2024年5月25日土曜日

断想: 手塚治虫からジブリへの置き換わりは意外に深い意味を持っているかも

今日は「科学」について書いてみたい。このテーマは何度も投稿してきたので(例えばこれ)、内容が深まっているかどうかが、我ながら気になるところだ ― ここがブログの利点とも言える。

小生の幼少年期には、まだ子供たちの遊びに「戦争ごっこ」があったし、戦記コミック、戦記アニメも多数あった。『のたり松太郎』や『あしたのジョー』で人気を博した《ちばてつや》も戦記漫画、というより反戦漫画だと思っているが『紫電改のタカ』を書いている。親世代にとって「太平洋戦争」や非戦闘員への「空襲(=空爆)」は自ら経験した戦災の記憶であったから、戦争が日常的に語られるのは、当たり前でもあった。

その頃は、当然ながらジブリはまだなくて、人気作品は『鉄腕アトム』や『鉄人28号』だった。もちろん人の好みは違うので、だからこれが最高傑作だというつもりは毛頭ないが、手塚治虫の作品は、他にも『ブラックジャック』や『火の鳥』もそうだが、科学への信頼と科学の限界を意識する二つの想念が混ぜこぜになっているのが、魅力の源泉だと(勝手に)思っている。信頼と限界と書いたが、とにかくそこには科学に向ける強い眼差しがあったように思う。その根底には、やはり「敗戦」という否定し難い経験があったような気がする。

戦争は、国力の優劣を大量の犠牲とともに露骨に示すものであるし、悲惨な敗戦となった以上は、旧・敵国の優れた科学水準に対して(後悔が混ざった)憧れの気持ちをもつとしても当然である。戦争の過程で原爆を投下されたことを理由に、原爆を生んだ科学文明を忌避し、否定するという気持ちには、昭和20年代の日本人はならなかったわけである。

このような冷静さに小生は先達に対して尊敬したい気持ちになる。


小生にとってジブリ作品は『風の谷のナウシカ』が始まりであったが、全体としてみると、宮崎駿を読んでいると、科学への不信と自然への回帰という意識が自然に浸み込んでくる感じがしたものだ。

で、思い返してみると、日本の国内産業が空洞化し、技術革新と生産性向上への意欲が衰え、逆に科学技術への軽侮の念が社会的に高まって来た時期と、手塚作品からジブリ作品への置き換わりが進んだ時期は、奇妙にシンクロしている、と。そんな風に回顧しているところなのだ。

その頃は、戦前に生まれた世代から戦後に育った世代へ交替する時代に当たっていたのだが、この価値観と意識の変化が、戦前と戦後の教育の違いからもたらされたものなのか、公害という目の前の現象と企業の独善を目にした日本人の自然な反応なのか、小生にはハッキリとは分からない。

何度も書いているが、価値観、法制度、文化、文明は、その社会の根底を支える《生産関係》、消費者目線から分かりやすく言えば《暮らしのあり方》という言い方が近いと思うのだが、こうした下部構造によって規定される上部構造である。そんな社会観に小生は立っている。

こうしたマルクス流の社会観にも反対論はあるわけで、上部構造から下部構造へのフィードバックもあるのだと。こういう指摘もある。例えば、マックス・ウェーバーなどは、西ヨーロッパの資本主義社会形成においてキリスト教新教派の価値観(=プロテスタンティズム)が社会的な気風(=エートス)となって決定的に作用していた。そう観ているようだが、これは極めて外面的な観察ではないかと思う。

イタリアで発展した商業資本主義は資本主義モデルとは異質である、と。イギリスで展開した産業革命は、新教である英国教会、というよりピューリタン(=カルヴィン派信徒)の精神が作用したものである、と。旧教・オーストリアが新教・北ドイツに比べて経済的後進性を色濃く残したのはカトリックのせいである・・・というのは、太陽が東から西に動いていくのは明らかな観察事実であるとする「天動説」と似ているような気がする。

日本に関連してウェーバー風の観方を採るとすれば、明治維新後の近代産業発展において、江戸時代以来の武士の精神が日本人のエートスとして継承され、それが大いに寄与したのだ、と。そういう観方はあってもよい。しかし、こんな認識は贔屓の引き倒しであると小生には思われるのだ、な。

大体、そんなご立派な武士の精神をどれほどの日本人がもっていたというのだろう。その時々の社会状況に対応しながら、都合の良い価値観と経済観、社会観を使い分けてきた、というのが現実の日本精神史ではなかったかと思っている。この辺りの国民精神史の歩みは、昭和から平成、平成から令和と時代と経済状況が変わる中で、繰り返し繰り返し、同じパターンが確認できると思う。

なので、日本においては、価値観や主義、思想は、社会環境の結果であって、社会を変えてきた原因ではない。

科学への信頼を毀損するような現実がまずあって、科学の意義を疑う価値観が登場してきて、それが正しいと認識され、実際にも日本社会の科学離れが進んだ。そして、それは正しい選択なのだと人々も考えた。それは、そもそも減量経営とコスト節減を進める経済の現実から要請されていた路線でもあった。

科学への期待と関心の弱まりが、日本経済全体の弱体化につながっていると観ているのだが、何事にもエビデンスを求める最近の流行とは矛盾しているようでもある。

しかし、与えられた事実やデータが自らの主張のエビデンスになりうると判断できるか否かは、統計学の担当であって、その統計学が科学ではないことは明らかである。

エビデンスという言葉の流行とビッグデータ技術の発展との間にも深い関連性がある。AIもビッグデータの所産である。とすれば、AIの推論がエビデンスとして承認されるとしてもビッグデータ文明がもたらす自然な成り行きだろう。が、これは現代のテクノロジーで可能になった統計学である。


科学は、統計学以前の知識と命題から理論的に構成されるものだ。そして科学的命題は、観察されたデータを素朴に説明するものではなく、本質への洞察から得られるものだ。

 ―― 単なる経験論が科学にはならないことは、ドイッチュ『無限の始まり』でも強調されていることで、これが本筋である。つまり、いくら多くのエビデンスを集めても、そこから信頼できる「良い科学」が形成されるわけではない。

故に、ビッグデータから科学が自然に生まれ出て来るわけではない。ビッグデータ技術を磨いても、だから科学的認識が得られる、というわけではない。日本は、何だかこの辺りを誤解しているかもしれない。大丈夫だろうか。「良い科学」はカネとコンピューター資源をつぎ込んで自然にアウトプットされては来ない。頭脳が要る。その前に、科学的思考が好きでなければならない。


同じコロナ感染で多くの国が苦境に置かれた時、問題を科学的に議論しようとする西洋と、道徳的に、あるいは統治の必要性から議論しようとする非西洋とで、大きな違いがあったと思っているが、何が社会の進歩をもたらす究極的要因であるかで、それを「窮理学(=物理学)」の精神に求めた福沢諭吉の文明論は、まだまだ、現代日本社会をみるときにも有効なのじゃないかと思っている。その意味では、福沢の『学問ノススメ』もまだまだ現役であるのかもしれない ― (江戸期に生まれ明治で仕事をした)福沢が「差別主義者」としての一面をもっていると、いま非難する人も一部にはいるようだから、軽薄な現代日本社会の中で、福沢がどの位までその現代的意義を評価されるかは分からないが。


そもそも人間の身体で進行している生理・化学的プロセスが精密に解明されてきたのは、ごくごく最近のことである。それでも生命現象の本質はまだ分かっていない。精神的なプロセスがどのようなメカニズムで決まって来るのかは、もっと謎である。まして多数の人間集団が構成する社会の内部で、何が発生・消滅し、どんな出来事が起こるのか、起こり得るのか?こんな問題に解答できる社会科学はまだない。せいぜいアイザック・アシモフの『ファウンデーション・シリーズ』の通奏低音である「社会心理学」を想うに留まるのが現実である。

現状の政治技術は、例えば何の生理学的知識をもたずに医療行為をしていた江戸時代の医者を連想させる。

社会に関しては、まだ精密科学がないが故に、本来は個人に課される倫理を社会問題に流用し、足りない所を法律と規則で管理しているわけだ。

 ―― 経済学という「社会の生理学」があるが、まだまだ社会科学として発展途上にある。だからだろうか、戦前期からバブル景気の頃までは論争が社会的な関心を集めていたが、「あれから40年」、経済学への知的関心はずい分弱まったようだ。経済学者、というかもっと広く社会科学者の論争が注目されることは、欧米の比ではなくなってしまった。仕方がないので、小生はアメリカ経済に関して展開されている論争をフォローしている。日本では、せいぜい「調査」とも言えないような「世論調査」がメディア企業によって定期実施されている位である。

こんな状況も、科学以外の方法で、社会問題にアプローチしたいという日本人のホンネの感性を反映しているのだろう、と思っている。

【加筆修正:2024-05-26】


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