2020年12月27日日曜日

コロナ禍の1年……どんな記憶になるのだろう?

 コロナ、コロナの1年で終わるが、この1年、たとえば20年後にはどんな記憶になって残っているのだろう?

言えることは、100年前の「スペイン風邪」だが、日本国内で40万人の死者を出しているにもかかわらず、現代日本人の記憶には当時の悲惨さはほとんど記憶に残っていないということだ。むしろ、その直後の「関東大震災」、さらには「太平洋戦争と空襲・原爆・敗戦」が時代を画する大惨事として記憶されている。

「震災後」や「戦後」という言い方はされてきたが、「スペイン風邪大流行の後」という言葉を小説でも評論でも見たことはない。

だから「コロナ禍」というこの1年の言葉が、いつまで日本人の記憶に残るかと言えば、それは誰にも分からないというしかないだろう。

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ただ、実態として政府の機構や行政システムを変革させる契機になるのではないか。そんな気はする。

このブログのタイトル欄に初めて「コロナ」という言葉が登場したのは2月27日の投稿だ。そこではこんなことを書いている:

どうやら(一部の)医療関係者にとっては上のような認識は間違っているようだ。

こんな投稿もある。:

モーニングショーで軽傷者を早く見つけて重症化を防ぐとテレビで述べていた医師がいましたが、早期診断してもしなくても新型コロナウイルス患者の転機は変わりませんし、早期に見つければ重症化させない方法なんて実験的投薬含めてまだ確立されていません。

URL:https://blogos.com/article/438799/

投稿者は早期治療に意味はないと考えている。まあ、ウイルスを直接的に攻撃する薬剤はないわけだから、それはそうなのだろう。インフルエンザなら(発症後一定の時間内であれば)検査をしたり、特効薬を投与したりと、医師がすることはあるが、新型コロナによる風邪には出来ることがないということなのだろう。出来ることはないのだから、自宅で安静にして休んでいなさいという判断は理に適っている。

重くなったら来てください、と言うのもネエ……、という気持ちも残るのだが。

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確かにこの1年、コロナ感染対策の戦略方針という面で政府は迷走に迷走を重ねたのだが、その迷走の主たる原因として医療専門家の側の不定見(=(無定見+不見識)÷2)があったという指摘もありうるわけである。

3月14日にはこんな予測投稿もしている:

そこで個人的な予想を覚え書として書いておきたい ― そういえば、東日本大震災直後も、その時点で予想できたことを書いておいたのだが、半分以上はまだ実現していない(参考はこれ)。なので、以下に書くことの半分も実現されないかもしれない。

  1. 社会の基盤である生産活動は(基本的に)再開されるはずである。発症し感染が疑われる場合は検査を行い陽性の場合は自宅待機とするのはインフルエンザと同様に対応する。こんな方式になると予想する。
  2. 但し、クラスター形成の確率が非常に高くなる活動、つまり下図の3条件を満たす活動は時限的に、例えば1年間程度は禁止もしくは自粛要請されたり、あるいは入場時の体温チェックが義務付けられるのではないか ― 具体的にどの分野、施設で何が求められるかは、ちょうど「軽減税率」対象品目を指定するのと似ていて、恣意性が混じるのは仕方がないが。もしその間に喪失所得が発生するなら、幾ばくかの所得補償が失業保険と併用しながら別に立案されるだろう。
  3. 感染者が自宅で発生した時の「自宅待機」のあり方が最も重要になる。例えば『新型コロナウイルス感染者の自宅待機に関する行動指針』が感染者本人、家族への「お願い」として国内全世帯に郵送配布されるのではないか。日本人は公的な方針に従うことが好きである。全世帯配布は『年金お知らせ便』と同じである。
  4. マスク、アルコール消毒スプレー・ジェル、うがい薬などの適切な使用法なども「お願い」の中で記述されるはずである。
  5. 『接客に際する行動指針』、『勤務に際する行動指針』も必要かもしれない。
  6. 当面1か月、3か月、1年、ワクチン製造の目途がたつまでの2年程度までに分けて、<緩慢な感染拡大>と<死亡数の極小化>を担保するための戦略見通しがメディアを通して伝えられるだろう。
  7. その間の経済対策などは当然上の戦略と併せて示されるはずである。


大体、3月下旬から4月、遅れれば今年のゴールデン・ウィークにかけて、こんな風に物事は進行すると観る。

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どうやら「生産活動の再開」、「陽性患者の原則自宅待機」の見通しは見込み違いになった — GOOTキャンペーンが実行されたのは予想通りであったが。「行動方針」というか「お願い」は詳細を説明した印刷物ではなく、TVを通して「3密回避」という言葉で伝えられたが、何事もショート・メッセージを好む現役世代の感覚が支配的になったからだろう。それから「ワクチン製造の目途が立つまでの2年程度」と予想した下り。これは現実には嬉しい誤算があったわけであり、1年もたたないうちに日本でもワクチン接種が始まるかもしれない状況であるのは誰もが安堵しているのではないだろうか。

当時の見通しの方が理に適っていると今更ながら感じる箇所は

クラスター形成の確率が非常に高くなる活動、つまり下図の3条件を満たす活動は時限的に、例えば1年間程度は禁止もしくは自粛要請されたり、あるいは入場時の体温チェックが義務付けられるのではないか ― 具体的にどの分野、施設で何が求められるかは、ちょうど「軽減税率」対象品目を指定するのと似ていて、恣意性が混じるのは仕方がないが。もしその間に喪失所得が発生するなら、幾ばくかの所得補償が失業保険と併用しながら別に立案されるだろう。

というところだ。

感染リスクの高い行動、活動を指定して、感染を抑制するという施策はやはり(特にその後のGOTOキャンペーンを展開するにあたっては)必須であったのではないだろうか? 必要な法改正は粛々とすすめる姿勢をとるべきではなかったか?実に「後悔先に立たず」である。

世界の「コロナ禍」の中で、行政府のトップが交代どころか、もしも菅・現内閣もまた「座礁」という羽目になれば、安倍前首相についで二人目の首相辞任という他には例のない体たらくになるのだが、仮にそうなれば世界の尺度では「かすり傷程度」で政治が不安定化する先進国という不名誉な事例になるということで、改めて日本国の国家的脆弱性が露見してしまうわけだ。ま、これも考えようによっては、第二次世界大戦後の連合軍の基本方針である「日本を無害化する」という戦略が見事に成功しているとも言えるわけで、「日本はあんなものか」、「アジアの平和にはよかったヨネ」というメッセージになるので、そうそう悪いことばかりでもないということか。


今年の投稿もずいぶん数が増えた。毎月大体12回か13回、1年で150回程度を目安にしているのだが、この2、3年はかなり多い。それだけ後になって読み返したくなると思われる話題が多かったということなのだろう。中でも「コロナ」というのは、この数年間でも強烈な記憶として残る、「東日本大震災」がこのブログを再開するきっかけであったのだが、それと同じレベルかもしれない。今はそう感じているということか……、それはともかく、今日あたりが今年最後の投稿になるかもしれない。というか、そう望みたい。


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