2020年12月2日水曜日

一言メモ: まさに「二股の分かれ道」にさしかかった「経済か自粛か」という問題と今後の予想

 ネットにはこんな事も書かれている:

西村康稔氏がコロナの感染拡大が続けば就活に影響すると若者に呼びかけた件

堀江貴文氏は1日にTwitterで「マスコミを何とかする方が先決」と指摘した

コロナ騒ぎを拡大させているとして、報道規制などを先にすべきだと訴えた

小生も昨今のマスコミ(特に民放TV)については、同じような感覚をもっているので、上のような「強権的報道規制論」を目にしても、それほどの違和感はもう感じなくなった。それほど、このところTVから流れてくる「情報番組」には酷いものがある。

とはいえ、報道規制が日本で可能ならば、その前に「適切な感染対策」がとっくの昔に実行されているはずである。報道規制よりは感染対策のほうがずっと実行しやすいという理屈だ。

まったく「ブレーキとアクセルを同時に踏むのは分からない」などと……。"Operation Twist"の政策概念もご存じない。「話にならないネエ」と感じつつ、珈琲を飲みながらワイドショーを視るのも、健康に悪いネエと思う今日この頃である。

こんな風だから今朝もカミさんと言い合いをした。TVも罪作りだ。

カミさん: GOTO、なんでストップしないのかなあ?人の命をなんと思ってるんだろう。これ以上、感染者が増えたらどうするんだろうね。経済、経済ってサ、そればかり言って、なんにもヤル気がないんだから!(と怒っている)

小生:  経済か人の命かっていうけど、経済っていうのは日本人1億人の暮らしの事なんだよ。分かってる?

カミさん: それはそうかもしれないけど、人の命がもっと大事でしょ。

小生: 「そうかもしれないけど」じゃなくて「そうなんだ」。政府はホンネなんて言わないと思うけど、『日本人1億人の暮らしの安定と、何千人のコロナ患者が助からないかもしれないという心配と、どちらが重いと思っているんだ』、多分、これを一番言いたいんじゃないのかネエ。「経済」っていうのは政府の究極的な目的なんだよ。

カミさん: じゃあ、どうするの?増えるよ、感染者。死ぬ人だって増えるよ。

小生: テレビでも言ってるだろ?『日本では私権を制限することはできませんよね、色々な事ができませんよね、そんな中で感染を抑えるには強いメッセージを出して、自粛を徹底するしか、効果的な方策はないんですよって』。でもね、国民全員に我慢をさせるのは残酷なんだよ。何千人を救うために、そこまで1億人がみんな堪えなければならないのかっていうのは、政治家なら誰でも考えるんだよ。医者はコロナ重症者ばかりを言うけど、生活が破綻して誰にも言わずに死を選ぶ人は医者にはかからないのさ。医者は自分の患者はすくいたいけど、自殺する人の心配はしないからな。

まったく、TVの下らない井戸端会議で夫婦仲まで悪くなるというものだ。

つまりは日本では新型コロナによる死者が1桁も2桁も少ないのである。これが今の現実の本質である。死者が10万人を超えるようなら政府は動くであろう。しかし、もしそんな状況になる場合、日本政府は「自粛の徹底」という政策は選ばないと小生は思う。

日本政府の第1目標は《経済》である。この点はまったくブレていないと小生は観ている。みているし、小生の立場は「これが正しいと考える」という立場だ。まさにクリントン大統領が現職のGeorge H. W. Bushを打倒しようと1992年の大統領選挙に立候補した時、発した有名な1句:

It's the economy, stupid!

経済なんだ、この愚か者が!

この問題意識が政治家がもつべき感性である、小生もそう思う。

★ ★ ★

個人的な予想だが、大阪で《歴然とした医療崩壊》が発生すれば、まずは強権的感染抑え込み対策の必要性を知事から要請させ、政府はそれにGOサインを出す。私権制限を含む徹底した感染防止対策の法制化へ舵を切る。それによって国民の不安を鎮静化させるとともに、「休業命令」に伴う所得補償、「家賃等支払い猶予令」など諸般の法制化、より強力な経済対策に着手するであろう。

特定店舗に対する休業命令、区域、自治体を対象としたロックダウン命令、公権に基づく社会的PCR検査による陽性者あぶり出しと隔離・保護、GPS装着を義務付けた追跡も視野に入ってくるだろう。

全国知事会、全国市長会、全国町村会など自治体側が続々と政府方針を支持する声明を出せば動きは加速する。財界、連合が支持すれば勝負は決まる。野党は対案を作れるはずもなく反対はできないと考えるだろう。

結局、日本もまた中国型の問題解決に近い方策をとる。小生はそう観ているところだ。なぜなら、感染防止と経済活動とを両立させ、国民の不安を鎮静化させながら国民の生活を守るには、これが最も確実な政策であるからだ。確実であるのは、中国の現状をみても既に明らかである。

日本は、西ヨーロッパの英仏ほどには個人主義の伝統がなく、自由と人権の意識が強くはない。逆に言えば、自由の裏側にある自立と責任の感覚も弱い。行政権限を強化することによる感染抑え込みと強力な経済政策とのポリシーミックスを日本人は「歓迎」とまではいかないだろうが、「容認」するのではないかと小生は観ているのだ。「私権の制限」というそのこと自体に強く反発するというその意識が支えになって、長期間の自粛生活を耐え抜くほどには、日本人の人権意識、自由願望は強くはないと観ている。日本社会の強い同調圧力と自粛警察の活動などを観察していると、その社会的圧力を制度化することは、大部分の日本人は直ちに受け入れるのではないかと、そう予測する。

政府が待っているのは、《きっかけと潮どき》であろう。北海道で感染爆発が発生すれば道知事が菅首相に「徹底的感染抑え込みへの道」を要請していただろうし、大阪がそうなれば維新の会の府知事がその必要性を伝えるだろう。

結局のところ、日本人は一部の感染者、一部の地域住民の自由を制限する代わりに、大多数の国民の自由を得たいと望み、その方向で選択をする、それが民主主義だと日本人は考える。小生はそう思う。もし(有難いことに)そうならないとすれば、現実の感染状況がそこまでは偶然の要因で悪化しない、あるいは悪化する前にワクチンが普及する、そんな事情が出てくる場合だろう。

大きな船はゆっくりと曲がる。これからの3か月は新型コロナ・パンデミックの前と後の時代を区切る、いわば日本社会の歴史を区切る「分岐点」になるかもしれない。マスコミが愛する単語を使えば「その可能性がある」、そう書いておこう。

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