2020年12月29日火曜日

一言メモ: 旧友から近著が贈られてきた日の覚え書き

 旧友の一人から近著が届いた。市場と社会を歴史的に概観し考察している。旧友その人はその中で国際関係論的視点から1章を書いている。


市場と社会……、小生もいま歴史は曲がり角を曲がりつつある時代なのだという感覚は共有しているつもりだ。

ただし、(何度も書いているが)小生は偏屈で、人の意見には逆らいたくなる性癖の持ち主だ。

人の行く 裏に道あり 花の山

リスクと予想、それに投資は小生のライフワークだと心得ている。偏った見方、異論、反論は大好きだ。

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多くの人は、絶対王政が支配する旧体制((アンシャン・レジーム)を打倒した市民革命、それによって確立された民主主義社会。このような教科書的な視覚から近代社会の発展を考えているのではないだろうか。現代社会は多大の犠牲を払って獲得したなにか価値ある社会なのだ、と。そういういわば「フランス革命史観」とでも言える歴史観に多くの人は立っているのではないかと思っている。

でも、どうなのだろうなあ、と。小生はずっと前から想っている。

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小生が(高校以来と言ってもいいが)ずっと興味を持ち続けているのは、古代社会の勃興、発展、成熟、衰頽、崩壊という過程である。そのプロセスはもう終わっていて、かつそれほど構造が輻輳しているわけでもない。何度も勉強して鏡とするには格好ではないかと思うことが多い。人間の本質はそれほど変わってはいないものだ。

一先ず「中国」は外しておく。

そうすると、論点は(さしあたって)ローマという古代国家の発展と衰退という問題に集約される。そして、そのローマだが、長い歴史の中で一つの都市国家からイタリア半島を支配する国家へ、更には地中海世界全域にまで版図を広げる中で、人口、経済はそれと並行して発展を遂げていった。一方、発展を続けるローマ社会を統治する政体は、建国から200年ほど続いた王政が王の追放を以て共和制へ移り、その共和政も500年続いたあと深刻化する国内不安を解決できず帝政へと変わり、その帝政は初期の元首制(プリンキパートゥス:Principatus)から専制君主制(ドミナートゥス:Dominatus)へと大きく変容していったのである。100年を単位とするような緩やかな変容ではあったのだが、最初と最後を比べると同じ古代ローマでも別の国家、別の社会に変わっていたことが今日ではよく分かっている。

政治的不安定に苦しむ共和政末期のローマで独裁官となったカエサルを敵視する共和主義者の主張と、いま価値観を異にする中国の台頭を懸念する自由主義国家群の言い分と、何と似ていることだろう。「元老院」という議会が重要事項を決定し、「執政官」という民選大統領が行政を運営していた共和国ローマは、独裁者への反発と暗殺、内乱を経て、任期のない「元首」が強大な権限を行使する国に生まれ変わった。元老院がこのような政体変容を承認したのである。これが帝政ローマである。「ローマの平和(Pax Romana)」とは、共和政から帝政へ政治体制が変わった後、ローマ帝国がもたらした安定した社会をさす言葉である。

仏人・モンテスキューは、『ローマ人盛衰原因論』の中で、内戦の終息、Pax Romanaの到来にもかかわらず、それを帝政という政治体制がもたらした恩恵とは考えず、帝政への移行こそローマ滅亡の遠因であったと論断している。フランス革命の政治哲学的基礎を提供したモンテスキューならではの見方でもあるし、現代社会の思想的基盤としての共和主義に立てばそんな歴史観にもなるということだ。

小生は、ローマの軍事的・経済的発展を支えた政治基盤としての共和政が空前の超大国に発展したローマ社会の中でなぜ円滑に機能しなくなったのか。なぜ帝政への政体変容が必要であったのか。この問題がずっと気になっていた。いまそれほど話題に取り上げられることが多くないのは、実に不思議に思っている。

そして文明が爛熟し、生活水準が最も高くなった(と考えられている)紀元4世紀以降に、文明的にははるかに劣位にあった異民族の攻勢に耐え切れず、軍事的に圧迫され、社会が崩壊するに至った顛末はこの上なく劇的に感じるのだ。このプロセスに小生はロマンを感じ、仕事の多忙にもかかわらず現役引退後に読もうとギボンの"The History of the Decline and Fall of the Roman Empire"を全巻買ってしまったのも上に述べた理由からだった — まだ書棚に鎮座したままではあるが。

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こんな関心が根っこにあるものだから、古代社会が崩壊したあとに登場した中世の分権的封建社会が中央集権的な絶対王政に発展、変容していったプロセスもまた、地理上の発見と貿易拡大の中で進んだ富の蓄積がひき起こした政治権力の統合と集中化だったと、そんな風に観たくもあるわけである。つまり「中近世」という一つのサイクルとして理解したいというのが小生が気に入っている視点である。

そして、農業から工業へとリーディング産業が交代し、産業資本家というブルジョアジーが中世以来の地主階層である貴族の社会を侵食することで姿を現した資本主義社会は、「中近世」という一つのサイクルが一巡した次のサイクルの始まりとして観たくもあるわけだ。資本主義社会の本質的分権性、無政府的傾向を是とすれば、伝統的貴族が身分秩序を構成する絶対王政社会とは正反対の理念と価値観もまた是となるわけである。競争に基づく市場メカニズムに任せよと主張した古典派経済学はこの新しい時代を理念的に支える「スコラ哲学」としての役割を果たしたとも言えそうだ。ケインズ革命はカトリックに抗った宗教改革にもたとえられるかもしれない。

とすると、近代(モダン)からポストモダンという超近代の時代にかけて進むのが、これまでの歴史的サイクルと同じく、政治権力の統合と集中であるとしても、何もおかしくはないと小生は思っている ― 現実にそんな社会変動をこの目で分かる形で目撃するという可能性はほとんどゼロであるが。民主主義がよいとか、市民社会には普遍的価値があるとか、そんな共和主義的政治哲学とは別に、新しい産業と経済の発展に必要であるのなら、「伝統的価値」などというものは躊躇なく修正して、その時代の新しい社会に適合した政体を人々が認め、選び、受け入れていくであろうと。そう考えるわけである。現にこれまで歴史を通して人間はそうやって生きてきたのである。

その意味では、小生は人間の小さな頭脳の中にしか存在しない「主義」や「価値観」というのは現実の経済活動という広大なリアリティ、というより現実に生きている多数の人間の生という岩盤のようなリアリティに完全に従属する「上部構造」であると考えているわけで、この点だけは(何度も本ブログに書いているように)マルクス主義者なのである。

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