悲劇も視ようによって喜劇になる。倍速にすればそうなるそうだ。
今まさにそうなってきている世相だ。日本人は「コロナ感染」を毎日毎日あらゆる方向から早口で話してはその日の結論を出している。東証の株価と同じだ。毎日、毎日、不確定要因が発生して、話の行方が定まらない。「見通しがつかない」のは当たり前だ。これ、やっぱり「喜劇」であると、(失礼ながら)そう感じている ― こんな性格だから組織の中で働いていた頃はさぞかし嫌な奴だったろうと思う。申し訳ないと同時に冷や汗が流れる。
100年前の日本でもスペイン風邪が大流行した。大正7年(1918年)から大正10年(1921年)にかけて日本国内の死者は約40万人にのぼった。大正7年5月の夏場所では高熱で全休する力士が続出したそうである。が、その当時も現在のような「経済か、自粛か」などと大論争をしたのだろうか? まったくのNOであった。というより、ウイルスの遺伝子解析技術がなかった。それがアメリカ由来の新型ウイルスであると分かるはずもなかった。だから「スペイン風邪」になった。
それよりは第一次世界大戦中に暴騰した「米価」が大問題だった。大正7年に全国に拡大した「米騒動」は実は歴史に残るほどの大規模な民衆暴動であった。「スペイン風邪」の猛威よりは「毎日の暮らし」のほうが日本人にとっては遥かに重大事であったのだ。日本史の教科書をみれば何が重大であったかは明白である。
この事は、何が社会的真理であるのかについて、大事な示唆を含んでいると思う。
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昨晩も福島・いわきで暮らす弟と久しぶりに話したのだが、『もうTVは観ないことにしたんだ、ラジオを聴いてるんだ。新聞も馬鹿々々しくなってきててネエ』というものだから、『おれはもうこの3月で新聞は止めたよ』と応えた。そうすると、『TVを視てると、ホント、バカになっちゃうよね』と問いかける。『TV局で番組をつくっている人間が、観ている俺たちはバカだと思っているか、番組をつくっている人間たちがバカであるかのどっちかだな』と言ってあいづちを打つと大笑いだ。
実際、TVや新聞の報道(というより「意見」)を聴いていると、不思議な頭脳回路をもっているようであり、どうもGOTOトラベルは「経済」と「感染」の二つの目的をもつ、両ニラミで進めている、というのだ。
そんな理屈はないでしょう、と。GOTOトラベルは経済にはいいが、感染には悪いに決まっている。
こんな簡単な理屈がマスコミの人間には分からないのか?つくづくと、そう思う。
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旅行をすれば補助金を出す、飲食店にいけば補助金を出す。そんな政策が感染防止に役立つなどという理屈はまったくないのだ、な。
感染防止の観点にたてば悪いに決まっている。
「ポリシー・ミックス」という基本的な言葉も知らず、政策のことを論じるのは能力不足だろう。
GOTOキャンペーンは、観光業を救済するための「緊急経済対策」である ― 観光業を下支えするという政策がいま適切かどうかという問題は以前に投稿したように別にあるが。故に、GOTOキャンペーンを進めるなら、その副作用を抑えるための「感染防止対策」として何をするのか?マスコミはここを攻めないといけなかった。
感染防止対策が弱ければ経済対策も強くは出られない。感染防止対策を強く進めれば経済対策も思い切って出来る。経済活動はヒトとヒトとの触れ合いを増やすので感染症対策にマイナスであるのは最初から分かっている事だ。
実に単純な理屈である。
にもかかわらず、感染防止のために経済対策であるGOTOキャンペーンを止めてくれと、そればかりを主張するのは、感染防止を強化する政策を本当はやりたくない。そんなホンネがあるからだ。
実に簡単なロジックである。
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「お願い」ではなく「命令」ができる強い感染防止対策をとるなら、区域、人物、機関を特定した指導・命令を行うことになる。が、これらはすべて非民主主義的だ。だから「実行困難」。とは言っても、経営破綻、生活破綻の激増を避けようとすれば経済対策が必要だ。だから「停止困難」。そこでTVも新聞も議論はいつも「堂々巡り」になる。実際に「堂々巡り」を演出してきたわけである。
堂々巡りは仕方がないが、それを公共の電波を使っているTVや再販価格で保護された新聞が、核心に迫ることなく、ホンネの議論から逃げて、毎日堂々と堂々巡りを単純反復するのは実に見苦しい。
聞きたくないことをズバリと指摘するのがマスメディアの役割だ。それを言わないのはプロデューサーなりデスクなりが、「ここから先は言わないで、書かないで」と一線を引いているのだろう。メディア各社も忖度して太平洋戦争直前のような八方美人を貫いている。忖度する先が、「政府」であるか、「世論」であるか、使い分けている楽屋裏はとっくに露見している。
あと何年もこんな感じでやって行くのは無理だろう。
喜劇を演じて恥としないマスメディアは、有害無益とまではいかないが、無能であるくらいの言葉は浴びせられても仕方がないだろう。
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ただ、政府が「緊急事態宣言」を出すなら、12月上旬といういま出すのがベストだ、と。ワイドショーのコメンテーターが主張しているこの判断は小生も賛成だ。
GOTOを止めても、若い人たちが街を歩けば感染は広がろう。病院、高齢者施設のクラスター発生が止まるロジックはない。
感染者が増え続けるとする。来年1月中旬には大学入試センター試験がある。センター試験の直前になって緊急事態宣言を出すのは「実行困難」であると小生は感じる。かといって、センター試験を強行すると、一段と感染が拡大する可能性が高い。
ま、そうなると国内は大混乱となり、菅・現内閣は瓦解への一直線を歩む。
このくらいのことは、いま「見通せる」のではないだろうか。
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