2011年5月25日水曜日

なぜ日本人の幸福度は低いのか?

今日の日経朝刊のコラム記事にもなっているが「先進国クラブ」(?)と称される国際機関OECDから加盟各国の幸福度を評価した指標が公表された。

記事によると、日本の現状は
  1. 家計の可処分所得はOECD平均を超えている。
  2. 資産もOECD平均の約2倍の資産を家計は保有している。
  3. 15歳から64歳までの労働年齢人口で仕事についている人は70%でOECD平均を超えている。
  4. 失業率もOECD平均より低い。
  5. 年間労働時間は1714時間でOECD平均より短い。
  6. 日本人の学歴や読解力はOECDの上位にいる。
  7. 平均寿命は加盟国中で最も長い。
まとめると、個々の幸福指標を見る限り、日本はOECD平均を優に超えている。

ところが、生活に満足している日本人は40%程度にすぎず、OECD平均の59%を大きく下回っている!満ち足りているはずなのに幸せではない。

不思議といえば不思議だが、ままありますよね、と言われればこんな人は数えきれないほどいる。とはいうものの、国民全体でこんな心理に落ちてしまうなんて、やっぱりおかしい。満ち足りているのに幸福感を持てないからには、何か原因があるはずだ。

新聞には詳しく紹介されていないが、OECD原資料"Qualtity of Life"の表36を見ると、最下位は中国であり、<主観的幸福度指標>の値で言えば日本の6.0に対して4.5強という高さだ(指標は0から10までの範囲で数値化している)。中国を含め、下位グループにはロシア、ポーランド、ハンガリー、エストニアなど旧社会主義圏が多く含まれている。また、韓国は日本の上位にはいるがグラフから読み取れないほどの僅かな違いしかない。

上に挙げた国はいずれも「自殺大国」であることに気がつく人がいるだろうか?人生から十分な幸福と満足を感じているならば自殺を決行しようという動機は弱いはずだ。OECDの幸福度指標は確かに数値として整合している。そうも考えられるのである。

日本人が幸福の食材を眼前に持っているにもかかわらず、なぜ現実の幸福を実現できないでいるのか?甚だ感覚的な言い方ではあるが、それは食材はあれどレシピを知らないからである、と推論せざるを得ない。

旧社会主義圏の国々は、旧体制下にあっては安定した国民生活を達成していた。経済体制上、老後、医療など最低限の生活保障が整い、暮らしの不安は建前としてなかった。徹底した護送船団方式であり、それを確信犯的に信じてやっていた。しかし、それでは熾烈な競争に挑む資本主義国に経済戦争で勝てるはずはなく、社会主義の実験から半世紀余を経て、不安なき国作りの夢は潰えたのだった。歴史上、それは必然であると今は評価されている。

旧社会主義圏と同じく、日本も十分同じ軌跡をたどってきたと言えないか。共産党による社会主義ではなく、<国家による、官僚による社会主義>ではあったが、人生と暮らしの設計をオカミの裁量に委ねていたでしょう?納税すらもサラリーマンは天引きに甘んじ、税引き所得なら分かるが税込みの所得は意識しない人が多い。こんな国は、当然、社会主義に入るでしょう。韓国も軍事政権による中央集権が破たんし、更に97年のアジア危機では国ごと倒産の危機に瀕した。今の韓国は体制崩壊後の旧社会主義圏と類似したポジションにある。もちろんトラディショナルが行き詰った日本も同じである。中国もある意味で同じだ。社会主義建設はとっくに諦め、共産党が独裁してはいるが、自己利益追求を認め、しかるに政治体制は自由で開放されたものにはなっていない。とっくに社会主義建設は破たんしている。

OECD幸福度指標で上位グループを形成しているのはデンマーク、ノルウェー、スウェーデンなどの北欧、カナダ、オーストリアなどが目立つ。決して経済大国ではないし、輸出大国でもない。しかし暮らしやすいのですね。私が愛読しているブログに「ウィーンの静物画家」というのがあるが、昨年夏の記事に以下の下りがある。

ウィーンは、世界で一番住みやすい都市ということになっているが、
ここで暮らしていて、私が特に感じるのは、街でありながら緑が身近に豊富にある点、そして、子供が(犬も)優遇されている点だ。

こちらの学校は、9月始まりなので、学年が変わるときだからか、夏休みに宿題は皆無である。そして、期間は丸々2ヶ月。毎年「もう、そろそろ学校へ行きたい」という頃に学校が始まる。

・・・略・・・

クラスが無償で受講出来ると書いたが、学校の休みの期間中は、19歳の誕生日まで学校へ通っている生徒は、ウィーン中の地下鉄、市電、バスがタダで乗れる。交通費まで掛からない。

国立オペラ座が、14歳までどんな席も15ユーロ(約1.700円)で買える事は以前書いただろうか。最近、それに加え美術館がタダになった(美術史美術館を含む幾つかに限るが)。

こういう金銭的なことでも色々子供は優遇されているが、娘が小さい頃、毎日お世話になったところは、公園の中の「キンダー・シュピールプラッツ」(子供の遊び場)である。ウィーンは、至る所にこの「キンダー・シュピールプラッツ」(子供の遊び場)がある。大体よく整備された居心地の良いところで、娘が小学校へ上がる前に住んでいたところでは、すぐ隣にこの遊び場があり、そこともう一つ、少し離れているけれどもっと大きな所と、日に二度三度と通ったものだった。

民主党の「こども手当て」が大揺れに揺れているが、日本は金持ち国家である。子供が習い事をしたいと言い、年寄りもいる。もし家庭に1億円の資産がありながら、「それを取り崩すことはまかりならん」といい、「何事も我慢だ」と子供を抑えつけ、年寄りには最低限の年金生活を強要する。そんな暮らしであったら、そりゃ不幸だ。それはもう単なる貧しい生活ではないでしょう。心の貧困だ。

どういう風に生きていきたいのか?そういうことだと思うのだがどうだろう?
ちなみに後期高齢期(修正:70歳以上)を迎えて、まだなお平均で1千万円を超える資産をもっている国なんて(総務省「全国消費実態調査」)、日本だけだと思いますよ。どの国でも、普通、長生きしすぎれば年金と医療保険だけで毎日を送ります。それで十分ですよ。

いつまでも経済戦争に勝つことばかりを考えず、持っているものを賢く使う話を始めれば、日本人も幸福になれると思うのだが、どうだろう?

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