2024年2月18日日曜日

断想: 歴史を通して対立してきた二つの社会観

深遠で、その証明は複雑極まる命題であっても、最も基礎となる部分には単純かつ疑いえない公理が真であると前提されている。

自然科学の言葉である数学はそんな構成をとっているが、実は「社会観」や「社会哲学」なども同じではないかと思う。

要するに

  1. 私たちが生きるこの社会の現実は、間違っているから、正しい状態にしなければならない。
  2. 私たちが生きるこの社会の現実は、神の意志を反映しているから、というか「なるべくしてなったもの」であるから、自然に委ねておかなければならない。

結局は、この二つの社会観の対立が、人間社会の成立からずっと続いている。

古代ギリシアで発生した大規模な戦争であった「トロイア戦争」だが、ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』を読むと、登場する戦士達の生死は、オリンポスの神々の争いや対立を反映したものであるとして、主要人物がたどった劇的な生涯が描かれている。つまり、人間社会の紛争や理不尽な運命は、全て神々の争いによって定まったものである、ということだ。

これに対して、プラトンの『国家』で構想されている国家は、哲学者による理路整然とした共産主義国家と同じである。国家の本質を正しく理解した人間の知性によって、理想的な国家の運営が可能であることが、そこでは述べられている。正に、現代にも生きるコミュニストと同じだ。

中国では、儒教的社会観と老荘的社会観が対立していた。儒学者は、現実社会は間違っており、理想的な古代に戻れと言い続けた。故に、儒教を基礎とする中国社会は極めて保守的であった。中国共産党も実は本質を同じくしている。共産党が言っているのは、現実の社会は間違っており、社会は未来に向かって前進しなければならないと唱えている。過去から継承した価値観は、宗教、哲学を含めて、すべて廃棄するべきであるとする姿勢は、ここから発生する。理想を過去に求めれば儒教的であるし、未来にあると考えれば共産主義となる。どちらにしても、今の社会は変わるべきだと主張する所は共通している。

このような現実否定論に対して、老子、荘子をはじめとする老荘思想は、人間の浅慮を排して、全て自然に委ねよと説く。

経済学も、アダム・スミス以来の『見えざる手』を信頼する市場重視主義が主流である。これに対して、市場の失敗に着目するケインジアンがいる ― マルクス派など異端はおいて置くとして。前者のネオ・クラシックとケインジアンとの対立は、概ね20年ないし30年のサイクルで、交代しているのが経済学史から分かるはずだ。

キリスト教では

カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい

と『新約聖書』の「マタイによる福音書」22章15節~22節に書かれている。現実社会の政治と神の信仰とは別のことだとされている。仏教では前世からの宿業で人間の運命は定まっている。故に、社会もそうなる。宿縁に支配される現実社会において、阿弥陀如来が目指すのは、善悪を超えて、というか寧ろ悲しい宿業を負った悪人の魂をこそ優先的に救済することである。ここには、善を称賛し、悪を懲罰するという思想はない。善悪という概念は、極めて人間的で、俗っぽいのである。

現代日本人は、この辺について、本当はどう思っているのだろう?いま(個人的に)一番知りたいのはここである。

印象としては、社会の上層部、例えばメディアに頻繁に登場する人物達 ― 彼らをエリートとか、上層部と呼んでいいか甚だ疑問であるが ―、あるいは官僚や政治家、学者たちは、今の社会の問題を解決することこそ、自らの仕事であると自認しているようだ。ということは、自分たちで社会をより良い社会に変えることができる。良くできないのは職務怠慢だと、そう自認しているということだ。

しかしながら、たとえ完全な独裁権を把握した為政者が現れたとしても、日本社会をより良い状態に変えることは、小生は不可能だと思っている。その独裁的為政者が有能なら「社会の改善」のために様々な施策を迷うことなく実行するだろう。しかし、そんな社会は御免だ。そこには、もっと大きな新たな問題が発生するだけである。その者が「名君」なら君主を嫌えばよい。革命も起こせる。しかし、民主的に選ばれた為政者なら、純粋な災難だ。そう思うのだ、な。

実は、普通の日本人のどの位の人がそう思うかどうかは分からないが、社会問題を解決できるような政治家や学者など、期待してはいない。国家戦略など、まともなものであるはずがない。むしろ公的権力は何もせず、税も最小限に、あれこれと指図しない。自由に任せてほしい。そうすれば、多くの人は結果に納得するはずである。

Let it be. あるがまま。それが一番だ。

そんな風に思っている人は、極々少数であるとは思えないのだ、な。

極めて老荘的だ。

とはいえ、中国の王朝の中でも最も繁栄した「漢」や「唐」の時代、確かに儒学は発展したが、その当時の政治傾向は「自然に任せる」、「皇帝は介入しない」という側面が強く、老荘思想の影響を強く受けていた。政治が経済に介入し始めたのは、王朝が衰退への道を辿り始めた時期にあたる。ずっと以前、宮崎市定か誰かの本で読んだことを記憶している。

日本の生産力―主に農業生産力だが―が大きく発展したのは、室町幕府の地方グリップが決定的に衰えた16世紀である。それは、地方ゝが中央政府の権威に遠慮することなく、競争優位を目指して積極的に新田開発を進めたからである。人口も増加した。その流れは、幕藩体制が完全に定着した17世紀末まで継続した。

なので、国に期待する発言を聴いていると「また性懲りもなく」と感じてしまうのだ、な。

【加筆修正2024-02-19】投稿の主旨が曖昧になるため、この間を削除。



《科学》は例外である。その時々の支配的な社会観によらず、科学だけは発展を続けるに違いない。結果として、不安を解消できるかどうかは分からないが、《生活水準》だけは上がる可能性が高い。

この位で満足しましょうヨ。

つまり、どちらかと言えば、"Let it be"が小生は好きである。


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