2019年6月8日土曜日

転載: ロボット化と未来社会、労働需要

こんな報道がある:
Amazon(アマゾン)がラスベガスで行なわれたイベント「re:MARS」にて、配達用ドローン「プライム・エア・ドローン」と共に倉庫で活躍するロボット「Xanthus」と「Pegasus」を発表しました。

ちなみにこの「Xanthus=クサントス」はギリシャの神馬の名前で、英語読みだとカワサキのバイクと同じ「ザンザス」になります。そして「Pegasus=ペガサス」は天馬として知られていますよね。
(中略)
オレンジ色の「ペガサス」は「ザンザス」より小型のロボットで、上部にベルトコンベアがあり、荷物を運ぶのに適した形をしています。しかもAmazon blogによりますと、デンバーの倉庫にはすでに800台が配備され、なんとロボット工学の下地がない若い女性作業員を含む5人が管理しているというのです。
「ペガサス」は、配備から半年で150万マイル以上(241万km)を走破してして、今後デンバー以外の選別センターにも配備が始まるそうです。
倉庫の単純作業をゲーム化しているというAmazonは、ちょっと前に倉庫内でこうしたロボットたちに轢き殺されないよう、センサー内蔵のサスペンダー型ロボット避けベスト「ロボティック・テック・ベスト」を導入した、という話がありましたし、倉庫の外では「プライム・エア・ドローン」だけでなく、Amazonの6輪宅配ロボ「Scout」もテスト中という話もあります。

ついでにAmazonではないものの、Agility RoboticsとFordが共同開発している、「ラスト・1マイル」を2足歩行で配達してくれる運搬ロボット「Digit」というのも存在します。このようにネット通販と配達業のロボット化が目まぐるしく進む時代、あとはスカイネットに繋ぐだけって感じですね。

URL: https://www.gizmodo.jp/2019/06/amazon-xanthus-pegasys.html

 これに対して、こんなコメントをNewsPicksでつけておいた:

最近再びブレークしている人工知能(AI)とロボット技術、VR(仮想現実)の進化を極限まで追求すると、製造現場、サービス現場のほぼ全ての面で人手は不要になってしまう。つまり、付加価値のほとんどが資本所得として分配され、労働所得はほぼゼロになるという状態に最後は行き着く。

まさに「こうなるのではないか」といま心配されているのだが、人手をかけずして必要な財貨・サービスを生産できるのは、俗にいえば「技術の勝利」でもあるわけで、本来は人間が自由に自分のしたいことをできる時代がやってくる。その技術的基盤ができる。そうも考えられないだろうか。

ただ、上のような極限の状況では、現在の市場経済の下では労働需要がほぼゼロとなり、労働分配率もそうなる。ということは、資本所得に対する課税によって必要な所得を国民に再分配しなければならないという理屈になる。これは資本主義の体制とは異なる社会だ。

生産現場が100パーセント自動化されることはない、人間によるサービスへの需要は必ず残る、だから求められるスキルを持てる人材でなければならない、労働市場が消失する事態は起こりえない云々、というのが経済学の常識だが本当にそう予測できるのだろうか?

ただ足元をみると、現在の日本は人出不足であり、ロボット化と自動化で賃金上昇を抑えるという道筋にある。そのための投資需要は景気の維持に役立つ。

当面は労働需給のミスマッチ、人材の産業間移動として問題が意識される。が、基調としては効率化と労働分配率の低下が続く、というよりそんな方向を推し進めなければ日本は競争優位を失うだろう。そして、労働分配率が低下する中で生産を維持するにはマクロ的な均衡がカギとなる。それは企業課税の強化を通してとっていく。

つまりロボット化と企業課税の強化は並行して進む。Atkinson『21世紀の不平等』ではもっと夢のある意義づけをしているが、要するにこういうことではないか。たしかにアトキンソンが述べるように、「雇用」という概念を考え直し、「資本の共有」にまで踏み込めば、大きな問題の解決にはなると思う。ただ、二つのスピード調整が難しい。

うまく行くだろうか?

どうしてもこんな風な未来が頭によぎってしまう。

***

上のコメントの部分『人間によるサービスへの需要は必ず残る、だから求められるスキルを持てる人材でなければならない、労働市場が消失する事態は起こりえない』という経済学の常識についてだ。

このロジックには前提がある。それは「需要が限りなく減少すれば価格はゼロになる。もし労働要素の賃金率がゼロに低下すれば、資本コストが同時にゼロにならない限り、必ず資本よりも人の雇用を選ぶ」、つまり実質賃金率が限りなくゼロに向かう途中で必ず労働需要が生まれるという推論がされるわけだが、ここには実質賃金率が限りなくゼロに向かって低下できるという前提がある。

しかし、これは不可能だ。人が生きるには最低限の食糧、衣服、住居といった商品を消費しなければならない。生存コストはゼロではない。自家生産は自家雇用とみなせる。だから現実に実質賃金率がゼロ近傍にまで落ちることはない。正値の下限がある ― 資本要素については資本コストがゼロである極限を考えることは可能だ(可能性としてだが)。

そもそも学習する人工知能(AI)は費用ゼロで資本ストックを増やしていることと同じである。機械学習して能力を向上させる資本には回収するべきコストは伴わないのではないか。故に、労働から資本へ限りなく代替が進むことはありえるのではないか……。資本と労働の等量曲線で<雇用量ゼロ>のコーナー均衡が起こりうるか、である。

生産の基礎理論には落とし穴があるのかも…、理論分野で進展はあるのだろうが、最近はデータ解析の方で仕事をしているので当該分野の現状が分からない。ちょっと心配。


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