMを打ち切ったり、番組から降板したりするスポンサー企業にジャニーズ・ファンが「不買運動」を展開するかもしれないと述べる御仁もいたりするから吃驚だ。
もしやれば中国とは違って日本では《威力業務妨害罪》か《偽計業務妨害罪》にあたる可能性が高い。社長による《強制わいせつ罪》のあとはファン層による《営業妨害罪》となれば、会社と関係者全体が「反社会的組織」に公式認定されてしまう展開になるやもしれませぬ。世間の常識からかけ離れている点では旧・統一教会とドチコチだ。もしもそんな仕儀となれば
世も末でござる
井原西鶴の浮世草子そのままの世界が令和の日本に再現されるかのような感覚だ。
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思ったりするのだが、
もしジャニーズを創業したジャニーさんと姉のメリーさんが生きた人生を映画化すればどんな作品になるだろう。
確かに犯した犯罪は世間の話題になっており、吐き気を覚える程のホラー映画になる一面はある。しかし、創造的アーティスト、プロデューサーとして天才的活動を続けたことも一面の事実ではないか……、と考える日本人は多いと思う。
親族・関係者の承諾は当然必要になるだろうが、善悪両面を兼ね備えたジャニー・メリーの姉弟の人生を映像化して後世に遺せば、これまた令和の日本社会に可能な一つのケジメの付け方になるのじゃあないか。そんな気もするのだ、な。万が一、BBCのお膝元の英国やアメリカのハリウッドが映画化するなど、そんな仕儀になれば日本の恥の上塗りになるのじゃないか……、作品名は好意的なら"Entertainment"か"Producer"、悪意があれば"Predator"(=ケダモノ)。イギリスが実写映画化するなら、やっぱり後者の方だろうナア、と。そんな心配もしたりしているので御座ります。
日本浪漫風の意見はここに書いた。法的ロジックはこうなるのではないかというのはここに書いた。20世紀後半から21世紀初めにかけての日本社会の実相を象徴する《事件》として、人間の善と悪を日本人はこう考えていたと分かるような、何かの記憶を具体的に残してほしいものだ。
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