2023年9月29日金曜日

夢と散策の覚え書き

 夢でこんなお喋りをしていた:

小生: 職業病だな……

友人: 何が?

小生: 医者というのは、何かっていうと人を《病気》にしたがるよな。

友人: それを言うなら、経済学者は何かっていうと、単なる違いを《格差》にしたがる人種だよ。

小生: こないだこんなことを言われたヨ。薬を飲み始めると、早く病気を治したい、なるべく早く薬から卒業したい。そう思いませんか?ってサ。誰でもそう思いますヨって応えると、でもネ、齢をとると中々治らないんです、最後には症状が治らなくなって寿命を迎えるんですネ、だからお薬から卒業するのは無理なんです。サプリだと思ってのんで下さい。そうやって人類は平均寿命を延ばしてきたんですヨ、ってな。おれ、思わず感心したよ。

友人: アハハハ、うまいことを言うお医者さんだナア。そのうち、経済格差を問題にすると、格差が広がると早く格差を小さくしたい、格差があるのは善い社会ではない。そう思いませんか?ってサ。すると、こんな経済学者が出て来るヨ。社会がある程度まで発展してきますとネ、格差はもうなくならないんです。格差があるのは自然な事なんですヨ。だから格差をなくすのではなくて、格差があるのは自然だと思って、自分に出来ることをして、自分なりの幸せを築いていくのが善い人生というものですよって……。な?

経済学から入った小生は、『それはちょっと違う話しだよ』と言いかけたところで、目が覚めた。

この夏は、北の港町で暮らしている小生にも耐えがたいものがあった。来年は窓を断熱ガラスに替えて、いつでもエアコンを入れられるようにしておくか。

そんなことを考えながら、流石に涼しくなった近郊を散策していると、秋の花がいつの間にか開いていた。

吹く風に 暑さ忘れて 萩のはな

夕風に 小菊の咲ける ここかしこ


格差を嘆くより、人生の幸福に関心を集中するほうが賢いというのは分かる。幸福であるために避けなければならないのは、先ずは<嫉妬>であるというのは、多くの先人が語っている。しかし、<後悔>もまた避けなければならないのである。そして、後悔を避けるのは、極めて難しい課題だ。かつ、解決不能でもある。

あの時、何故ああ言ってあげられなかったのだろう?

あの時、あの一言を言いさえしなければ……

あの時、何故あそこに行けなかったのだろう?

先日の投稿

善人であっても意図することなく悪を為すのが現世に生きる人間という存在である。故に人間はすべて罪人である。

こんなことを、何度目になるか分からないが、また書いている。が、 だからと言って人間はすべて幸福にはなれない、とは結論できない。「なれる」と考えなければ無意味だ。

ということは、幸福な人が幸福であることの合理的理由がない。

自然にある心の状態の一つが「幸福」と呼ばれるものなのだろう。そこには善悪とか、罪とか罰とか、人間の俗っぽい理知や理屈は入り込まない。善人と悪人に分けられると議論しているのは人間だけの理屈であって、本質論的に言えば、そもそも人はすべて悪であると思わざるを得ないからだ。故に、人は自助努力では真に幸福にはなれない。

なので、幸福は、文字通り、神の祝福、阿弥陀仏の慈悲であるのだろう。

どうやら「宗教哲学」として議論するなら、そんな理屈になっているようだ……


マ、こんなところで1時間程度の散策になって拙宅に戻った。

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