2024年5月18日土曜日

初瀬参りをしてから

カミさんと二人で京都、奈良へ行ってきた。どこに泊まるか迷ったが、泊ったのは奈良だ。奈良の方が京都より混雑していないし、宿泊費も相対的に安価である。食の楽しみも、知られていない様で、実はレベルが高い。地酒も、これも知られていないが、美味である。小生たちが泊ったのは昔からある猿沢の池近くのホテルだが、ロビーに人が溢れたり、エレベーターが満員でやり過ごすなどということは、朝夕一度もなかった。


今回の主目的の一つは長谷参りで、もう一つは知恩院で数珠を買う事だった。

着いたのは夕方で翌日が実質第1日なのだが、そこに長谷寺を持ってきたのはオーバーワーク気味で普段は歩かないカミさんが「足が痛い、足が痛い」と言い出した。




長谷寺は399段の「登廊」で有名だが、単調な登りが続く階段は確かにハードだ。そのハードさも桜、牡丹、紫陽花をみれば癒されたのだろうが、牡丹には遅く、紫陽花には早い参詣になったのが残念だ。

初瀬まゐり なごりの牡丹 たづねつつ 
紫陽花を みるにはまだし 長谷の寺


知恩院に行ったのは次の日である。 足に来たカミさんは知恩院三門前の石階も辛い様子だ。

初夏や 祇園をとほり 円山に

宇治の平等院を久しぶりに観てから奈良へ帰った。


いわきに住む弟と旅をしてから何年たっただろうか。その日は雨で、水嵩の増した宇治川の川辺を水音を聞きながら歩いていると、小生と弟とどちらが言ったのか忘れてしまったのだが、「アッ、翡翠だ!」と二人で驚いたのを覚えている。


 宇治川の 川音きけば いまは昔

    はらからと歩みし 旅をしぞ思ふ 


最後の日は、西ノ京にいって、唐招提寺、薬師寺からも御朱印をもらう。唐招提寺は変わらぬ。薬師寺は変貌した。変わる薬師寺と変わらぬ唐招提寺と。どちらが善いのか、小生には判断できかねる。しかし、小生は三重の東塔だけがあった昔の薬師寺が好きだ。

唐招提寺礼堂の側で写真を撮る。この場所で陽子と二人で写真を撮るのは、1984年10月に奈良を旅行してから、実に40年ぶりである。

奈良駅に戻ってから、餅飯殿商店街に入り、ならまち界隈を散策した。



それから、とある小店に入り薬膳料理と茶がゆを食した。

ならまちに 初夏のきて 茶がゆかな

奈良駅まで歩き、地酒「百楽門」を二本、「八咫烏」を一本、「金鼓」を一本、宅宛てに送り、リムジンバスで伊丹空港に戻る。

北海道に帰ると激しい雨だった。高速を走っていると篠つくような豪雨になり、「なんでこうなるンだろうな」と愚痴りながら、それでも飛ばしていると、札幌を過ぎる辺りから小雨になったのでたすかった。



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