用事は亡くなったM叔父と別れの挨拶をするためだ。父にはたくさんの弟妹がおり、亡くなったM叔父は小生よりも7歳だけ年上である。幼い頃には、夏休みといえば遊びに行き、M叔父と二人で蜻蛉とりをしたり、セミをとって炎天下の中を歩き回ったりしたものだ。ある時、暮らしていた小さな町から叔父のいる県庁所在市まで自転車で延々とこいで行ったことがある。まだ健在だった祖母が驚いて、小生の好物だったチキンライスを作ってくれた。母にも電話で知らせたのだろう。帰りは夜だった。子供だけで返すわけにもいかず、亡くなったM叔父が当時はまだ中学生であったろう、私につきあって夜道を自転車でこいで同行してくれた。今にして思えば、帰り道は真っ暗で怖かったろう。当時の楽しかった時間を小生は忘れたことはないが、成長して色々と大人のやりとりをし、父と叔父達との微妙な関係を知るにつけて、段々と疎遠になり、最後に話しをしたのはもう20年も昔になるかもしれない。とはいえ、歳もそれほど違うわけではなく、これから将来にかけて、また会って話しをする時間は無限にあると思っていた。明日は古いアルバムに貼ってあったM叔父とのツーショットをもって、最後の別れの挨拶をする。
クレー、死と炎、1940年
かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしなねばならない
だれのほねでもない
わたしはわたしのほねになる
かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしゃべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに
(出所)谷川俊太郎「クレーの絵本」
2011年という年は、本当に死の香りにむせ返るような一年だ。存在から非存在へ移ることの意味をこの一年ほど考えさせられた一年はない。
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